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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

登山は「政治」である。

04.社会/文化/経済

御嶽山噴火 「早く連れて帰りたい」小5女児や大学生…行方不明いまも多数 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

mixiのマイミクさんからご助言をいただいた。

ブログランキングというものがあるそうな。さっそく、登録してみた。

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さて、どんなもんだろうか?

 

ただ、そのランキングに掲載されている様々なブログを見てみると、どうも「皆さんが政治だと思ってるコト」と「私が政治だと思ってるコト」の間に若干の相違があるように感じた。

 

やれ 「韓国が嫌いだ!支那が嫌いだ!」だとか、

やれ「安倍政権ファシズムだ!辺野古ジュゴンを守れ!」だとか、

まあ、それも政治といわれれば、そうなんだが(笑)、それ「だけ」が政治とは思わないんで、今後は「私が考える政治」をコツコツご説明していきたい。

 

登山を考えることは、政治を考える事に通じる。

 

登山というのは、自然へ向かうことである。 

言い方を変えれば、近代社会から離れることだ。 
さらに言い方を変えれば、普段当然だと思い込んでいる、近代社会が用意する「安全装置」が解除された自然世界に放置されることだ。 
相互監視のうっとうしい、抑圧的な近代社会の安全か? 
自由で、孤独で、一歩間違えば死ぬ、自然のロシアンルーレットか? 
どっちが人間にとって良き場所なのか? 

 

つまりは政治問題と同じなのだ。 

 

登山とは、簡単に人間が死んでしまう世界へ行くことである。 
言い方を変えれば、人間をどうしようもない「弱者」へ落としてしまうことだ。 
さらに言い方を変えれば「社会は弱者をどうすべきか?」という問題を浮上させる。 
雪山遭難者と、難病患者・障害者・貧乏人・社会的弱者は、同じ立場なのだ。 
無償で救済すべきなのか(社会福祉)? 
有償で救済すべきなのか(自由市場)? 
見殺しにすべきなのか(優勝劣敗)? 

 

つまりは政治問題と同じなのだ。 

 

さらに、登山とは「自由意志」である。 
行けと命じられて行く仕事でも義務でも強制でもない。 
登山する理由は、なんと、個人の勝手な欲望なのだ。さらに社会に何も還元しない個人の娯楽である。 
「自由意志」において個人がしでかしたトラブルに、社会はどう対応すべきか?する必要はないのか? 

 

つまりは政治問題と同じなのだ。 

 

我々は、街にいようと、家にいようと、常に「遭難のリスクを負った登山者」である。