『支那経済ついに崩壊! 日本経済が復活する!』
みたいな駄法螺を、大学などの学問としての経済学やマトモなエコノミスト業界からは、まったく相手にされてない、三橋某なり、青山某なりが、ネットで吹聴しているが、
たとえ支那が大嫌いな保守派であろうと、実際に日本株に投資をしている人なら、
「支那経済崩壊→日本経済復活」
なんてことが経済的にありえないことを、毎日毎日、サイフの痛みと共に、イヤというほど味わってるはずだ。
日本株は大幅続落、米中貿易摩擦の深刻化を懸念-円高嫌気し広く売り - Bloomberg
2018年6月19日
19日の東京株式相場は大幅続落。米国と中国の貿易摩擦が深刻化するとの懸念が強まる中、為替の円高推移もあり、企業業績の先行きを不安視した売りが優勢となった。化学やガラス・土石製品、繊維株など素材セクター中心に電機や小売株も安く、東証1部33業種中、32業種が安い。
TOPIXの終値は前日比27.51ポイント(1.6%)安の1743.92、日経平均株価は401円85銭(1.8%)安の2万2278円48銭。両指数ともきょうの安値引け。
ニッセイ基礎研究所の井出真吾チーフ株式ストラテジストは、「中国が通商交渉で一定の譲歩をしない限り、米国のトランプ大統領の強硬姿勢は収まらない。米中間の交渉が泥沼化するリスクが強く意識されたことが株安の背景」とみていた。今後、中国が報復措置について具体的な金額など示せば、貿易摩擦に対する「市場の警戒レベルが一段と上がる可能性が高く、日経平均の下値めどは5月下旬の安値2万2000円程度になる」と言う。
確かに
人民解放軍の失態は、日本の安全保障にプラスだ。
人民解放軍の成功は、日本の安全保障にマイナスだ。
しかし
上海の株が上がれば、基本的には、日経平均も上がる。
上海の株が下がれば、基本的には、日経平均も下がる。
安全保障の勝ち負けと、経済の勝ち負けは、全く別。正反対といってもいい。
というわけで、ご覧になっただろうか?
東京裁判より、こっちの「敗戦」の総括を!~NHK-BS 01/12(火)21:00〜「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」 - 在日琉球人の王政復古日記
映画としては完成度は低い。しかし、やはり、今でも見るべき題材である。
元からマジメな大作じゃなく、軽いノリなんだから、タイムパラドックスをどうのこうのヤボなことは言わないが、面白さが足りない。
逆にいえば、脚本を練りこめば、もっともっと面白くできたはず。
1990年と2007年の文化的・風俗的ギャップは、景気だけでなく、もっともっとあるはずで、そこにコメディ要素をじゃんじゃん盛り込めたと思う。
たとえば、ケータイ世代の末広涼子が、待ち合わせの場所を決めないで出かけるところなんか、ストーリーに何も影響しない。ケータイが使えないから連絡方法のない阿部寛とすれ違って会えないとか、孤立無援で陰謀グループに捕まるとか、いろいろサスペンスにできた。
天下の大蔵省金融局長の部屋に、あんな変な格好の娘が何度も簡単に出入りできるのも、セキュリティ上、無理すぎるだろう。
チョー銀内定のバブル学生・劇団ひとりだって、もっとストーリーに生かせた。
未来から持ってきた新聞かなんかで、翌日の株式相場を予言し、ビンゴの200万円を何億円にもして、劇団ひとりにタイムマシンを信用させ、内定先のチョー銀経由で、金融局長にアクセスしようとする、とかなんとかストーリーはできたはずだ。
そもそも、クライマックスの場所が、なんで料亭なのか?
