在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

ボーイスカウト。斥候兵。酒保。傭兵。慰安婦。同性愛。会津藩。薩摩藩。よか二才。よか稚児。マッドマックス。

歴史を鑑みて、これほど相性の良いドンピシャな組み合わせもないんだが(笑)。

 

米国ボーイスカウト連盟が同性愛者の入団と指導者就任を認める―モルモン教徒との深い確執

2013年5月
全米ボーイスカウト連盟理事会が27日、成人の同性愛者の入団と指導者を容認すると投票で決定した。105年の歴史を持つ同組織内で、長年論議が続けられてきたこの問題に、決着がつけられたことになる。

2013年5月に1,400人の指導員が出席した総会で、長年禁止していた同性愛者の少年の入会を認めない規約改正案が、過半数の支持で承認された。しかし、スタッフないしボランティア指導員を務める大人の同性愛者の入会は、引き続き認められていなかった。

27日の投票は、国際的な組織傘下の全米ボーイスカウト連盟が、もはや団員や、所有する施設において、同性愛者を差別しないことを意味する。

 

軍隊と少年と同性愛。

 

前近代のヨーロッパの軍隊は、国家直営の公務員ではなく、私営の傭兵集団であった。
その集団には、もちろん戦力の中核となる成人男性もいたが、他に少年や女性もたくさんいたのだ。

 

軍隊の経営者である連隊長は、兵站(ロジスティック)を担当する酒保商人と組んで、傭兵たちの必要物資を補給する。必要物資とは、もちろん武器、酒、水、食料、バクチ、セックス(笑)、衣服、寝具、洗濯などなど、戦いと生活の全てである。

この後方支援の中核となるのが、政治が好きな日本人の皆さんならおなじみ(笑)従軍慰安婦の皆さんということになる。慰安婦はセックスだけでなく、傭兵の生活全般の面倒を見る家政婦でもあった。

 

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そして雑役夫としての少年たちもたくさんいた。少年たちは戦災孤児だったり貧乏な親に売り飛ばされたりして軍隊に寄生する。軍隊を離れたら飢え死にだ。軍隊無しには生きていけない。

少年たちは雑役だけでなく、当然ながら、ソッチ方面がお好きなオジサマたちのセックスサービスも担当する。炊事・洗濯・セックス、そういう意味では少年たちの仕事は慰安婦とあんまり変わらない。

 

ただし慰安婦はやらないが、少年たちだけの仕事もあった。戦場の先触れ、前線偵察を担当する「斥候」である。

戦場の最前線に出て、地形を調査したり、敵軍の様子を偵察したりして、本軍に情報を提供する。貧弱な装備で敵軍に一番近くに放り込まれるわけで、最も危険な任務である。死亡率も高い。成人男性兵士よりもコストが安い少年たちは損耗率の高い仕事で使い捨てにされるわけである。

 

21世紀の今でも、アフリカなんかでは、人間狩りで集められた少年たちが少年兵として自分と同じくらいの値段のカラシニコフを撃ちまくっている。

そして前近代のヨーロッパでも、現代のアフリカでも、運よく生き延びて成人した少年たちは、晴れて兵士になって、今度は慰安婦や少年たちのセックスを買う立場に回るわけだ。

 

この「斥候」を英語でスカウトと呼ぶ。

ボーイスカウトとは、そのまんま「少年斥候兵」なのである。

 

絶賛上映中の歴史に残る大傑作映画「マッドマックス怒りのデスロード」のニュークスやスリットたちも文字通り「ウォーボーイズ」である。

映画には、次世代のニュークスに当たる小学生くらいの白塗り小僧がたくさん登場していた。

 

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まだ小僧さんたちは戦場を爆走してないが、エレベータを上げたり下げたりいろんな雑用をこなしていた。あれはなにもSFではなく、史実そのものなのだ。

 

