在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「お口の恋人」ロッテ~「日韓・お国の愛人」重光武雄こと辛格浩。ガムと野球とホテルで92年。

重光武雄こと辛格浩。92歳。

もう十分だろうに。

100まで生きても、あと8年しかない。

 

ロッテ「お家騒動」余波か 創業者が名誉会長に - 産経ニュース

2015/7/29
【ソウル=藤本欣也】ロッテグループの日本事業の持ち株会社ロッテホールディングス(HD)は28日、創業者の重光武雄会長(92)が代表権のない取締役名誉会長に就くと発表した。創業者一族の“お家騒動”の結果、経営の第一線から名実ともに引退を迫られたと報じられている。

 

重光武雄に限らず、こういう成り上がり成功をつかんだ立志伝中の経営者はたくさんいる。

私みたいに貧困に喘ぐゴミのような人間と異なり、彼らはどんなゼイタクもできるゼニを持っている。

羨ましいことは羨ましいが、負け惜しみ半分(笑)にしても、彼らに100%成り代わりたいとは思えない。

 

私からすれば、彼らはまことに不思議だ。

 

いつか死ぬ。

しこたまゼニをもっていても、人間には寿命がある。

成功者はだいたいもう老人である。すでに体はあちこちガタがきてるはずだ。残り時間は少ない。そして棺おけにゼニは入らない。

残りの時間で、贅沢三昧すればいい。世界中の三ツ星レストランであらゆる美味を極めるとか、世界中の絶景や美術品を見て回るとか。

 

それなのに、彼らは会社にしがみついて離れない。死ぬまでスーツを脱がない。

 

彼らは、これから死ぬまで、どれだけ頑張っても、0から100に成り上がった過去の栄光を上回ることは無いだろう。辛さんが今から日本を支配することも、韓国を制覇することも、まず不可能だ。

100の成功が101にアップする程度のことに、残りの寿命を賭けて、いったい何の意味があるのか?サッパリ理解できない。

 

まあ、それくらいビジネスに執着できる人間だからこそ、成功したんだろう。

私のように無能な上にすぐにのんびりしたがる人間はハナから成功なんぞしない(笑)。

 

 ロッテという在日韓国人のガム屋さんがここまで大きくなったのは、M&Aの成功にあるわけだが、純粋にビジネスライクとは言えない、つまり儲かるかどうは判らない、割に合わない買収も結構やっている。

理由は政治だ。日韓の権力者の要請である。

日本の千葉ロッテマリーンズもそうだし、韓国のロッテホテルもそうだった。

どちらも、利益を求めたロッテから、ではなく、日韓の政治家の方からの提案、というか権力を使った押し売り(笑)に近いものがあった。

 

千葉ロッテの前身・大毎オリオンズは、毎日新聞と映画会社の大映が持っていたが、大映オーナーの永田雅一といえば(当時のショービジネス界なら当たり前であるが)裏社会との付き合いも太く、政界では安倍さんの清和会ラインだった人だ。

永田の放漫経営と映画斜陽の流れで大映が窮地に陥り、球団経営どころではなくなった時、永田の友人で、安倍さんのお祖父さん・岸信介が、重光武雄こと辛格浩に球団を売り込んだのである。
当時のフランチャイズ球場・東京スタジアムも、これまた岸信介の盟友で、暗黒街の大物・児玉誉士夫と政商・小佐野賢治が絡んだ、普通のビジネスマンにはとても手が出せない真っ黒物件であった。
辛さんとしては「球団オーナーの名誉」とか「宣伝に使おう」とかいうより、「有力政治家とのお付き合い」の部分が大きかっただろう。しかし巨額の交際費である(笑)。

 

韓国ロッテは、日本のロッテよりも巨大な財閥である。

しかしその創立は、終戦直後から始まった日本よりもずっと遅い。そのロッテホテルも、なにも辛さんがホテル業は儲かりそうだと始めたわけではない。

朴槿恵姐さんの御尊父・朴正煕大統領が「韓国にも国際クラスの高級ホテルが必要だ。祖国のために何とかしてくれ」と辛さんに半ば強引に押し付けて作らせたのが最初らしい。
食い物しか作ったことのない「ガム屋のオヤジ」に、ホテル経営を要求する。さすがは独裁者である(笑)。
これも「有力政治家とのお付き合い」と「生まれ故郷への貢献」で、商売度外視から始まったのだろう。

 

そうやって赤字覚悟、失敗覚悟で始まった野球経営、ホテル事業が、それぞれロッテグループの看板・中核になっている。辛格浩という人は才覚と努力と強運の持ち主だ。

 

過去を振り返ると、日韓のかなりアブナイ面々(笑)との付き合いあった割には、

そして、日本では韓国系、韓国では日系、という不利な部分があった割には、

少なくとも日本においては、政治的または社会的スキャンダルにほとんど巻き込まれなかった。今回の騒動がほぼ初めてではないか?

 

また、辛さんの成り上がり当時は、在日社会では北朝鮮/総連のほうが将来有望で多数派だった時代だ。そこであえて(理由は知らないが)劣勢だった少数派・韓国/民団を選んだのも、その後を考えれば、日本でのビジネスを成功させ、韓国というもう一つのビッグチャンスを手に入れる、運命的な選択だったわけだ。

 

「お口の恋人」は「日韓・お国の愛人」でもあったのだ。