在日琉球人の王政復古日記

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大沢樹生VS喜多嶋舞~パリ同時多発テロ~老子「報怨以徳」VS孔子「以直報怨」VS半沢直樹「倍返しだ」

どちらも、何らかの理由で「妻」を失った「元夫」と「妻の子」の物語である。

 

「君たちに憎しみあげない」テロ遺族FB文章に共感の輪:朝日新聞デジタル

 

安藤優子「切なすぎません?」大沢樹生の長男に同情 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

大工ヨセフVS処女懐胎マリアVS神の子イエス~大沢樹生VS喜多嶋舞~パリ同時多発テロ~目には目を、歯には歯を。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

中東・ヨーロッパだけでなく、東洋にも人間は住んでいる。

 

老子道徳経・第六十三章 

爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不爲大、故能成其大。夫輕諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難。 

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以ってす。(以下略)

 

「報怨以徳」~許せぬ悪をあえて許す。不誠実に誠実で返す。憎悪に愛で応える。

マタイ福音書にも似ている。

 

後半は一種の政治論であり、偶然か、必然か、テロリズム対策を語っている。

~厄介な難問というのは、それがまだ最初の小規模の内に対応しておけば、解決は楽だ。大きな問題も必ずその兆候がある。それを見逃さずに芽を摘んでおけば、解決不能に至らない~

これはまた、妻と夫、父と子の家庭問題も同じである。

 

この「報怨以徳」は、古代支那でもポピュラーなフレーズだったのだろう。後代の孔子が反論している。

 

論語・憲問第十四-36
或曰。以徳報怨。何如。子曰。何以報徳。以直報怨。以徳報徳。
誰かが言った「不誠実な相手に、こっちは誠実を持って応える、という素晴らしい言葉がある。どう思われる?」
孔子は反論した「じゃあ、誠実な相手に、何をもって礼を尽くすのか? 不誠実な悪党と誠実な善人に同じ対応ではおかしいだろう。不誠実には【直】で対応し、誠実に対してこそ誠実でお返しすべきだ」

  

老子は心が広い、リベラルで、反戦平和で、まるで朝日新聞(笑)、

孔子は心が狭く、感情的で、報復を否定しない、産経新聞(笑)、みたいだが、

注意しないといけないのは、老子は反語・皮肉・冷笑・厭世・ニヒリズムの思想なのだ。決して愛の思想ではない。

 

漢文というのは白文じゃないとその意図が見えないときが多い。

「爲無爲、事無事、味無味」このキレイに並んだ漢字は皮肉でもある。

「何も実行しない」ということを実行する。

「任務がない」ということを任務とする。

「味の無いもの」を味わう。

希望を捨てれば、絶望することもない、ということでもあり、

人間であることをやめれば、人間になれる、ということだ。

 

老子は、この腐った世の中はどうにもならない。良くしようとすればするほど悪くなる。逃げろ逃げろ、あきらめろ、という思想であり、

孔子は、絶望したら終わりだ。希望を持って聖なるモノを求めて戦え、人間はそのために生まれてきたのだ、という思想だ。

 

孔子
「以報怨」《怨み》に報ゆるに《徳》を以ってす、を否定したが
「以報怨」《怨み》に報ゆるに《怨み》を以ってす、「目には目を、歯には歯を」、同等の復讐をせよ、と主張したわけではない。
報怨」《怨み》に報ゆるに《直》を以ってす、と主張した。
どう訳すか難しいところだが、「直」は、素直に、心のままに、ということか。
それは、許せぬ相手への怒りかもしれないし、復讐かもしれない。
または、自分が理想の自分であるために、あえて相手を許すことかもしれない。

 

ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」は、復讐のススメではなく、同等以上の過剰な復讐の禁止であったが、日本のテレビドラマには、また別の思想家が登場したらしい。

 

マタイの「右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」でもなく、

ハンムラビの「目には目を、歯には歯を」でもなく、

孔子の「以直報怨」でもなく、

半沢直樹「やられたらやり返す。倍返しだ!」。

 

これもまた一つの真理であり、倍返しされることを恐れた相手が悪意や不誠実を事前に取りやめてくれることを期待できる。ただし、相手が馬鹿だった場合、無限の地獄に堕ちることになる。