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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《親米保守映画列伝》東宝「日本一の若大将」~カミナリ族、オート三輪、(美智子皇后)ミッチーブーム、1962年の在特会(笑)。

BSジャパン「土曜の若大将」も3週目。

日本がどんどん「現在」になっていく。 

 

 シリーズ映画ではよくある話だが、レギュラーキャラの性格が急に変わったりする。

今回は若大将のライバル・青大将(仁義なき戦いから北の国までの田中邦衛)が若大将のパートナーとなって迷惑をかけまくる。

 

おなじみ女性陣は、

兄貴を出し抜いて店を継ぐ話になっている、なんだかんだいって、相変わらず自分の利益に忠実な(笑)チャッカリ妹・中真千子。

気品溢れる大根女優(笑)藤山陽子は、お嬢様レベルが上がり続け、今回ついには宮様のお后候補である。1959年の御成婚前後の日本を席巻した皇后美智子人気、世に言う「ミッチーブーム」が映画の中にまで押し寄せたわけだ。

北あけみは相変わらずお色気担当。平成のグラビアアイドルに比べれば、凹凸に乏しいボディーラインだが、当時としてはあれでグラマーだったのである。当時の日本でEカップだのGカップだのがいたら、お色気どころか一種の「奇形」である(笑)。日本の食糧事情と栄養状態がこういう場面で判る。

団令子はお休みで、代わりに女子大生担当は青大将の従兄弟役で田村奈巳。

 

そして、今回は銀座のスポーツショップ店員・ヒロイン星由里子が「オート三輪」で走行中に「カミナリ族」に絡まれる。

青大将のアメ車のオープンカー、ヒロインのオート三輪カミナリ族のバイク。

高度経済成長が日本にモータリゼーションの波を呼び寄せる初期の風景だ。まだ、その後世界を制覇する日本車の陰は薄い。

カミナリ族」は、後に暴走族に発展する。戦後日本のサブカルチャー「ヤンキー」の源流の一つである。まだ特攻服は着ていない。

 

今回で一番印象的だったのは、若大将の妹のお見合いである。映画のストーリーからいえば枝葉の話でどうでもいいエピソードなのだが、ここに今の日本に通じるキーワードが出てくる 。

若大将の実家・麻布の老舗すき焼き屋「田能久」の箱入り娘ともなれば、中産階級のお嬢さんだから、お見合い相手もそれ相応のレベルとなる。

ただし、このお見合い自体はすぐご破算になるし、映画の脚本としては、相手が誰でも、どんな職業でも、たいした意味はない。別に「会社のオーナーの息子」でも「東京の料亭の跡取り息子」でも、役人にしても「大蔵省の若手」でもいいのに、なぜか「外交官のタマゴ」なのである。この外交官という設定に映画上の積極的な意味はまったくない。

しかし、ここでのコメディトークが平成的にはビンビンくるのだ(笑)。

 

 若大将の親父は娘と官僚との見合いに乗り気だ。なんとなく消極的な娘に対して「外交官と結婚したら外国へ行けるぞ」とメリットを強調する。

ここで親父が(当時の日本人が)想定している「外国」とは、憧れのアメリカかヨーロッパ(当選西側)、ちょっと外れても(当時はまだ移民の受け入れ先だった)ブラジルなどの南米である。

1962年の日本にとって、アジアなんて「外国」のカテゴリーに入ってないのだ。

もちろん戦前戦中は戦争でアジア諸国と大いに関わったし、1990年以降アジアの経済発展によって支那韓国、東南アジアは無視できない存在となった。しかし当時はちょうどエアポケット、日本人がアジアを忘れようとしていた時代なのである。

かろうじての例外は、香港くらいだろう。

 

 お見合いで親父が「外交官ともなれば外国へ赴任するんでしょうな」と話を振ると、見合い相手は「はい、ソウルへ」と答える。

勝手にハワイ、ロンドン、香港みたいな回答を期待していた親父さん「・・・ソウル?」と、一瞬どこの国なのか思いつかない。

外交官「ええ韓国の」と追加説明。外交官の母親も「まあ、公使館ができてからの話ですが」とフォロー。

親父は何とも言えない顔になって「はあ、韓国ですか」と消え入るような声になる(笑)。

 

当時の中年男性なんだから、ソウルという都市名に慣れてないこともある。京城(ケイジョウ)ならばピンと来ただろう。

しかしなにより当時の日本において、「韓国」のイメージは最悪だったのである。

 

もちろん、戦前の植民地というイメージもあるし、戦前の東京にいた朝鮮人労働者のイメージ、終戦直後の闇市を大きな顔して歩いていた三国人のイメージ、ハッキリ言えば「朝鮮人は日本人より劣っている」という意識はあったのである。それは平成の今でも鮮明だ。

さらに1950年代の「朝鮮動乱」。日本人がもう忘れようとしていた地名を嫌でも思い出させるニュースであった。

そして1962年といえば、今の朴姐さんの偉大な父・朴正煕が軍事クーデタで全権を掌握しつつあった時期だ。

 

終戦時の三国人の思い出だけでもイメージが悪いのに、悲惨な内戦に、さらに軍人が威張る国。日本人は自分たちの戦争体験を通じて「軍人が政治を握る」ことの不愉快さを肌で知っていた世代なのだ。

さらに日韓基本条約は1965年だから、当時はまだ日韓関係が正常化していない。だからこそ「公使館ができてから」というセリフも出てくる。

 

おそらく映画の脚本を練っている最中に、新聞では「韓国で軍事クーデタ」「朴少将が全権掌握」みないな見出しがおどっていて、それを取り入れたのだろう。大した意味は考えてない。

映画ではこれだけの話で、時間としては1分もない。映画の主題でも重要エピソードでもない。ハッキリ韓国を嫌悪する演出も、馬鹿にする演技もない。

しかし当時の日本に「韓国へ赴任する」ということが、ブラックジョークになるようなイメージがあったからこそ、喜劇として成立しているのだ。

こういう無意識にこそ、政治が露出する。

 

在特会は21世紀になって生まれた話ではないのである。

 

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