在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「オレンジのプロテスタント」VS「緑のカトリック」~雅子皇太子妃殿下オランダ国王夫妻お出迎え。

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オランダとの絆、雅子さまを後押し 宮中晩餐会に出席:朝日新聞デジタル

 皇太子妃雅子さまの「適応障害」とされる長期療養は11年に及ぶ。今も体調に波があり、公務への出席は直前に決まる状態が続く。だが、今回のオランダ国王夫妻の歓迎行事、宮中晩餐会(ばんさんかい)への出席は数日前に決まり、公表された。背景には、皇室とオランダ王室との深い絆があった。

 

東宮妃も、マクシマ・ソレギエタ王妃も、オレンジ色のドレスである。

ウィレム・アレクサンダー国王陛下のネクタイもオレンジ色のようだ。

 

ラニエ・ナッサウ王家の即位式も誠に華やいだものであったが、印象的だったのが街頭にあふれるオレンジ色である。

 


Party time in party town as Dutch celebrate new king

 

サッカーが好きな人はご存知だろうが、サッカーオランダ代表のユニフォームもオレンジ色である。 

 

オレンジ色は、オランダ王家のイメージカラーであり、オランダのシンボルカラーだ。そもそもオラニエ・ナッサウ王家の「オラニエ」自体が英語なら「オレンジ」なのだ。

 

「オランダ」「オレンジ」と言えば、イギリス名誉革命である。
17世紀末の名誉革命によってイギリス国王に即位したのがオレンジ公ウィリアム=オラニエ公ウィレム。なんで彼が即位したかといえばプロテスタントだからである。
イギリス名誉革命とは、カトリックプロテスタントとの戦いであり、カトリックステュアート朝ジェームズ2世が敗北し、勝利したプロテスタント勢力のイギリス議会が同じプロテスタントのオレンジ公ウィリアムを新しいイギリス国王として連れて来たわけだ。

そもそもオランダという国の成り立ちからして宗教的である。

元はカトリックのスペイン領だったのが、プロテスタント住民が反発して八十年戦争の末、独立したのがオランダであり、建国理念からしてアンチ・カトリックだ。

 

イギリスにおける、いやヨーロッパにおける、カトリックプロテスタントとの戦いは、17世紀の昔の話ではなく、現在でも続いている。
イギリス国王はプロテスタントイギリス国教会でなければ即位できないし、オランダ国王もプロテスタントのオランダ改革派でなければ即位できない。カトリック教徒ではイギリス国王にもオランダ国王にもなれない。

カトリックは、イギリスの王様になれないだけでなく、昔のイギリスでは公職にも付けなかった 。国教会にあらずんば人にあらず、カトリックは徹底して差別された。カトリックは二級市民に落とされ、反体制化し反王室になった。

当時の英国王室は反カトリックであり、今だって非カトリックである。

同じヨーロッパの元首でも、イギリス女王とローマ法王は宗教的政治的緊張関係にあり、両者が接触するだけでニュースになる。

 

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それはカトリックアイルランド人差別に繋がる。

アイルランドが血を血で洗う内戦の末、やっとのことでイギリスの支配から独立するとき、アイルランドの大半はカトリックだったが、北部はスコットランドからの移民でプロテスタントだった。そのため北部は分離して英国領に残った。 

 

このアイルランド全体では少数派だが、北アイルランドでは多数派のプロテスタント勢力が、少数派カトリックへの優位誇示・示威運動として、年に一回17世紀のオレンジ公ウィリアムの名誉革命を記念して、オレンジ色の衣装に身を包み、集団行進するのがオレンジマンマーチ(オレンジ結社の行進)である。

このプロテスタント信者の行進はわざわざカトリック居住区を通る。なぜなら「嫌がらせ」だからだ(笑)。 

新大久保や鶴橋における在特会反韓流デモの拡大・強力・社会的公認バージョン、とでもいえばいいか、例えるなら、阪神ファンがコテコテの虎模様ファッションで六甲颪を合唱しながら巨人応援席を練り歩く、といえばいいか(笑)。

当然、カトリックは怒って投石する。行進を警備するイギリス警察がカトリックを殴る。こうして怨念の日は消えず、カトリックのIRAが爆弾を爆発させて、プロテスタントのアルスター過激派が報復の暗殺を繰り返す。これが北アイルランド紛争である。

 

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今でもアイルランドの国旗は、カトリックの緑、プロテスタントのオレンジ、和平の白、の3色である。もともとオランダ国旗の赤もオレンジ色だったらしい。

つまり、オランダ、イギリス、アイルランドにおいて、オレンジ色には政治的宗教的意味合いがあり、プロテスタントを意味するのだ。 

アイルランドやヨーロッパのカトリック教徒にとって、オランダ国王の即位式のオレンジ色は、キレイだなあ、華やかだなあ、では済まない(笑)、いろいろと複雑な感情を起こさせる色なわけだ。

 

逆にアイルランドの文化の影響のある地域では緑色はカトリックの色である。
アメリカの映画なんかで、緑色のイメージが出てきたら、それはアイルランドを意味することが多い。

アメリカ各地で行われるセント・パトリック・デー(=カトリックの聖人・アイルランド守護聖人の祝日)のパレードは、アイルランド移民たちの示威行動である。よってシンボルカラーは緑色だ。 

 

ボストンはアイルランド系が多い街なので、NBAのチームはボストン・セルティックス(=ケルト人=アイルランド人)のシンボルカラーも緑だ。

 

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カトリック系のノートルダム(=聖母マリア)大学のフットボールチーム名はファイティング・アイリッシュ。カラーはもちろん緑である。

 

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聖母マリアカトリック(および東方正教会)特有の信仰対象で、プロテスタントでは否定的だ。

 

オランダのオレンジ色を見てのんきに華やかだなあ、では済まないように、緑色のセント・パトリック・デーを見て全員がお祭り気分にはならない。カトリックの偏屈野郎ども、と奇異な目で見てるプロテスタントもいるわけだ。 

ローマ法王コンクラーベも同じく、ヨーロッパの3分の1は祝福しても、残りの3分の1のプロテスタントや3分の1の正教徒は違和感を持って見ていたわけだ。

 

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ちなみに来日されたウィレム・アレクサンダー陛下の信仰は当然ながらプロテスタントのオランダ改革派である。
しかしながら、マクシマ・ソレギエタ王妃はバスク系・イタリア系アルゼンチン人であり、バスクローマ法王のいるイタリア、ローマ法王の出身地アルゼンチンと、どの系統から見ても問答無用コテコテのカトリックである。
ちなみに日本に宣教に来たイエズス会フランシスコ・ザビエルバスク人だ。

 

国王の血筋に、オランダ人でもなくプロテスタントでもない血が混じる。オランダ王室やオランダ国民はそれを受け入れている。例えるなら日本の皇室に、琉球人や日蓮正宗信徒の女性が嫁ぐようなもんだ(笑)。

 

プロテスタントカトリックの戦いは続くが、水と油ではなく、混じり合いながら、溶け合いながら、別れられない夫婦喧嘩のように続くのである。
それがヨーロッパということであり、それが近代ということである。