女性は大変だねえ。
私のような怠け者には、化粧、生理、脱毛、などなど、女性特有の雑多な定期作業をこなすのは絶対無理(笑)。
ホント、私はオス(しかもモテル要素がはじめから皆無の)でヨカッタ。
斬新すぎる・・・「ワキ毛カラー」アメリカのおしゃれ女子で、流行中 - withnews(ウィズニュース)
しかし、ホモサピエンスのメスが、昔からワキ毛を剃っていたわけじゃない。
たとえば日本なら、江戸時代の浮世絵美人画なんかにも堂々とワキ毛は描かれている。
つまり江戸時代の男は、女性のワキ毛を嫌ってないのだ。
ちなみに陰毛もボーボーだ。
近代以降も、花も恥らう年頃の女学校、NHK朝ドラの「花子とアン」なんかの良家のお嬢さん方も、ワキ毛はボーボーだったはずである。もろチン、じぇねえや、もちろん、陰毛もボーボーだ。
遊郭のお女郎さんが剃っていたかどうかはちょっと知らないが、おそらく整えていたとは思うが、ツルツルにする文化は無かったと思う。
日本だけでなく世界的にも女性がワキ毛を剃らない文化は多かった。というか剃らないのが世界の大多数だった。
典型例はラテン諸国だろう。
イタリアの映画女優なんか、戦後しばらく間まで、ワキ毛を「セックスシンボル」として積極的に見せていたくらいである。
三浦瑠麗たんには、こういうのを期待したい(>_<)!
#朝生 朝まで生テレビ ~右だけでなく左だけでなく両方ともヤバい~最も危険な政治学者・三浦瑠麗。 - 在日琉球人の王政復古日記
ただし、私は変態性欲者ではない(>_<)!
一般日本女性がワキ毛を剃るようになったのは、戦後高度経済成長以降だ。
その要因は、当時からワキ毛を剃っていた、当時は世界の少数派・アメリカ文化の浸透である。
その本家アメリカだって、本格的に剃るようになって、たかが100年ちょっとである。
そもそも日本でワキ毛処理が始まったのは、日本女性が「ワキの見えるような服装」をしだしたことにある。
昔どおり普通に和服を着てる限りにおいて、ワキやスネを外部にさらすことはない。さらすことのない部分は手入れする必要がないわけだ。しかし洋装が主流となりスカートとノースリーブでワキやスネを見せることが当たり前になってから、ワキ毛やスネ毛が気になり始めたわけだ。
現時点でも、一般日本女性が、まだ陰部をパイパンにするのが主流になってないのは、たとえ夏であろうが一般生活で陰部を外部にさらすことがないだけの話だ。
しかしビキニを着るのに、陰毛無処理でボーボーという度胸のある日本女性は少ないだろう(笑)。
すでに「ハイジニーナ」とかいう、男性の包茎手術と宣伝方法や業界の手口がよく似た「恐喝商売(笑)」が始まってるようなので、遠からず、パイパンがワキ毛処理と同じくらい普通のエチケットになる可能性は高い。
どうやら、女性の作業は、減るどころか、増える一方のようだ。ご苦労様。
さて、男もワキ毛を剃るようになるのかどうか?・・・これはなんとも言えないが、可能性はないではない。
女性がワキ毛を嫌えば、男性は脱毛するしかないだろう。
というわけで、ワキ毛のジェンダー的役割は、女性のワキ毛処理は、もちろん政治的にもエロス的にも面白い話だとは思うが、たかだか100年の歴史しかない。
ワキ毛よりもっと不思議なのは「頭髪」のほうである。髪の毛だ。
平成の御世、長髪も、アフロも、七三も、スキンヘッドも、各人の趣味だが、そんな手前勝手が許されたのは、つい最近、フランス革命以降、つまり近代の話である。
江戸時代なら、マトモな男はみんな月代を剃るチョンマゲである。
