さて拙ブログは、極々たまーに、政治関連のことも書くんですが(汗)、その際、私がいろんな政治的事象を考察する上で大前提としている、基本的かつ総合的な考え方・捉え方の「フレーム」とでもいうべきお話を。
あなたが政治を考える際、右だろうが左だろうが、細かい意見は異なろうが、以下の3つの内、どれかに当てはまる。
実現可能な、かつ妥当性のある政治路線は、
A.自由主義(ネオリベ):個人重視。資本主義と言い換えても可。
B.社民主義(ソシアル):弱者重視。左翼、リベラルと言い換えても可。
C.保守主義(コンサバ):国家重視。右翼、ナショナリズムと言い換えても可
の3つである。
「たった3つしかない」とも言えるし、「2つでなく、3つもある」とも言える。
「ポリティカル・コンパス」というモノがある。ノーラン・チャートとも呼ばれる。
タテでもヨコでもいいが、
1つの軸が「経済的自由(弱肉強食)---経済的統制(福祉社会)」
もう1つが「社会的自由(無秩序)---社会的統制(秩序)」
で座標軸を作る。
つまり「政治の平面」は4分される。
A.経済的自由&社会的自由
B.経済的統制&社会的自由
C.経済的自由&社会的統制
D.経済的統制&社会的統制
じゃあ、現実的な政治路線は「4つ」か?といえば、そうはいかない。この組み合わせには相性が悪いモノが含まれる。
まず、相性が良い組み合わせは「A.経済的自由&社会的自由」。
というか、経済的自由を追求するには社会的自由しかありえないし、
社会的自由を突き詰めれば、経済的自由になる。
本当はリベラルと呼びたいが、リベラルには全く別の社民主義的意味合いが付いてしまっているので、ネオリベと呼ぶしかない。
ネオリベを極めた先にあるのが、最近はポピュラーになってきた「リバタリアン」である。だからリバタリアンと言い換えてもいいが、4文字で統一したいんで(笑)、ネオリベとしておく。
正反対の「D.経済的統制&社会的統制」も相性が良い。
代表例は、ファシズム=共産主義だ。
しかし、実現可能であっても、妥当性のある政治路線ではない。
残りの
B.経済的統制&社会的自由
C.経済的自由&社会的統制
は、そのままでは上手く行かない。
「B.経済的統制&社会的自由」は、いわゆる「左派」の理想である。
「C.経済的自由&社会的統制」は、いわゆる「右派」の理想である。
しかし、この2つの路線は無理がある。
経済的統制は結局、社会的自由を窒息させる。
社会的自由は結局、経済的統制を崩壊させる。
経済的自由を進めれば、社会的統制を乱す。
社会的統制を進めれば、経済的自由は実現しない。
つまり、左派の理想、右派の理想、は双方実現困難なユートピアなのだ。
ファシズム=共産主義の方が、よっぽど整合性がある。
「B.経済的統制&社会的自由」が経済的統制を捨てれば、自由主義(ネオリベ)に近づき、
「C.経済的自由&社会的統制」が社会的統制を捨てれば、自由主義(ネオリベ)に近づく。
「B.経済的統制&社会的自由」が社会的自由を捨てれば、ファシズム=共産主義に近づき
「C.経済的自由&社会的統制」が経済的自由を捨てれば、ファシズム=共産主義に近づく。
よって妥当性を考えれば、
「B.経済的統制&社会的自由」は「経済的統制&社会的【中庸】」となり、
「C.経済的自由&社会的統制」は「経済的【中庸】&社会的統制」となる。
「B.経済的統制&社会的中庸」が社民主義(ソシアル)であり、
「C.経済的中庸&社会的統制」が保守主義(コンサバ)となる。
この3つの政治思想が正三角形を形成する。
A.自由主義(ネオリベ):経済的自由&社会的自由
B.社民主義(ソシアル):経済的統制&社会的中庸
C.保守主義(コンサバ):経済的中庸&社会的統制
近代はフランス革命に始まる。
フランス革命のスローガン「リベルテ・エガリテ・フラテルニテ」。
「自由・平等・博愛」と和訳されるが、「博愛」は誤訳ともいわれる
「フラテルニテ」は兄弟ブラザーと同じ語源なので、三国志の「桃園の誓い」つまりは「義兄弟」と同じだ。なので広く無差別な愛=博愛ではなく、同胞愛=友愛という和訳もある。「団結」とも「血盟」とも言えるだろう。
つまり、
A.自由主義(ネオリベ):自由(リベルテ)
B.社民主義(ソシアル):平等(エガリテ)
C.保守主義(コンサバ):血盟(フラテルニテ)
の3つなのである。
われわれは、全員、この3つのどれかに当てはまる。
あなたがファシストやボリシェビキで無い限り(笑)。
われわれは、フランス革命以降、右翼VS左翼、保守VSリベラル、というフレームで政治を考えてるが、それは間違いではないにしろ、正確には、右と左の「2つ」の対立ではなく、ネオリベ、ソシアル、コンサバの「3つ」の対立だと考えた方が、イロイロなことが判りやすいのだ。
ソシアルから見ると、ネオリベとコンサバは仲間に見える。
しかし、ネオリベとコンサバは異なる。
たとえば「金持ちの支那人朝鮮人」と「貧乏な日本人」どっちを友達にしたいか?
