じゃあ、国家でなく、生身の人間=国民=あなたを裁くのは、ナニか?
法VS人間~六代目山口組も神戸山口組も中核派も革マル派も憲法9条に違反できない。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
たとえば、あなたが、他人を殴って、怪我をさせたとする。
警察に逮捕されて、裁判を受けて、有罪になって、懲役になったとする。
ナニを根拠に懲役なのか? ナニがあなたをムショにぶち込んだのか?
それは刑法か?
しかし、刑法に限らず、「国民は、他人を殴ってはならない」なんていう法律は、この日本にない。
刑法第204条 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
刑法第208条 暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
読んで判るとおり、刑法に「他人を殴ってはいけない」なんて書いていない。
刑法は「○○○をしたら、×××に処する」と書いてあるだけだ。
くだけて言えば、刑法には
アンタが他人を殴るのはアンタの自由。国家はソレを止めないし、そもそも止めようがない。止められないけど、ホントに殴って怪我させたら、国家が強制的にアンタを刑務所にブチ込むか、罰金を取るネ。ただし死刑にはしない。あとの損得計算は自分でやってください。よろしく。
と書いてあるのだ。
殺人だって、強姦だって、酔っ払い運転だって、同様である。
原則として、事前に刑法の内容を知っていて、かつ理解できている、マトモな教育を受けた、健全な精神状態の人間の行為を、犯罪かどうか判定する。それが近代法体系である。
近代国家は、人権思想(笑)の下にあるのであり、人間の自由意思は原理的に止められない。
犯罪すら自由意思なのだ。ゆえに刑法は自己責任を要求するし、刑務所に入るのは自業自得というわけだ。
つまり刑法はネオリベ思想なのだ。
いや刑法だけでなく、近代法体系は、いや近代は原則としてネオリベなのである。
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だからこそ、明確な自由意志かどうか微妙な、精神が正常でない人間の犯罪や、教育が十分かどうか微妙な、未成年の犯罪が、ややこしい話になってしまうわけだ。
しかしだ、現実問題、健全な精神状態の人間は、あんまり人を殺したり、モノを盗んだりしない。犯罪をやらかした当事者の状況判断は、客観的に見れば、不合理で、狂ってる。
よって「人間はいつでも自由意志だから自己責任」という法律の大前提「それ自体」が大きく間違ってるような気もするんだが(笑)、現状そうなってるんだがらしょうがない。
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刑法だけの話ではない。法律だけの話でもない。
近代は、参加メンバー全員が「健全な精神の持ち主」であることをタテマエとしている。
じゃなかったら、普通選挙も成立しない。もしメンバーの半分が基地外だったら、選挙結果を正当なモノとして認められるだろうか?
つまり近代は(本来、存在しないタテマエの、しかし現実には少なからず存在する)基地外の扱いが原理的に苦手なのである。
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に続く。