SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。
— 武藤貴也 (@takaya_mutou) July 30, 2015
そもそも、安保法案は「戦争を防ぐため」の法案、じゃなかったのか?
SEALDs「戦争はイヤ」 =「戦争はやりたくない 」
安保法案「戦争を防ぐ」 =「戦争はやりたくない 」
気持ちは同じではないか。
ただし、SEALDsは安保法案を「戦争やりたい」法案だと「誤解」しているわけだ。
だったら、武藤貴也さんと自民党の仕事は、SEALDsのカン違いを正し、安保法案をちゃんと説明することだ。
それなのに、「安保法案に反対するSEALDsは戦争をイヤがってる」なんて言っちゃったら、まるで「安保法案は戦争をイヤがらない法案です」「戦争ヤル気マンマンです」と主張しているのと同じだ。
日本国憲法によって破壊された日本人的価値観。|武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba
最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを。
そして、いつもその原因は「日本精神」・「日本人的価値観」を失ったことにあるのではないかと思うのである。
かつての日本人は「武士道精神」にも表わされているように、道徳的に非常に優れた価値観を持っていたように思う。それは「徳」の高さを至上のものとする価値観だ。「徳」とはまさしく「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」等々といった古来からある「日本人的価値観」である。今の政治を見ていると想像もつかないが、かつて日本の武士は「法」より高い次元の「徳」や「礼」で裁かれた。いわゆる「法治主義」では無く「徳治主義」だった。
私も最近考えることがある。 教育は無力なのか?
東京外国語大学、京都大学大学院を出た人間が、なんで主張がWILL、歴史通レベルなのか? 同じ保守でもバークとかチェスタトンとかハイエクとか、もう少しなんとかならんのか?
現在の日本で創価学会は大きな勢力である。何人くらいいるのか知らないが、その創価学会を含め、霊友会、立正佼成会、日蓮宗系、法華宗系など、法華経信者の数は相当なモノだ。日本人の10%は超えるだろう。
じゃあ、全体の10%をもって「日本の宗教は法華経だ」と言ってイイのか?
浄土宗、浄土真宗など浄土信仰は存在しないのか?
日本人の悪癖としてウンザリするのが「武士道」「武士道精神」である。
そんなもんが日本を代表する根拠はいったいナンなんだ?
武士は江戸時代で総人口の約7%である。なんで7%が100%を代表するのか?
全体から見て少数派の武士が日本を代表していいのなら、全体から見て少数派の創価学会が日本を代表してもいい理屈になる。
江戸時代の武士に「日ノ本は武士道精神ですよね」と質問したら、「私はそうかもしれんが、百姓たちは違うだろう。だって彼らは武士じゃないから」と答えるだろう。
そもそも、たかが農民の分際で、町人の分際で、その末裔のくせに、武士でもないのに、武士道精神なんて言い出すのが、オレも武士だ、とウソをつけるのが、まさに「民主主義」「基本的人権」のビョーキなのだ。
武藤さんは、江戸時代の武士と百姓の厳然たる身分違いを無視している。身分制度を無視してるんだから、明らかに「反・武士道」である。その発想は「人間は平等だ」という「人権思想」そのまんまだ。
理念として武士はどこまでも武士である。百姓はどこまでも百姓だ。江戸時代の彼らに「日本人」なんていう自己認識はほとんどなかっただろう。「日本人」という自己意識が生まれたのは、武士道が壊滅した明治時代だ。
士農工商の身分制度が崩壊したから、武士がいなくなったから、「日本人」が生まれたのだ。つまり「日本人」とは「脱・武士道」的存在なのである
武士道を「日本精神」と呼ぶのならば、大半の日本人に「日本精神」はない。
日本人に「日本精神」があるのならば、「日本精神」は少なくとも武士道ではない。
真の「日本精神」があるとすれば、民主主義(笑)的多数決で言えば、それは「百姓の精神」だ。「百姓の精神」なんて、日本もアジアもアフリカもヨーロッパも、どこの地域だろうが、あんまり変わらないだろう。
「卑怯」という言葉を調べてみると、「勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。」と書いてあった。まさしくこの「卑怯」という概念について、学校や親や社会は子どもたちにしっかり受け継いでいるだろうか。
国会では議員さんたちにしっかり受け継いでいるだろうか?
ここまで断言するからは、たとえ谷垣幹事長に注意されても、武藤さんは自説を撤回しないと信じる。
武士道なら、改心もしないのに、自説を引っ込めるような、卑怯なマネはしない。
しかし、そもそも史実の武士たちが卑怯でなかったという根拠はナンだ?
下克上、騙し討ち、身内殺し、所領争い、親と子、兄と弟が殺し合いである。
頼朝と義経は兄弟で殺し合いだ。家康は主君の豊臣家を滅ぼした。
日本の身分で、農民より、町人より、武士が一番のゲス、畜生集団である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
あいも変わらずだ。
「戦前の社会、民度、治安」が良好で「戦後の社会、民度、治安」は悪化した、
「昭和の社会、民度、治安」が良好で「平成の社会、民度、治安」は悪化した、
なんていう証拠がどこにあるのか?
事実はサカサマで、大日本帝国憲法下の社会、民度、治安と、日本国憲法下の社会、民度、治安ならば、明らかに後者の方が改善している。昭和と平成を比べても同じだ。
当たり前で、衣食足りて礼節を知るのだ。
凶悪犯代も少年犯罪も、終戦直後の混乱期を例外として、だいたい右肩下がりで減少している。
これからどうなるかは知らないが(笑)。
次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。
先生、よく判ってらっしゃる。まさにその通りである。
あとはどっちか良いか、どっちの社会に住みたいか、の価値判断だ。
(意味不明だが)武士道らしい日本精神に満ちた日本と、
民主主義と基本的人権に汚染され腐り果てた日本と。
武藤さんが自分の価値基準で選んだように
あなたも自分の価値基準で選べば良い。
私もできればそうしたい。
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