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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

釈迦は病を見て出家し、孔子は顔回・冉伯牛を失って天命を恨み、ナザレのイエスは病を癒す。

伝染病は、伝染する。

アホみたいな書き方だが、そこが重要である。

 

病気というのもは、なんであっても深刻だが、伝染病の深刻さは「伝染」することにある。

 

伝染というのは、複数の人間が近距離に住んでいるから発生する。

大量の人間が集まって住むからこそ、伝染病は深刻な問題となる。

そもそも、人間が集まって住んでいなければ、伝染病は伝染病でありえない。

集住、つまりは「人間集団の誕生」こそ「伝染病の誕生」なのだ。

 

人間の死に方にはイロイロある。 

老衰で死ぬのは大往生だし、
飢えたら死ぬのも当たり前だ。
海や川で溺れ死ぬのは息が出来ないからだし、
剣で切られて死ぬのも血が出るからだ。
しかし伝染病で死ぬのは、ナゼなんだ? 

 

仮に村に伝染病が流行したとする。

 

村人Aが病気にかかる。村人Bも病気にかかる。しかし村人Cは病気にかからない。

ナゼだ? 同じ村民なのに、同じ人間なのに、どこに違いがあるのか?

 

村人Aは苦しみ抜いて死んでしまう。しかし村人Bはなんとか治癒する。

ナゼだ? 同じ一族なのに、どこに違いがあるのか?

 

人々は、同じ村だ、同じ部族だといっても、人間は同一ではない。

AはAであり、BはBであり、CはCであり、アイツはアイツ、オレはオレなのだ、個々にバラバラの人間なのだ、という事実を突きつけられる。

 

言い方を変えれば、伝染病が人間を「個人」にした。

 

金持ちが必ず助かるわけでもない。貧乏人が必ず死ぬわけでもない。

王様が死んで、奴隷が生き残る。

聖者が苦しみ、罪人がピンピンしている。

これは人智を超えたことだ。  

 

伝染病の前に、人間は、弱く、はかなく、平等だ。つまり伝染病は「神」だ。

しかし、伝染病に、罹る人間もいれば、罹らない人間もいる。死ぬ人間もいれば、治癒する人間もいる。

人間を「平等」にする伝染病は、同時に、人間を「差別」「選別」する。

しかも、その伝染病の人間選別のルールが人間には全く判らない。

 

豊作を祈るムラの鎮守様は、ムラ全体を守ってくれても、個人は救ってくれない。

ここから、集団全体を対象とする宗教ではない、個々の人間が、個々の救済のために、個々に選択する、個人の宗教が生まれた。

 

ソクラテスも、釈迦も、孔子も、ゾロアスターも都市文明の誕生と共に生まれた。

彼らの思想も病気と共にあった。

 

王子の釈迦は、街に病人を見て、諸行無常を知り、王位を捨て出家する。 

 

孔子も自らは食事に細心の注意を払いながら、有徳の弟子・顔回冉伯牛を病で失い、天命を怨む。

 

論語先進11-08 

顏淵死。子曰。噫。天喪予。天喪予。

弟子の顔淵が死んだ。孔子は叫ぶ。「嗚呼、天は私の理想を滅ぼした。天は私の思いを見捨てた」

論語雍也06-08

伯牛有疾。子問之。自牖執其手。曰。亡之。命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。

弟子の冉伯牛が死病に犯された。孔子は感染を恐れず彼の手を取った。「これが天命だというのか? 彼のような有徳の天才が、天罰とされる業病で死ぬのか?」

 

時代は下るが、ナザレのイエスも、病を治癒する奇跡の人として世に出た。

 

マルコ福音書
1:23 ちょうどその時、穢れた霊に憑かれた者が会堂にいて、叫んで言った、
1:24 「ナザレのイエスよ、貴方は私たちと何の係わりがあるのです。私たちを滅ぼしにこられたのですか。貴方がどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
1:25 イエスはこれを叱って、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。
1:26 すると、穢れた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27 人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。穢れた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。
1:28 こうしてイエスの噂は、たちまちガリラヤの全地方、いたる所に広まった。
1:29 それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家に入って行かれた。
1:30 ところが、シモンの姑が熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。
1:31 イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。
1:32 夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊に憑かれた者をみな、イエスのところに連れてきた。
1:33 こうして、町中の者が戸口に集まった。
1:34 イエスは、様々の病を患っている多くの人々を癒し、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。
1:35 朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。
1:37 そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。
1:38 イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。
1:39 そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教を宣べ伝え、また悪霊を追い出された。
1:40 ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「御心でしたら、清めていただけるのですが」。
1:41 イエスは深く哀れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われた。
1:42 すると、らい病が直ちに去って、その人は清くなった。 

  

彼らの言ったことはイロイロあるけれど、要は「他のダレでもない、オマエはどうする?!オマエはナニを選択する?!」ということだったと思う。

 

人間は、オレもオマエも同じ一族じゃないか、といって村を作り、さらに集まって都市を作った。

しかし、集団は伝染病を生み、死ぬ人間と生き残る人間を分ける。

「運命共同体」のはずの人間集団が、逆に、人間は一人一人バラバラなのだ、運命は共同ではない、共同には出来ない、現実を突きつける。

 

人間は集団化して、逆に、バラバラの個人になった。

 

人類の文明こそが伝染病を生み、伝染病こそが人類の文明を育てた。

インドの釈迦も、魯国の孔子も、ナザレのイエスも、遠山の金さんと同じ《親》から生まれた、「兄弟」なのである。

 

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