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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

東宝映画「若大将」シリーズの10年戦争(その3)~加山雄三VS樺美智子~雪山賛歌/雪山惨禍

21.映画

東宝映画「大学の若大将(1961)」の10年戦争(その2)~加山雄三VS渥美清&高倉健~太平洋戦争再び - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

しかしアメリカン若大将の敵は、古い日本つまり「大日本帝国」だけではない。

新しい、しかしアメリカとは対立する勢力との戦いもあるのだ。

 

ズバリ「社会主義」である。

 

 若大将は1961年公開だが、その前年1960年の日本の大学では何があったか? 安保闘争である。60年代の日本の大学は左翼学生運動の全盛期だ。

しかし61年の日本の大学が舞台のはずの若大将には、構内には全学連の立て看板も、過激派のアジビラも、議論する左翼学生もカケラも登場しない。まるで安保闘争の無かったパラレルワールドの日本である。

 

若大将は学生運動を徹底して無視し続ける。無視するということは一種の戦いなのである。
若干でも関係するのは、ラスト近くで青大将が交通警官に言う「民主警察」というセリフくらいだろう。その前年、その「民主警察」は国会前で学生たちをタコ殴りしていたのである。

 

60年代の10年間、若大将シリーズは作られ続け、加山雄三は、庶民階級の女性と恋を語り、音楽を楽しみ、ブルジョア階級の社長と仲良くなり、学生スポーツで活躍し続ける。
現実世界の、全員ではないにしても、かなりの数の学生たちは、ブルジョア階級打倒を掲げ、「学生スポーツ」ならぬ「学生運動」をやっていたのである。「ギター」の代わりに「ゲバ棒」だったのだ。

 

「大学の若大将」は「大学の全学連」と日本の方向性を巡り10年間もイデオロギー闘争を戦い続けた。

そして若大将のアメリカ資本主義は、

古い日本に安住する大日本帝国にも勝利し、

別の日本を目指した全学連にも勝利した。

 

60年安保闘争の国会前で圧死した東京大学・樺美智子女史の生年月日は1937年11月8日。
若大将こと「京南大学生」加山雄三の生年月日は1937年4月11日。
何の因縁か奇しくも同じ年である。2人の人生は同時に始まって、決定的に分かれていった。

ちなみに、偶然にも同じ名前の美智子皇后陛下の生年月日は1934年10月20日。ほぼ同世代である。

「大学の女闘士」樺美智子は、1961年の「大学の若大将」を見ることなくあの世へ去った。

 

60年代の全学連は消滅し、70年代に全共闘となる。
そして1970年の安保条約更新、全共闘の敗北を見届けるように、1971年に若大将シリーズも終了する。

翌年1972年に琉球は「本土復帰」する。

 

60年代、若大将は、ハワイへ渡って、サーフィンやヨットで波を切り、ハワイアンを歌った。
70年代、樺美智子の「妹」日本赤軍重信房子は、パレスチナに渡って、空港で銃を乱射した。

 

60年代、若大将は、雪山に登って、仲間や恋人とスキーで下りてきた。
70年代、もう一人の「妹」連合赤軍永田洋子は、雪山に立てこもって、殺した仲間を埋めてきた。

 

すでに勝敗は明らかだった。

 

東宝「若大将」シリーズは、戦後日本のヘゲモニーを巡る戦争映画であり政治映画であり、アメリカンウェイ・オブ・ライフの勝利の凱歌なのだ。

 

東宝映画「大学の若大将(1961)」の10年戦争(その4)~ブルジョアVS花嫁修業VS夜の蝶VS中卒勤労者。 - 在日琉球人の王政復古日記