「金持ちの支那人朝鮮人」と答えるのが、ネオリベであり、
「貧乏な日本人」と答えるのが、コンサバである。
もし可能なら、明治神宮を地上げして高層マンションを建ててゼニ儲けしたい。
こう考えるのが、ネオリベであり、
激怒するのが、コンサバである。
ネオリベ(リバタリアン)から見れば、
税金を高くする弱者救済のソシアルは敵だし、
支那の株式相場で儲けたいのに、支那を目の敵にするコンサバは邪魔な存在だ。
コンサバから見れば、
国家や民族を重視しないインターナショナルな連中という意味では、ソシアルもネオリベも売国奴である。
大阪都問題も、集団的自衛権も、TPPも、安倍ちゃんのアメリカ議会演説も、イギリス総選挙も、この3つの思想の対立だと考えると、わかりやすい。
この3つの思想は、経済だけでなく、軍事・安全保障分野でも、内政でも外交でも、対立する。
例えば、安全保障の世界では、
民主主義・社民主義なら「徴兵制」。自由主義・資本主義なら「民間軍事会社」。保守主義なら「士農工商」。 - 在日琉球人の王政復古日記
ネオリベなら、志願制→外国軍→民間軍事会社→傭兵、となる。
ソシアルなら、国民徴兵制、または、非武装中立、になる。
コンサバなら、武士の復活、士農工商となる。
政治に直接関係なさそうな文化の話題でも、大きく対立する。
たとえば、ジェンダー問題、女性差別問題をどう考えるか?という話でも、ネオリベ、ソシアル、コンサバの3つが、お互いに対立する。
「おしゃれ小学生」VS「イスラム国&タイタニック号」VS「ジェンダーフリー&フェミニズム」~地獄のジェンダー三国志~ - 在日琉球人の王政復古日記
「オシャレ小学生」の思想はネオリベであり、
政治で問題なのは、政治路線は「3つ」もあるのに、政治の闘争は賛成か反対かの「2つ」しかないことにある。
現実の政治は、2大政党制でなくても、政党が10あろうが100あろうが、結局、与党と野党の「2つ」のどちらかであり、法案Aに賛成か反対か「2つ」しかない。
戦争責任なら、ソシアル VS コンサバ+ネオリベ連合 となり、
TPP問題なら、ネオリベ VS ソシアル+コンサバ連合 となり、
外国人移民には、コンサバ VS ネオリベ+ソシアル連合 となる。
2大政党の難しさはここにある。
実際は、だいたい「ソシアル」政党と「コンサバ+ネオリベ」政党に分かれる。
アメリカ 民主党VS共和党
イギリス 労働党VS保守党
ドイツ 社民党VSキリスト教民主同盟
これはコンサバとネオリベが組み易い、というより、ソシアルの支持母体が一番大きい(どこの国でも貧乏人が一番多い)為、コンサバとネオリベは手を組まないと対抗できないからだ。
しかしソシアルが弱くなると、コンサバとネオリベが内ゲバを始める事になる。
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