みなさんが政治を考える時、どっちの立場だろうが、「右翼VS左翼」または「保守VSリベラル」と分けるだろう。
フランス革命以来の伝統で、これはこれで間違いではないのだが、現実は「二者対立」ではないことが多い。
大阪都構想、ジェンダー問題、外交問題、そして安保法制も、多くの政治問題、経済問題。文化問題は、実は、
自由主義(ネオリベ):資本主義、リバタリアンと言い換えても可。
社民主義(ソシアル):民主主義と言い換えても可。
保守主義(コンサバ)
の三つ巴なのだ。
安全保障の中核・徴兵制も、この3つの陣営で対立する。
ネオリベVSソシアルVSコンサバ~現実的な政治路線は「3つ」しかない。あるいは「3つ」もある。 - 在日琉球人の王政復古日記
ソシアルとは、民主主義、社会主義、平等重視、差別解消である。
コンサバとは、保守主義、反近代主義、秩序重視、身分構造である。
例えば軍事の人員確保において。
ネオリベ(自由主義・資本主義)は、苦役の強制である「徴兵制」に反対する。
自由主義だから「職業選択の自由」である。よって当然「志願兵制」になる。
兵士になりたい人間が兵士になればいい。言い方を変えれば、生活に困ってるのに他の稼ぎ口の無い人間が兵士になればいい。つまり貧乏人が兵士になればいいのだ。
もっと進めば、兵士が国民である必要もない。就職はオープンな自由市場であり、国民と外人で差別があってはならない。
軍事の目的・安全保障さえ達成されるのならば、アウトソーシングで十分だ。
自国の軍隊である必要はない。外国軍の駐留でも同じだ。つまり日米安保条約もネオリベ思想なのだ。
費用対効果がよければ、外人部隊、傭兵、民間軍事会社で十分である。
「安全保障にはカネがかかる。コストメリットがあるのなら、外国人の傭兵でいいじゃないか」・・・これがネオリベだ。
もっと過激に進めば、「軍隊自体不要だ。武装したい民間人が勝手に武装すれば?」ということで、 アメリカ憲法修正第2条「人民=民兵=ミリシア」の登場となる。これが、リバタリアン、アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)の理屈だ。
ソシアル(民主主義・社会主義)は、ソシアルこそがズバリ「徴兵制」となる。
え!?・・・意外と思われるかもしれないが、ソシアルにとって最も重要なのは「みんな平等」「差別反対」ということだ。
平等を重視するなら、金持ちは兵役を回避して楽できる、貧乏人が他にメシが食えなくて兵役で苦労する、そんな志願兵制は完全な差別である。
そもそも近代徴兵制の始まりはフランス革命だ。もともと徴兵制は民主主義と共に生まれた一卵性双生児なのである。革命で勝ち取った「この国」はわれわれ全員の共有財産だ。だったら全員で守るのが当たり前になる。
「国民皆兵」「みんな兵隊」・・・これがソシアルの立場だ。
ただし、その国の歴史的経緯から「この国はオレたちが勝ち取った!」という気分がどうしても持てない場合がある。
たとえばAという集団がBという支配者を倒して新しい国ができたが、そんなことは大多数であるオレたちCが望んだわけじゃない。ここはオレの勝ち取った国じゃない。となればCにとって徴兵制は苦役になる。
それに可能ならば、一番良いのは、みんなで楽をする、誰も苦労しない体制だ。
「みんな兵隊」がイヤなら、結論として「兵隊ゼロ」しかない。
これが日本のソシアル、「非武装中立論」の理屈である。
コンサバ(保守主義)の理想の兵制は、すでに現実的ではないが「士農工商」だ。
つまり理想は「武士という身分・戦いという家業」の復活だ。
コンサバにおいては、人間だからといって、国民だからといって、全員平等ではない。事実として人間には能力の差がある。古来より人間には身分の差がある。
イギリス王室のウィリアム王子、ヘンリー王子は英国陸軍に勤務した。他のヨーロッパ王室も、貴族の家系も、男性なら軍歴を持つのが多数だ。日本の皇族男性も戦前は陸軍か海軍の軍服を着た。
「ノブレス・オブリージュ」・・・高貴な身分には神聖な義務が伴うのだ。
もちろん男性限定である。コンサバにおいて男性と女性は同一ではない。役割や義務に厳然たる区別=差別がある。
武装に値する人間が武装する。武装に値しない人間に武装は許さない。
武士と町人は異なる。本人は戦いたくないのに、その階級に生まれた運命を受け入れる。本人は戦いたいのに、身分違いをわきまえる。
そういう不条理な宿命を否定しないことが保守の美しさである。
もし「徴兵制」が苦役でないのならば、逆に「徴兵制」は存在していない。 - 在日琉球人の王政復古日記
「高度な現代戦」に「徴兵制」はムダ。ただしイスラム国ISISが「高度な現代戦」をやってるわけではない。 - 在日琉球人の王政復古日記