在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

私は親日派です。

私は名前通りヤマト在住者なんで、長年すっかりご無沙汰してますが、琉球の御本家の家譜を信じるならば、私は100%メイドイン琉球、体にはヤマト民族の血は一滴も流れておりません。

 

 まあ由緒正しい生まれでもなく、しがない分家の末裔で、親類縁者も沖縄戦でずいぶんとブチ殺されて、琉球との縁も薄いもんです。

血統は琉球でも、文化的にはすっかりヤマトに染まってます。

 

それでも、私に流れる琉球の血が私の趣味を決めたのも事実でして、もし私がヤマト生まれのヤマトンチュだったら、「政治」なんかに興味を持つことは一生無かったでしょう。

 

私は物心ついて、自分がヤマトンチュではないことを知ったときから、常に「琉球とは何か?」「何でよりにもよって琉球なのか?」を考えて生きてきました。

琉球を考えることは、ヤマトを考えることでもあり、支那を考えることでもあり、アメリカを考えることでもあり、世界を考えることでもあり、歴史を考えることでもあり、暴力を考えることでもあり、つまりは政治を考えることなのです。

 

私は琉球人ゆえに政治に取り憑かれてしまいました。つまり私は「在日琉球人」なのです。

 

ただ、平成のヤマトにおける嫌韓ブームのせいで、「在日琉球人」という自称にあらぬ誤解を受けることになりました。

つまり、おまえは「反日」ではないのか?、と。誤解もはなはだしい。

 

朝鮮人反日かもしれませんが、私は朝鮮人ではありません。私は琉球人です。だから反日ではありません。それどころか、私自身根っからの「親日家」を自認し、琉球こそ、日本最良の「隣人」、最も近しい「友好国」だと信じて疑いません。

 

ただ、隣人(琉球人)は、どこまでいっても隣人(琉球人)であって、本人(ヤマトンチュ)ではないし、

友好国(琉球)は、どこまでいっても友好国(琉球)であって、その国(ヤマト)には成れない、ただそれだけのことです。

 

だって琉球琉球であってヤマトじゃないんだからしょうがない。残念です。

 

そしてアメリカも嫌いじゃありません。それどころか好きです。戦後の琉球はアメリカ文化無しには成立しません。ヤマトの次に仲良くしたい国はやっぱりアメリカです。

 

支那は、琉球の歴史上無視できませんし、個人的にも儒教支那漢字文明に関心があるので嫌いじゃありませんが、現在の前近代的支那人とはヤマトやアメリカ並みのお付き合いがしたいとはあんまり思えません。

まあ、それも21世紀も後半になり、衣食足りて礼節を知る、支那が真に近代化を成し遂げた後ならば、琉球民族生き残りのために手を結ぶ相手(清国以来約200年ぶり)になるかもしれません。