【御嶽山噴火】「早く連れて帰りたい」 小5女児や大学生… 行方不明いまも多数(1/2ページ) - 産経ニュース
2014.10.3
発生からあす(4日)で1週間を迎える御嶽山(おんたけさん)の噴火は47人もの尊い命を奪った。だがいまなお多数の人の安否が分かっていない。長野県によると、3日現在の行方不明者は16人。おにぎりをほおばっていた小学生の女の子や大学生、4人の子供を持つ父親…。有毒ガスや降雨が、「今日こそは連れて帰りたい」と願う家族らの前に立ちはだかり、何度も捜索を中止させた。「1日も早く家族の元へ」。発見を待つ友人らの焦りも増すばかりだ。
mixiのマイミクさんからご助言をいただいた。
ブログランキングというものがあるそうな。さっそく、登録してみた。
さて、どんなもんだろうか?
ただ、そのランキングに掲載されている様々なブログを見てみると、どうも「皆さんが政治だと思ってるコト」と「私が政治だと思ってるコト」の間に若干の相違があるように感じた。
やれ「韓国が嫌いだ!支那が嫌いだ!」だとか、
やれ「安倍政権はファシズムだ!辺野古のジュゴンを守れ!」だとか、
まあ、それも政治といわれれば、そうなんだが(笑)、それ「だけ」が政治とは思わないんで、今後は「私が考える政治」をコツコツご説明していきたい。
山が舞台の登山やスキーなど、また、海が舞台のサーフィンなど、川や河川敷が舞台の釣りやキャンプなど、もろもろのアウトドア活動を考えることは、そのまま、政治を考える事に通じる。
登山、スキー、サーフィンを例にとる。
登山、スキー、サーフィンというのは、自然へ向かうことである。
言い方を変えれば、近代社会から離れることだ。
さらに言い方を変えれば、普段当然だと思い込んでいる、近代社会が用意する「安全装置」が解除された自然世界に放置されることだ。
相互監視がうっとうしい、抑圧的な近代社会=自由なき監獄の安全か?
自由で、孤独で、一歩間違えば死ぬ、自然のロシアンルーレットか?
どっちが人間にとって良き場所なのか?
つまりは政治問題と同じなのだ。
登山、スキー、サーフィンとは、簡単に人間が死んでしまう世界へ行くことである。
言い方を変えれば、人間をどうしようもない「弱者」へ落としてしまうことだ。
さらに言い方を変えれば「社会は弱者をどうすべきか?」という問題を浮上させる。
雪山遭難者と、難病患者・障害者・貧乏人・社会的弱者は、同じ立場なのだ。
無償で救済すべきなのか(社会福祉)?
有償で救済すべきなのか(自由市場)?
見殺しにすべきなのか(優勝劣敗)?
つまりは政治問題と同じなのだ。
登山、スキー、サーフィンとは「自由意志」である。
行けと命じられて行く仕事でも義務でも強制でもない。
登山する理由は、なんと、個人の勝手な欲望なのだ。さらに社会に何も還元しない個人の娯楽である。
「自由意志」において個人がしでかしたトラブル「自己責任」に、社会はどう対応すべきか?対応する必要はないのか?
つまりは政治問題と同じなのだ。
我々は、街にいようと、家にいようと、常に「遭難のリスクを負った登山者、スキーヤー、サーファー」である。