在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

西遊記の玄奘三蔵VSマルコ福音書のフランシスコ・ザビエル

この傲岸不遜に恐怖せぬ者は幸いである。平穏は汝のものである。

 

全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

(マルコ福音書16:15) 

 

つまるところ、「これ」に尽きる。

 

この世のあらゆる幸いと、それに千倍するあらゆる災いは、この神の命令から始まる。

ヨーロッパ文明が、イスラム文明を破り、インド文明を倒し、支那文明を潰し、世界を制覇した、その原動力はここにあると思う。

 

北朝鮮、拘束の韓国人2人に無期懲役 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

2015/6/23
【6月23日 AFP】北朝鮮最高裁判所は23日、同国で身柄を拘束されていた韓国人男性2人に対し、韓国の情報機関のためにスパイ活動を行った罪などで無期労働教化刑(無期懲役に相当)の判決を言い渡した。北朝鮮の国営メディアが伝えた。
 2人は、金国紀(キム・グッキ、Kim Kuk-Gi)氏と崔春吉(チェ・チュンギル、Choe Chun-Gil)氏。北朝鮮朝鮮中央放送(KCBS)によると、朝鮮労働党政権の転覆を図った罪でも有罪となった。
 金氏と崔氏は、北朝鮮密入国した後に当局に拘束された韓国人4人の中の2人。韓国の教会関係者によると、4人のうち2人は伝道師だった。北朝鮮当局は今年3月に金氏と雀氏の身柄拘束を発表した際、2人が同国の国家・軍事機密や政権中枢に関する情報収集を行う「凶悪なテロリスト」として活動していたと非難していた。雀氏は昨年12月に北朝鮮国境警備隊に拘束されたが、金氏がいつ拘束されたのかは明らかになっていない。
 韓国政府は2人の釈放を再三要求していた。韓国統一省は今回の判決に「深い」遺憾を表明し、北朝鮮の一方的な決定を受け入れることはできないと述べた。(c)AFP

 

だいたい、北朝鮮密入国して、金さん一家崇拝以外の宗教を広めようとしたらどういう目に会うのか?考えれば普通にわかる話だ。

しかし、行っちゃうのである。イエスが彼らを行かせるのだ。

 

そういや、最近、こういう騒動もあったらしい。

 

ヒンズー教を信じたから地震が起きた・・韓国医療チームの発言に現地住民が憤慨、韓国ネット「帰ってこないでほしい」「お前らのせいで嫌韓が生まれる」 (FOCUS-ASIA.COM) - Yahoo!ニュース

2015/05/15
記事によると9日、ネパールのオンラインメディア「ハバール」(HABAR)が「韓国から来た救助隊の一部が、被災して苦しんでいるネパールの避難民に対し、ビタミン剤を数粒と聖書を渡している」とし、「今回の地震はイエスではなく、ヒンズーの神を信じて起きたことだから、イエスを信じなければならないと言った」と伝えたという。

 

そしてこれも、韓国系日本人がイエスに導かれて、日本で起こした騒動であった。

 

メシアとは「油を塗られた者」~罪の女、マリア、ユダ、イエスの香油戦争。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

一般に日本人は、これらの韓国人を批判するが、彼らのやってることは、500年前にわざわざ喜望峰を越えてアジアへ、そして戦国乱世の日本へやって来たバスク人フランシスコ・ザビエルとなんら変わらない。

キリスト教徒は2000年前からこういうことを世界中でやり続けてきたのだ。

 

たとえば、シーシェパードなど動物愛護派や環境保護派を動かしている、あのワケのわからないエモーションと使命感とエネルギーも、結局はここから派生したものなんだと思う。

シーシェパードたちの、相手の言い分に聞く耳を持たない態度、自分勝手な倫理の押し売り、金を集め、人を集め、危険を冒し、感情的に対立している国の警察に逮捕されることを覚悟で、相手の船に乗り込む、そのムチャクチャな行動力とクソ度胸は、どこからわいて来るのか? 

彼ら欧米の動物愛護派や環境保護は、マルコ福音書を頭から信じて、ユーラシアの西の果てから、アフリカへ、アメリカ大陸へ、インドへ、極東へ、死を覚悟して、海を渡った白人達の末裔なのだ。

 

イベリア半島から大西洋、喜望峰からインド洋、東南アジアから東シナ海支那、そして日本。21世紀ではない。500年前の交通事情・科学レベルである。途中で死なないことが奇跡だ。フランシスコ・ザビエルがやらかした伝道の旅を、冷静に考えれば、とてもではないが、日本人にはマネできない。 

失礼ながら、日本の神道には、何千キロもの海を乗り切る狂気と情熱を生み出せない。

 

もちろん仏教は、三蔵法師をして、真の釈迦の教えを求めさせて、中央アジアの砂漠を歩ませ、ヒマラヤの絶壁を越えさせた。これもまた想像を絶する苦難である。

 

しかし、仏教は「知りたい人間」に旅をさせたのだ。

三蔵法師は旅の行く先に「輝く仏国土」がある事を知って旅に出た。旅先に待つのは浄土であり希望である。一歩一歩ハッピーに近づく旅だ。

 

対して、キリスト教は「教えたい人間」を旅をさせた。
ザビエルの旅の行く先には、福音を知らぬ、つまりは「暗黒と無知と野蛮の荒野」があるだけだ。旅先に待つのは確実に地獄なのだ。一歩一歩暗黒に近づく旅だ。

 

それでも彼ら福音の徒は地の果てまで旅をする。

この、自分達は正しいと信じて疑わない、異教徒の言い分を聞く耳を全く持たない、正しいことをする自分達は最終的に勝利するのであって、失敗するなんてカケラも予想しない、このムチャクチャな精神的タフネスこそが、ヨーロッパに世界を制覇させ、シーシェパードに敵対国の船に乗船させたのだ。

 

受けるよりも与える方が幸いである。
使徒言行20:35) 

 

この押し売りの前口上に恐怖しない者は幸いである。極楽はあなたの頭だ。

 

「仏法を知りたい、仏典を学びたい」と三蔵法師は、聖地インドを目指して、中央アジアを踏破した。

「地の果てまで福音を述べ伝えよ」とザビエルは、大西洋・インド洋・東シナ海を越えた。

 

三蔵法師は自分が欲しいモノを求める。いたって健全な精神である。

 

ザビエルは相手に必要なモノを届ける。しかし本当に相手に必要なのか不要なのかは、こっちの神様が決めるのであって、相手が決めることではない。「小さな親切・大きなお世話」を全世界規模で展開する、近所迷惑極まりない。

 

三蔵法師は「受ける」旅だ。ザビエルは「与える」旅だ。

しかし、当然ながら、聖書は三蔵法師よりザビエルのほうを祝福する。