在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

法VS人間~「ストライクです」と申告するバッターはいない。「死刑です」と主張する弁護人もいない。

すこし昔の話だが、実際にやったことは鬼畜外道以外の何者でもない、光市母子強姦虐殺事件の被告が、死刑を免れるためだろう、法廷で「ドラえもんがどうしたこうした」と、わけのわからない、かなりウソっぽい、言い訳を始めた。

彼の弁護人も、おそらく死刑を阻止するためだろう、「ドラえもん」を持ち出して、被告の減刑を画策した。

あなたは、この被告の言い訳や、この弁護人の法廷戦術を、どう思ったか?どう感じたか?

 

プロ野球の試合で、微妙な判定に対して、

「今のはストライクだと思います」と正直に申告するバッターがいるだろうか?

「今のはどうみてもボールでした」と正直に申告するキャッチャーがいるだろうか?

実際はストライクでも、バッターは黙ってる。

実際はボールでも、キャッチャーは黙ってる。

 

野球は「全日本正直者コンテスト」ではない。

野球のプレイヤーは「勝つために」野球をやっているからだ。 

(近代)裁判も野球と同じである。

裁判は「全日本正直者コンテスト」ではない。

裁判のプレイヤーは「勝つために」裁判をやっているのである。

 

近代人(モダーンマン)であり続けることは難しい。

近代の理念は、《土人》の素朴な感情に反することもあるからだ。

それを「理性」と呼ぶ。

だから近代人は、常に「ああ、昔の土人に戻りたい。理性ヌキで感情を爆発させたい」という欲望に誘われ続けることになる。

 

時事ドットコム:舞鶴高1の母親「驚きと憤り」=無罪の男逮捕受け−京都

中勝美容疑者(66)が殺人未遂容疑で大阪府警に逮捕されたことを受け、京都府舞鶴市で殺害された高校1年小杉美穂さん=当時(15)=の母親(44)は5日、「一報を聞いて、驚きと共に憤りを感じた。一番恐れていたことが現実となってしまった」とのコメントを発表した。

 

被害者家族の態度はこれで正しい。

母は、娘を、「理性」で、愛していたわけではないからだ。

しかし第三者は異なる。特に客観的に意見を言うのならば。

 

弁護人(弁護士)は、殺された被害者のために、法廷にいるのではない。

殺したかもしれない疑いのある被告のために、法廷にいる。

弁護人は、真実のために、正義のために、存在するのではない。

あくまでも、被告の利益のためにのみ、存在する。

被告の利益が、被害者の不利益になることは、ほぼ当たり前だ。

被告=加害者の弁護人は、原則として、被告=被害者の敵に回ることになる。

それが近代の裁判だ。 

 

現実の被告が、鬼畜だろうが、善人だろうが、関係ない。

実際に殺してようが、無実だろうが、関係ない。

光市母子強姦虐殺事件の弁護人は、何の落ち度もないのに無残に殺された母子のためではなく、人殺しのために戦う。

オウム真理教の弁護人は、サリン被害者のためではなく、麻原彰晃のために戦う。

鬼畜外道だろうが、どうであろうが、被告が有利になるように行動する。それを「弁護」と呼ぶ。

  

世の中の裁判は、100%無実の被告、情状酌量の余地のある同情すべき被告、ばっかりなわけがない。

その仕事の形式上、弁護人は常に「人間のクズ」のために働く可能性が大きい。

そして弁護人の才能や努力の結果、「人間のクズ」の極悪人が無罪放免になることもある。それが二次被害を生むこともある。

近代裁判制度は、その許しがたい不条理を考慮に入れて「設計」されている。

それは、無実の冤罪を可能な限り減らすためである。

 

極悪人放免の可能性を増やしても、なるべく冤罪を減らす、それが近代思想が選択した「決断=イデオロギー」である。

その「決断=イデオロギーが正しいかどうかは、なんとも言えない。

だから否定するのはもちろん自由だし可能だが、じゃあ貴方自身がやってもいない冤罪で獄に繋がれても納得する覚悟が必要だ。

 

もしもそのシステムに耐え切れず、弁護人が「こいつは本当にやってます。動機もムチャクチャで、人間のクズです。もっと重い罰を与えるべきです」なんて言い出したら、近代裁判制度は崩壊である。

 

もし、弁護人が、国民感情を逆なでする連中だからと、舞鶴や光市の殺人鬼やオウム真理教の利益を守らない、検察のイヌになる、国民感情に追従する、そうなれば、近代裁判ではない。

実はそういう裁判も存在した。ソ連人民裁判ナチスの民族法廷だ。

現在の大陸支那イスラム諸国にも、これに近い裁判をやってそうなところはある。

しかし、それは近代(モダーン)の裁判ではない。

  

近代裁判制度は、もともと、素朴な感情に反するように出来ている。

なぜなら、素朴な感情ではなく、感情を排した理性で決めよう、というのが近代思想だからだ。

本来、かけがいのない「計算不能」な人間の生命や感情や価値を、懲役何年だの、賠償金何万円だの「計算可能」なモノに換金するのが、理性の仕事だからだ。

理性とは「冷酷非情」なものなのだ。

 

今回の二次被害でも、舞鶴市女子高生殺人事件を「無罪にした」弁護人を批判する《正義の土人》がたくさんいる。

弁護人を批判する皆さんは、弁護人の役目を、そもそも近代裁判を、いったい何だと思っているのか?

 

批判されるべきは、鬼畜外道を守る弁護士ではなく、証拠を固め切れなかった警察と、裁判官を合理的に説得できなかった検察なのである。

 

弁護人が弁護人の仕事をしていることを否定するなら、弁護人の仕事をそう決めた根拠である近代そのものを止めればいいのである。

別に近代理性が絶対的真理でもなんでもない。《土人》の感情のほうが正しい可能性はある。

人類の歴史、近代たかが200年、それ以前の土人》世界は100000年だ。 

 

近代裁判制度の弁護人が嫌いなら、江戸時代はおろか、熱湯に手を突っ込んで火傷で真偽を占う神前裁判をやってた中世に戻ればよい。

 

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