任侠のアイコン・健さんに続いて、実録の一番星・文太兄イ逝く。
「靖国映画」、というものがあると思ってる。
靖国神社そのものや、戦争を、直接は描かなくとも、「靖国の本質」や「靖国を巡る日本人の思想的対立」を的確に描いている映画である。
《靖国映画列伝》東宝「犬神家の一族」(1976年)~佐清の顔VS静馬の顔 - 在日琉球人の王政復古日記
《靖国映画列伝》大映「悪名一番」(1963年)~朝吉の米VS清次の米~田宮五郎さん死去「大映・田宮二郎」 - 在日琉球人の王政復古日記
文太兄イ追悼の意を込めて、東宝「犬神家の一族」、大映「悪名一番」に続いて、第3弾は東映編。
まず、今さら「仁義なき戦い」を語ろう、というのが無謀である(笑)。
もはや、映画本編の何百万倍も語りつくされているからだ。
日本映画史上、これくらい「信者」の多い映画も珍しい。
もちろん、映画スタアとしての「格」でいえば、高倉健のほうが菅原文太より上であった。健さんの「昭和残侠伝」だって「網走番外地」だって熱心なファンはたくさんいる。しかし「仁義」だけは、健さんだって太刀打ちできないくらい膨大な信者を抱えている。東宝ゴジラ特撮ファンや宮崎アニメファンに匹敵するのではないか?
それは主演の文太一人の力量ではない。
監督・深作欣二、脚本・笠原和夫はもちろんのこと、ワキを固めた東映ボンクラ役者軍団、そして潰れた大映や日活から流れてきた成田、アキラ、芽衣子ちゃんなどなど、たまたまキャリアの旬を迎えていた役者・スタッフたちの奇跡的なオールスター核融合大爆発映画なのだ。
健さん映画は他の出演者が誰であろうが、基本的にスタア健さんの映画だが、仁義は文太だけでなく、登場人物全員が主役といっても過言ではない。
だから仁義信者は、文太ファンだけではない。千葉フリークもいれば、欣也一筋もいれば、アキラ推しもいれば、拓ボンの映画だと言い張る人もいれば、金子信雄が主役だとする人もいるし、セリフゼロ(笑)の一瞬出演・丹波御大が一番だという人もいる。
私にはちょっと想像が付かないのだが、平成の今、まだ「仁義」を見たことがないオトコも現実世界に存在するらしいのだ。まあ女性はしょうがないにしても、キンタマをぶら下げておいて、「仁義」を通過してないなんて、いったい、何のために生きているのだろう(笑)? それでちゃんと毎日呼吸が出来ているのが不思議だ。
「仁義なき戦い広島死闘編」は仁義サーがの2作目。
今作は通しの主役・文太も一歩下がり、
東映城の若様・北大路欣也演じる特攻崩れの殺人マシーン・山中正治と
世界のソニー千葉演じるタガの外れた欲望超特急・大友勝利 の
2匹の人間凶器が原爆で焼けた広島の街を暴走しまくる。
山中は「飼い犬」にならないと生きていけない「忠犬」である。
本当なら特攻で死んでいたはず=靖国に祀られていたはずの彼は、終戦で靖国に行き損ねてしまう。首輪を引っ張って走る方向を教えてくれるご主人様がいなくなって途方にくれる。
彼は広島を牛耳る村岡親分に「国家」の代わりを見い出す。新しいご主人様のために(といいながら、本当は自分自身のために)もう一度大東亜戦争を始めるのである。
山中が村岡から貰った腕時計を寝る時もセックスする時もずっと付けたままであることは象徴的である。村岡の腕時計はご主人様が付けてくれた飼い犬の「首輪」なのだ。
山中は、村岡の姪である未亡人・梶芽衣子(女囚さそり)と恋仲に落ちる。彼女の夫は戦死して靖国神社に祀られている。
名前はズバリ【靖子】である。「靖国」を失った山中は「靖子」を手に入れる。
こうなれば、彼が《特攻》で死んでいくことは確実であろう。
大友は「野良犬」でないと生きていけない「狂犬」である。
自分のご主人様は他の誰でもない自分である。他人は、たとえ実の親だろうが、主人ではない。親子の情という「首輪」も、神農道(テキヤ)のオキテという「首輪」も、もちろん国家の法律という「首輪」も、すべて拒否する。
国家もなければ組もない。「親」も「親分」もなければ、兄貴分も舎弟分も、法律も警察も、義理も人情も愛情も同情も涙もない。
彼が忠誠を誓うの自分の欲望だけだ。旨いメシが食いたい、マブいスケを抱きたい、カネが欲しい、広島が欲しい、邪魔な村岡組を潰したい、だから他人を殺す。清清しいほど単純でクリアな欲望一直線である。
「広島死闘編」を見て、大友勝利に憧れたことのない男はキンタマが無い。断言する(笑)。
山中は靖国神社で自決できる男であろう。
靖国の砂利道に胡坐をかき、愛・憎の二つのタマを込めた拳銃を喉の奥に突っ込み、あの巨大な鳥居に自分の脳みそを飛び散らすことができる男である。
大友は靖国の鳥居に笑いながら立小便のできる男である(笑)。
そもそも、お化けは怖がっても、霊魂なんて信じない男だ。
鳥居に小便を引っ掛けながら「オウオウ偉そうにし腐って、ナニがヤスクニなら? エーレーいうんがおるんなら、勝負しちゃるけん、出て来いヤ!」と吼えることができる男である。
山中は靖国で立小便なんか絶対できないし、
大友はどこであろうと自決なんて絶対できない。
この2匹のキャラは、戦中派の脚本・笠原和夫と戦後闇市派の監督・深作欣二の「代理戦争」でもある。
戦中派・笠原の愛憎入り混じった執念が乗り移った山中正治は「靖国派」、
闇市派・深作が面白がった大友勝利は「非靖国派」である。
「靖国派」
八尾の朝吉@大映「悪名一番」
「非靖国派」
清次@大映「悪名一番」
という感じである。
《リバタリアン映画列伝》東映「仁義なき戦い広島死闘編」(1973年)~【追悼】菅原文太~「美味いもん食うて、マブいスケ抱くために、生まれてきとるんじゃないの」 - 在日琉球人の王政復古日記