前近代からの歴史を持つ少年斥候兵の伝統を、近代青少年教育に援用したのが現在のボーイスカウトというわけだ。
もちろん現在のボーイスカウトは、武器も持たないし、戦闘しないし、セックスもしないことになってるわけだが、オリジナルは原型は武器も持ってたし、戦うし、セックスするのが当たり前、というか、そもそもセックスサービスのために成立した組織なのである。

 

つまり、ボーイスカウトと、日韓友好の象徴である慰安婦の皆さんは、歴史上近接した関係にある。ほとんど同じカテゴリーだ。

 

こういうのは、なにも前近代ヨーロッパだけの話ではない。前近代の日本も同様だ。

江戸時代の各藩には藩士子弟の教育機関「藩校」があった。欧米のボーイスカウトと、非常によく似た組織であった。

 

有名なのは、薩摩藩の「郷中」。

NHK大河ドラマ「八重の桜」に出て来た会津藩の「什」。会津什の掟なんて、そのまま前近代ヨーロッパの傭兵組織の軍隊内ルールに使える。 

1、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ(連隊長に服従せよ)
2、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ(上下関係を守れ)
3、虚言を言ふ事はなりませぬ(敵情偵察の虚偽報告は敗戦につながる)
4、卑怯な振舞をしてはなりませぬ(命を惜しむな。危険に体を張れ)
5、弱い者をいぢめてはなりませぬ(軍隊所有の慰安婦・少年を勝手に殺すな)
6、戸外で物を食べてはなりませぬ(正規契約の酒保商人からモノを買え)
7、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ(慰安婦の取り合いをするな)

それも当たり前で、藩とはもともと私営の軍隊組織なのだ。戦国乱世の軍隊組織がそのまま太平の世に行政組織にスライドしたものだ。

 

上記の会津のように、藩の子弟教育機関異性愛にはさまざまな制限をかけていたが、西南日本、特に九州四国、さらに薩摩が典型例だが、藩士子弟同士の同性愛は黙認というか放置状態、露出プレーであった(笑)。半ば奨励している側面すらあった。

戦闘組織たる藩にとって、こういう男同士の上下関係を媒介とする少年愛は、生死を共にする同志的結合を強めて、女性に溺れるよりもはるかに好ましいセックスだったわけだ。

あの西郷隆盛も同性愛大好き人間だったが、薩摩藩士では同性愛・少年愛を忌避するほうが、逆に変わり者の変態扱いされかねなかった。 

 

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※描かれているのは全員男性。

 

薩摩の郷中では年少者を、ズバリ「稚児」と呼んでいる。 歴史上、日本の寺社で稚児と言えば、坊さん相手のセックス少年である。 

稚児より年長なのが、熊本の民謡「おてもやん」にも出て来る「よかにせどん」の二才(ニセ)となる。
若き薩摩藩士は、可愛い「よか二才」「よか稚児」に性的興奮を覚えて、可愛がり、グループを作り、奪い合いまでしていたのである。

戦争のための組織から、目的である戦争を取り上げると、ヒマを持て余すと、往々にしてこういうことに熱中するようになる(笑)。

 

この薩摩の美習(笑)は江戸時代だけの話ではない。維新の勝ち組のセックス文化は明治時代も健在だった。

戦前の旧制高等学校の寮では、夜な夜な「先輩、堪忍してください!」という悲鳴と、もちろん媚声も(笑)、木霊していたという。

 

戦後高度経済成長以前までは「鹿児島=衆道=同性愛」というイメージは色濃く残っていた。

東宝喜劇映画シリーズ「社長紳士録」(1964年)「続・社長紳士録」(1964年)で、女嫌いでオトコに興奮する薩摩隼人を、天才・フランキー堺が「怪演」している。

1:55から一瞬だけど、ご参照。

 


続 社長紳士録 予告編

 

BSフジなんかでたまに放送するので、チャンスがあったら、オススメである。

 

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に続く。

 

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