在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《キリスト教映画列伝》「アレクサンドリア」(2009年)その1~イスラム国ISISとトランプ大統領~偶像破壊、レーニン像、朝鮮神宮。

「イスラム国」また遺跡破壊映像 世界遺産のハトラ遺跡:朝日新聞デジタル

 過激派組織「イスラム国」(IS)が、イラク北部にある世界遺産、ハトラ遺跡を破壊する映像がインターネット上に新たに公開された。戦闘員とみられる男たちがハンマーやつるはし、ライフルを使って石像を次々に壊している。

 


Video Shows IS Group Destroying Iraq's Hatra

 

まるで、この現実をそのまま描いたかのような、全くそっくりな破壊シーンが出てくるのが、この映画だ。

 


映画『アレクサンドリア』予告編

 

イスラム国ISISは「野蛮」である。

野蛮とは、暴力が、その本質ではない。

暴力だけなら、ヤリしか持たないアフリカの狩猟民より、自動小銃爆撃機や戦車を使いまくる近代欧米の方が、よっぽど無茶苦茶である。

野蛮とは、他者への理解の欠落した、他者への関心がない、というか他者への理解を拒否した態度をいう。

 

この世界には、自分たちの知らない、自分たちの常識にはない、自分たちの日常から遠い、「何か」が存在する。

なぜか青い空、なぜか赤い夕日、なぜか空を飛ぶ鳥、なぜか海で溺れない魚、変な服装をした他の部族、燃える火、必ず下へ落ちる物体、この世の起源、この世の終わり、生まれること、死ぬこと、恋する心、美しいと思う気持ち、、、

それはナゼだろう?それはナンだろう?と考えるのが、哲学であり、科学であり、芸術と呼ばれる。

 

逆に、不可思議なことは考えない、不可思議を不愉快に感じる、われわれの安定を脅かす不可思議は許さない、不可思議なモノは視界から消し去る、破壊する、抹殺する、という態度が「野蛮」である。

 

そもそも、イスラムだけが「野蛮」なのではない。

その生みの親のキリスト教も、始祖に当たるユダヤ教も、その本質は「野蛮」だ。

だって、この3つの宗教は「われわれにも知らない世界がある」「自分たちの外部にも優れたモノがある」とは原理的に認めないからだ。

宇宙のすべては、我らの書物(旧約・新約聖書コーラン)に記述されている。

それ以外に真理も美しいモノも優れたモノも存在しない。他者の価値は認めない。

それがユダヤキリスト教イスラム、いわゆる「アブラハムの宗教」である。

 

現在の欧米のキリスト教が野蛮でない、ように見えるのは、現実と妥協した、教義の本質から逸脱した、堕落した、怠惰な姿であり、もし昔のように本気になったら、キリスト教イスラム国ISISとなんら変わらない。

 

実際、21世紀のアメリカだって、共和党支持のレッドステート(赤い州)では、ダーウィン進化論や中絶や同性愛に対して、物分りはまったくよくない。

 

「宗教の自由法」全米で物議、同性結婚式の花販売拒否 インディアナ州 「同性愛者差別を助長」アップルCEOも参戦(1/2ページ) - 産経ニュース

 

そのキリスト教が、まだ若かった、「むき出し」だった時代を描いたのが、映画アレクサンドリアである

 

この映画に登場する、当時の新興宗教キリスト教徒の姿は、伸ばした髭に、黒いターバン姿、われわれが持つイスラム教徒のイメージそっくりだ。

場所が現在の中東だからそういう服装はおかしくはないが、しかしこのファッションはわざわざイスラムをイメージするように演出しているのだろう。キリスト教イスラムと変わらない、というメッセージである。 

彼ら新興キリスト教徒が、街中のギリシャローマ神話の神像を破壊し、聖書に反するくせに「真理を記述している」と僭称する悪魔の書物を満載したアレクサンドリア図書館を燃やすシーンは、まるまる イスラム国ISISそのものである。

 

というわけで、われわれ、イスラムキリスト教を信じぬ不信心者、そして無自覚に欧米近代の科学万能主義に洗脳された人間から見れば、野蛮は悪いモノ、哲学、科学、芸術は良いモノ、となるのが原則ではあるが、そうとばかりも言い切れない。

アフリカの狩猟民だって残虐だが、世界中を植民地にした近代欧米だってさらに残虐だ。

イスラム原理主義アルカイダイスラム国ISISだけが残虐なのではない。中東をかき回しイラク戦争をやらかしたアメリカや、パレスチナをイジメまくるイスラエルだって残虐だ!・・・という意見も一面の真理である。

そもそもアメリカ軍は、近代文明・近代科学がなければ存在できない。

野蛮も残虐であるが、文明が生んだ哲学、科学、芸術だって残虐だ。

 

この映画の主人公・女性天文学者ヒュパティアも、彼らの属する滅び行くギリシャローマ文明の知識階級も、まるっきりの正義ではない。彼らの冷酷で傲慢な側面もちゃんと描かれている。彼らの冷酷かつ傲慢な知性を狂信する態度が、野蛮で反知性主義キリスト教徒を増殖した面はあるのだ。

 

われわれは、イスラム国/ISISが中東の古代遺跡を破壊するのを野蛮と批判するが、

じゃあ、日本から独立した朝鮮人京城に鎮座した「朝鮮神宮」を破壊したのも野蛮か?

嫌韓派はその通りだ!と言うだろうけど(笑)、じゃあソ連崩壊後、ロシアや東欧各地で発生した「レーニン像」の破壊も「ベルリンの壁」の破壊も野蛮なのか?

中東の古代遺跡が歴史を伝える産物であるのと同様に、朝鮮神宮も朝鮮半島史の歴史的建造物だし、レーニン像もベルリンの壁も20世紀の歴史的建造物である。

日本人だって同じだ。嫌韓派が潰したがっている朝鮮総連本部ビルだって日本戦後史の貴重な歴史的建造物ではないか。文化遺産として保護すべきではないか。

日本人はオウム真理教の建造物サティアンをそのまま残したか?

 

仮に、日本列島が北朝鮮に支配されたとして、その後日本人が独立を回復した後、皇居のど真ん中に立った金正恩クンの巨大銅像はそのまま残すだろうか?朝鮮神宮のように破壊しないのか?

 

中東に遺跡を残した古代国家だって、確実に他者を侵略した人殺し帝国だったはずである。その帝国に殺された人々は、大事にされた遺跡に何を感じるだろうか?

 

中東の古代遺跡は、朝鮮神宮やレーニン像や朝鮮総連ビルと何が違うのか?

違うのは、われわれは被害を受けた当事者ではない、というだけなのである。

モノゴトが過去のものなったから、やっと、遺跡だから保存しましょう、という気分になれるのである。

どんな地域に生きる人にも、いくらなんでも目の前にあるのは我慢できない!というモノは、確実にある。

 

なにもイスラム国ISISを肯定しようというのではない。

人間はどこまでいっても厄介な存在である、ということだ。

 

映画「アレクサンドリア」(2009年)その2~奴隷制度・格差社会のローマ帝国VS信者平等・ #反知性主義 の原始キリスト教。 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。