在日琉球人の王政復古日記

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《靖国映画列伝》大映「悪名一番」(1963年)~朝吉の米VS清次の米。

https://www.kadokawa-pictures.jp/rsz/W1/photo/akumyo_ichiban/akumyoichiban_516_20080124.jpg/w516/

 

今は亡き大映のプログラムピクチャーの傑作「悪名シリーズ」。 

大阪より西が舞台の悪名シリーズで、唯一東京を舞台にした「悪名一番」は、戦争シーンは1つもないが、まぎれもなく「靖国映画」だ。

なんとかtubeから拾ってきたので、削除される前に、実際に見てもらうのが一番だろう。

 

Yahoo!ニュース - 田宮五郎さん死去 故田宮二郎さん次男、浅野ゆう子と交際も47歳で… (スポニチアネックス)

 映画「白い巨塔」の主演などで知られ、78年に猟銃自殺した故田宮二郎さん(享年43)の次男で、俳優の田宮五郎(たみや・ごろう、本名柴田英晃=しばた・ひであき)さんが9日までに死去した。47歳。

 

お父さんの田宮二郎、といえば世間的には「白い巨塔」ということになるんだろうが、個人的には大映プログラムピクチャーの「犬」シリーズ、そして勝新太郎とのバディ・ムービー(主人公がコンビで活躍する映画)「悪名」シリーズのファンである。

 

その「悪名」シリーズの1本「悪名一番」(1963年)は、東宝の「犬神家の一族」と同じく「靖国映画」である。

 

《靖国映画列伝》東宝「犬神家の一族」(1976年)~佐清の顔VS静馬の顔 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《靖国映画列伝》東映「仁義なき戦い広島死闘編」(1973年)~飼い犬・山中VS野良犬・大友~【追悼】菅原文太。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

まず、スーツにハラマキという、清次のファッションが素晴らしい(笑)。

男はつらいよ」の寅さんと同じ、高度経済成長前の日本人の姿である。
 
勝”座頭市”新太郎演じる、大阪に住む、戦中派の兄貴分「八尾の朝吉」は、せっかく東京に出て来たからには靖国神社にお参りするのが当たり前である。
しかし、田宮”白い巨塔”二郎扮する、戦後闇市派の舎弟分「清次」は、なんで兄貴が靖国神社で泣いているのか理解できない。
誤解してならないのは、清次は左翼思想や反戦思想で靖国を拒否しているのではない。そもそも靖国にまったく関心が無いのだ。
 
兄貴分が靖国で泣いているのに、舎弟分は「せっかく花の東京まで来たんやから銀座か浅草見物でっせ。神社やなんてシンキくさい。神社やったら大阪にも住吉大社がありまんがな」といった感覚である(笑)。
 
靖国の意味を判っていない舎弟に激怒して殴り倒す朝吉。
 
勝新「おのれ、何や気にいらんと思たら、やっとわかった。おんどれ、日本人やないわい!」
田宮「わてかて米のメシ食うてる日本人でんがな」
勝新「やったら、明日から米食うたらアカンぞ!」
田宮「むちゃくちゃいうわ、兄貴ぃ~」
 
靖国が判らないヤツは米の飯を食うな!と怒る朝吉。
「この神社」と「米の飯」がどんな関係があるのか?サッパリ判らない清次。
すでに半世紀前から「靖国問題」を始まっているのだ。
 
戦中派の兄貴・朝吉にとって、靖国は「日本そのもの」であり、同じく「日本そのもの」である米の飯と直結する。
戦後闇市派・清次にとって「米」といえば、「メシ」ではなく、憧れの楽園「アメリカ」なのだろう。
 
靖国で泣く朝吉は「靖国派」。
靖国と大阪住吉大社の区別がつかない清次は「非靖国派」である。
 
そして映画後半、浅吉と清次が和解するシーンも重要だ。
清次は、国家の戦争じゃなく民間のケンカでも、世のため人のため悪党と戦って死んだら、このオレだって靖国に祀られる、と言い出す。

 

清次の「一緒に靖国行きまひょな」というセリフの「一緒に」こそが、ある意味、靖国の本質でもある。

「国家と兵士」「陛下と赤子」、ではなく、「生死を共にしたオマエとオレ」のための神社。

靖国は、戦友の、同志の、友情の神社でもあるのだ。

 

しかし、従軍経験者が次々鬼籍に入ってほとんどいなくなった平成の御世、靖国は「友情の神社」という性格を失い、「戦争の正統性」という理屈を主張するための神社に変貌する。

 
この作品は娯楽映画でありながら、立派に「政治映画」でもある。
 

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