チョンマゲでないのは、僧侶、山伏、乞食、公家、医者、つまり一般人ではない。
髪型は身分や職能を表すものであり、個人のファッションではないのである。
そもそもチョンマゲの起源は、中世武士が兜による頭部の「蒸れ」を防ぐための、いわば戦闘時のみの臨時ヘアスタイルだったのが、戦闘が常態になった戦国時代に通常のヘアスタイルになり、それが、戦争に参加しない百姓にも広まり、戦争のなくなった江戸時代にも残り、兜もかぶらないのに頭部を剃るのが普通になった。
江戸時代の町人にとって、チョンマゲにする合理的な理由は何もないのに、それが文化コードになったわけだ。
現在のネクタイに、もはや防寒や手拭の役割はないのに、マナーとして締めているのと同じである。
支那や朝鮮も日本同様で、形が違えど「マゲ」を結うのがマトモな人間の証明であり、結わないのは、僧侶、呪術師、罪人、狂人、つまり社会の外部に放逐されてた「人間ならざる人間」扱いになる。
そして男だけでなく、女性も、文化と社会によって頭髪の形態を規定された。個人の勝手では変えられないのが人間の歴史である。
平成・成人式の花魁、江戸時代の島田髷、李氏朝鮮の妓生チョゴリ~女性は娼婦を真似る。男はヤクザを真似る。 - 在日琉球人の王政復古日記
そして、古今東西、人類の築いたあらゆる文化の中で、男の頭髪の長さは長短さまざまだが、女性の頭髪の長さが男性よりも短い文化は、おそらく全く無い。
人類の歴史は、常に、女性の頭髪の長さが男性よりも長いのである。
サルのオスとメスの間で頭髪の長さに差はない。
つまりは人類がサルから分かれた後、1万年か、ひょっとしたらもっと前から、人間の女性は髪の毛を伸ばし続けたわけだ。
古今東西ほぼ共通の、男性より長い女性の頭髪こそ、ワキ毛以上に、ジェンダー的強制であろう。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ?」~ムスリムロリータVSボーヴォワールVSムハンマド。 - 在日琉球人の王政復古日記
ひょっとしたら、ジェンダーなんて言う小さな話ではなく、「メスがオスより頭髪を長く伸ばす」文化が発生したのが、人類の始まりだったりするのではないか?
メスがオスより頭髪を長く伸ばし始めた、その瞬間、「メスとオス」が「女性と男性」に、猿が人類に、進化(かどうかは別にして)したのではないか?
そもそも同じ体毛のうち、ワキ毛やスネ毛や鼻毛は嫌われるのに、なぜか頭髪と睫毛だけはフサフサであることが好まれるのも不思議である。
女性は、ワキ毛やスネ毛は必死で剃るのに、頭髪にはウィッグを付け、マツゲも付け睫毛で伸ばす。
特に頭髪は男性でもフサフサを好む。 これは何故なんだろうか?
なぜ、ワキ毛やスネ毛を嫌うのに、頭髪と睫毛だけは嫌わないのか?
なぜ、機能は同じマツゲとハナゲで、マツゲは目立つように増量するくせに、ハナゲは外から見えてはいけないのか?
衛生が目的ならば、スキンヘッドが一番清潔である。不合理なチョンマゲが長く続いたのと同様、合理的理由ではなかろう。
人間は、体毛を好み、体毛を育成する。
同時に、体毛を憎み、体毛を除去する。
人間にとって、ワキ毛と頭髪の間に如何なる相違があるのか? 生物的にはまったく同じ機能の2つの体毛に、どんな意味の違いを見出しているのか?
ここら辺に、冗談でなく、ユダヤ教や儒教や仏教とつながる、「人間が動物ではなく人間であるための何か」が潜んでいるはずだと思っている。
学校教育から「歴史」という害毒を排除しよう!~歴史好きは精神病である。 - 在日琉球人の王政復古日記