在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

人間の文化VS動物の科学~松竹「釣りバカ日誌」VSアフリカ野生動物狩りVS日本捕鯨VS韓国補身湯

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日本人が、あと韓国人も、のほほんと読んでていいニュースではないでしょ。

 

CNN.co.jp : 人気のライオン銃殺、米ハンターの行方追う ジンバブエ - (1/2)

2015.07.29

(CNN) アフリカ・ジンバブエの国立公園で観光客らに親しまれていた野生のライオンが殺されているのが見つかり、野生生物保護当局は28日、この事件に関連して米国人ハンターの行方を追っていることを明らかにした。

殺されたのは、同国のワンゲ国立公園に生息していた13歳のオスのライオン「セシル」。観光客の前に姿を現すことも多く、英オックスフォード大学はGPS首輪を装着して追跡調査を行っていた。

ジンバブエ公園・野生生物管理当局が行方を追っているのは、米ミネソタ州に住むウォルター・ジェームズ・パーマー容疑者。現地の警察も、この事件に関連してジンバブエ人2人を逮捕し、パーマー容疑者の行方を追っていることを明らかにした。

 

このニュースに怒っている、動物愛護派(多くは)欧米人から見れば、

この白人歯科医のライオンハンティングも、

日本の捕鯨も、和歌山県太地町のイルカ漁も、

同じ「動物殺し」なのである。

あと、補身湯(犬肉鍋)好きの韓国人も同じ立場だ。

 

バカ白人の趣味の動物殺しと、生活の糧としてのマジメな仕事を、一緒にするな!

というかもしれないが、日本人がクジラやイルカを食うのは「美味しいから」である。クジラだってイルカだって、食い難い部分、不味い部分はあるはずで、そこは食ってないはずだ。

 

美味とは、生存の必要ではなく、快楽である。日本人は肉から快楽を得ている。

快楽を味わうためにライオンを殺したバカ白人と、本質的な違いはあるのか?

 


Free and Easy (釣りバカ日誌) Trailer

 

動物を殺すことに快感を覚えてしまった白人歯科医と、  

飢餓のためではなく、楽しいから、快楽のため、日本国中の川魚、海魚を大量に狩りまくるハマちゃん&スーさんの間に、どんな違いがあるのか?

 

ジンバブエでは、野蛮な悲劇とされてニュースになってる「動物殺し」が、

日本では、「魚殺し」が心温まる人情コメディ映画である。

 

韓国人に食われそうになったワンちゃんを救った、自称・動物愛護論者というワンコ好きは、命を救ったワンコたちに、養鶏場で卵を産まなくなってブチ殺されたニワトリの死肉で作ったドッグフードを食わせる。
ワンコやニャンコの命を救う人たちは、ペットフードに加工される養鶏場のニワトリや海の魚の命は救ってくれない。

 

そしてライオンのセシルの生命を惜しむ世界中の動物愛護論者は、セシルたちが毎日食い殺していたはずのシマウマなど大量のアフリカ草食動物の生命のことはあんまり思い出さない。

 

生命は平等ではない。

動物の種類によって生命の価値は異なる

イルカやライオンの生命の価値は高いが、草食動物やサカナの生命の価値は低い。

それ以外に、この矛盾は説明はできない。 

 

ゴキブリ殺し、ウシ殺し、クジラ殺し、ネコ殺し、ヒト殺し。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

科学的に本当に正しいのかどうかは別にして、「希少」と呼ばれる動物、「高等」であるとされる動物、

また、人間から見て、勇壮だったり、華美だったり、可愛かったりする動物は、

例えば、クジラや、イルカや、類人猿や、ゾウや、ライオンや、イヌや、ネコの生命は、人間同様に大切なのだ。

 

それに比べて、牧場のウシや、養豚場のブタや、四万十川のアユや、オホーツクのサケやスケソウダラの生命は価値がはるかに低い。生命より、解体した死肉の方がはるかに価値がある。

 

台所のゴキブリや、ブンブンうるさい蚊、田んぼの周りの雑草、風呂に発生したカビにいたっては、生命の価値は「ゼロ」、いや「マイナス」ですらある。

 

科学的には全部同等のはずの生命、それ自体には何の価値もない。

人間が手前勝手に捏造した「文化」という名のモノサシでのみ、価値は生まれる。

価値とは、「科学」ではなく、「文化=形而上学=宗教」なのだ。

 

このニュースで最も感動的なのは、下記だろう。

 

CNN.co.jp : 人気のライオン銃殺、米ハンターの行方追う ジンバブエ - (2/2)

2015.07.29

ワンゲ国立公園のライオンたちの今後について当局は、「悲しいことだが、セシルが死んだ今、次の地位にあったライオンのジェリコがメスたちに自分の血統を受け継がせるため、セシルの子どもたちを皆殺しにしてしまう可能性が大きい。これはライオンにとって普通のこと」と話している。

 

狩り殺されたセシルの子供、可愛い子ライオンたちは、人間ではなく、同じ仲間であるはずの他のライオンによって、皆殺しである。

 

遺伝子に命じられた通り、躊躇なく平然と残酷を選択する畜生の醜さ=美しさ。

生物は、こういう子殺しを何億回何千億回繰り返してきた。

  

動物の群れは、途中で死んだ(つまり「優秀ではなかった」と判断される)ボスの遺伝子を全滅させる。より優秀である可能性に賭けて新しいボスの遺伝子を残すためである。

そうしないと、ライオンという種全体が自然環境で生き残れない。

いや、今現在たまたまライオンと呼ばれている動物が、遠い将来、別の動物に進化するチャンスが残せない。

 

「人間=文化」が介在しない、「動物の世界=科学の世界」のルールは、機械的にして感動的である。

ただし同時に、

そんなチャンス、限りない生存・継続・進化への欲望、生命の繁栄、それにいったい何の意味があるのか?

、、、という気もしないではない(笑)。

 

というか、人間の動物殺しや、動物の子殺しに、「意味」を求める、この私の心こそが「文化」のいう悪のシステムの始まりである。

  

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