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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《アナキズム映画列伝》「エリート・スクワッド」~自由と平等だけの「眠れない」世界(その2)

エリート・スクワッド ~ブラジル特殊部隊BOPE~(予告編) - YouTube

 


Elite Squad - Trailer 1 - YouTube

 

《アナキスト/アナキズム映画列伝》「シティ・オブ・ゴッド」~自由と平等だけの「眠れない」世界(その1) - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

 

人間が眠るためには、自分が眠ってる間、別の人間に守ってもらうしかない。

当然、その別の人間も眠るわけで、彼も守ってもらわないと眠れない。

両者には、お互いにお互いを殺さない、何らかの信頼関係が絶対必要になる。

その信頼関係こそが 「フラタニティ」であり、「政治の起源」である。

人間が眠るためには=生きていくためには、「自由・平等・フラタニティ」の内のフラタニティが決定的に重要となるのだ。

 

近年、フラタニティを日本語で「広く愛する=無差別の愛=博愛」としたのは誤訳であると言われている。

フラタニティ」は英語の「ブラザー」と同じ語源である。よって「兄弟、仲間同士の愛」である。敵は愛に含まれない。よって「友愛」と訳したほうが良いだろうということになっている。

「友愛」だろうが、「同胞愛」「兄弟」「団結」「互助」「血盟」だろうが、イロイロ訳せるだろうが、何であろうとフラタニティは「集団」を意味する。

 

「万人の万人に対する闘争」「万人は万人に対して狼」の世界から抜け出すには、普通に眠るためには、人間は集団を組織するしかない。

 

「オマエが眠ってる間はオレが守る。オレが眠ってる間の命はオマエに預ける」

 

夫婦、親子、兄弟、家族、一族、村落、友人、宗派、軍隊、国家、なんと呼んでもいいけれど、この相互安全保障の基盤となるのが、集団内部の人間と人間との関係であり、相互の信頼関係の構築であり、相互の友好儀礼であり、ルールであり、マナーだ。

それこそが、支那孔子ならば「礼」と呼び、韓非子なら「法」と呼んだモノだ。

世俗からの解脱を願った釈迦の出家集団にすら、集団である限り「戒」があった。

サルの集団すら関係を再確認する「毛づくろい」や「マウンティング」がある。

逆に、「礼」「法」「戒」「毛づくろい」という、《フィクション》が信用できない人間やサルの社会は、治安維持が不可能になる。

 

地元の日系新聞「サンパウロ新聞」。

殺人は10分に1件の割合 「ブラジル治安年報」発表

また、ブラジルで法律の順守が尊重されていないことを裏付けるデータとして、ジェツリオ・バルガス財団(FGV)によるアンケート調査で国民の81%が「法律に背くことは容易だ」と回答していた事例も紹介されている。さらにこの調査では、同じく81%の国民が「ブラジル人は可能であればいつでも法の抜け穴を利用している」と答えたという。さらに、ブラジルでの法による裁きに対して32%、警察に対しては33%の国民しか信頼を寄せていないことも示された。これらの調査は全国8州の7100人を対象に13年4月から今年3月にかけて行われた。

 

自由に殺し合わない為の、平等に全滅しない為の、お互いにお互いを縛り上げる【鎖】、つまりそれが「政治」なのだ。

 

私のいう「政治」とはこういう話である。総選挙がどうした、消費税がどうした、原発がどうした、韓国がどうした、という「高尚」な話題は、そのはるか先にある。

 

人間が「自由」であり「平等」である限り、必ず「政治」が必要になる。
「政治」を無くすには、「自由」と「平等」を放棄するしかない。

そうしなければ、お互いに殺される恐怖で人間が誰一人眠ることができない「シティ・オブ・ゴッド」の世界になる。

 

先日の日記に、 

法VS人間~《決闘》は「暴力」ではない~ボンクラ小僧どもの「国家反逆クーデタ」。 - 在日琉球人の王政復古日記

オレとオマエは対等な人格だ。しかも国家権力は必要ない。
これは自由至上の世界、リバタリアンの世界である。

なぜ、喧嘩・決闘などの暴力行為に、人間は魅せられるのか?
それは、人間がそこにリバタリアン的なアナーキーユートピアを見るからではないかと思う。

 

こう書いたが、今回の話は、これのちょうど逆方向からみた話になる。

自由で平等で、権力の無い世界で、果たして人間は眠れるのだろうか?

 

じゃあ政治があれば万々歳か?、集団になればぐっすり眠れるのか?、といえば、そうもいかない。

1対1の殺し合いが、政治のせいで、集団のせいで、多数対多数の殺し合いになる。

「オマエの命はオレが守る」という兄弟仁義は、敵の大量殺戮の引き金になる。

 

人間が人間を殺さない状態=治安を維持するための暴力装置・警察が、お互いにお互いを守る、仲間内の血の絆、血盟の友情によって、兄弟仁義によって、外部に対して猛烈な殺戮マシーンに化していく。

この古今東西、万古不変の人間社会を描いたのが、映画「エリート・スクワッド」と続編「エリート・スクワッド  ブラジル特殊部隊BOPE」である。

まあ、こっちはブラジルに限らず、アメリカのポリスアクションや日本のヤクザ映画に共通で、普通の政治映画である。

 

どっちにしたって、人間という生物は、とことん呪われた存在ではある。