料亭はバブル時代特有の風俗でも流行でもなんでもない。あんなの戦前からある。
おそらく、末広に芸者姿をさせるため「だけ」の設定である。高知出身の末広に「ナメたらいかんゼヨ!」とセリフを言わせて、東映ヤクザ映画「鬼龍院花子の生涯」の夏目雅子のパロディーをさせたかっただけだろう(笑)。
もちろんコメディなんだから、パロディ自体は悪くない。末広芸者も可愛かったし(汗)、アイドル映画としてコスプレは完全に正しい。
いや逆にコスプレが足りないくらいだ。競泳水着はもちろん合格だが(笑)、せっかくなんだから広末にも、肩パット、盛り過ぎスーツや、太マユ、ソバージュ、ボディコンなど、バブル時代ファッションをさせるべきだっただろう。
それでも、芸者も、料亭も、バブルの風俗ではない。この映画には無意味だ。
クライマックスは、今はもう存在しない、またはぜんぜん変わってしまった、「これぞ、バブル!」ともいうべき場所(バブルの恩恵を受けていない貧乏人の私には具体的なアイディアは思い浮かばないが)にすべきだった。
「80年安保闘争」の過激派セクト、バブル敗戦のBC級戦犯(笑)・ホイチョイ・プロダクションズならば、いくらでもアイディアを出せたはずである。
「80年安保」闘争~資本主義の狂乱。80年代の #SEALDs たちはキャピタリズム革命の戦士だった。 - 在日琉球人の王政復古日記
「バブル崩壊の引き金だった、大蔵省の不動産融資総量規制を阻止する」というメインアイデアはいい。
しかし、その総量規制が、大蔵省の伊武雅刀と、おそらくアメリカのハゲタカファンドの「総量規制で景気を故意に悪くする→株価も不動産も暴落→底値になった株や土地を買い占める→ボロ儲け」という大陰謀、というのは、ぜんぜんダメ。
なぜなら、そんな陰謀は成立しないからだ。
2016年の株式相場でも、株価が下がったら、投資家全員が悲しむわけではない。株価が下がったら、「よし!もっともっと下がれ!安値で買い漁るチャンスだ!」と喜ぶ投資家はいくらでもいる。
しかし、そういう投資家も、自分が安値で株を買った後は、市場が反発して値上がりすること、つまり、株価がまた復活する、景気がまた良くなる、ことを当然の大前提にしているのである。
で、伊武雅刀と白人たち陰謀グループは、1990年に暴落した株や土地を買い占めて、2007年時点で、儲かっただろうか?
陰謀が成功すれば、彼らはおそらく数年で破産である(笑)。
2007年でも株価も地価もずっと低迷していて、全然元には戻ってないからだ。
もしも総量規制が彼らの陰謀ならば、買占めの後に、ふたたびバブル景気を戻す「第2の陰謀」が必要になるのである。
一度崩壊したバブル景気に元に戻す・・・そんな陰謀はどうやったら可能なのか?
そんな秘策があるのなら、日本中の、イヤ世界中の政治家と財界人が、そして経済学者が、教えて欲しいだろう(笑)。
これもまた、昨今の「大東亜戦争に負けたのは、コミンテルンの陰謀」と、まったく同じ知能レベルである。
ルーズベルト大統領をコントロールして、日本軍部を騙すくらい、優秀で万能なコミンテルンの皆さんは、
なんで、敗戦後の日本から北海道くらい奪えなかったのか?
なんで、日米安保条約成立を阻止できなかったのか?
なんで、自民党政権がずっと続いたのか?
なんで、中ソ対立になったのか?日中国交回復でソ連包囲網ができたのか?
そもそも、なんでそんなに優秀で万能のソ連が、自分たちの経済を少しも良く出来ないまま、ついには崩壊したのか?
コミンテルンが、戦後になって、急に、突然、無能になった理由は?
誰も説明できない、いや、田母神さんを初めとして、主張する人はあの手この手でいろんな「説明」はしてくれるだろう。ただしその論拠が、コミンテルン並みのバカじゃないと信じられないというだけで(笑)。
陰謀論というのは、全部、コレだ。
「オレの失敗や苦境は、オレの自己責任ではない。誰かがイジワルしている」
そんなモンが正しいかどうか、他人の立場に立てば、判るだろう。
この映画で何度も何度も出てくるセリフがある。
「え?銀行が潰れるわけないでしょ(苦笑)」
当時は本当にそう思っていた。パーの学生から、大蔵省のエリートまで。
バブル崩壊は、誰かの人為的陰謀ではない。経済の法則だ。
人間社会に永遠はない。神の見えざる手は、人間の手ではないのである。
日本人が、特にネトウヨが、社会や政治を考えるために、歴史を振り返る時、なぜか、どうしてだか、大東亜戦争を振り返る。
大東亜戦争も軽い問題ではないけれど、今の、2016年の今を、考える上で、なんで、大東亜戦争ばっかりなのか?
今の日本の現実を作ったのは、大東亜戦争ではなく、バブル崩壊なのである。
日本人ならば、特に愛国者を気取るならば、真っ先に考える問題は、
南京事件でも、ポツダム宣言でも、東京裁判でも、日米安保でも、在日朝鮮人でも、尖閣諸島でも、靖国神社でもなく、
平成元年12月29日、日経平均株価38,957円
平成28年1月15日、日経平均株価17,147円
という冷徹な現実である。
これ以上に、重要な歴史なんて、日本には存在しない。
原爆どころか、B29も、1発の銃弾すら撃たれず、日本は自滅した。
これは、コミンテルンの陰謀でも、在日の陰謀でも、ない。自滅なのだ
もちろん、コミンテルンがマジメな組織だったわけじゃない。彼らも悪辣な陰謀をたくさん企んだ。ただし全部が全部成功しなかったし、
同時に、アメリカも、イギリスも、中国国民党も、そして日本も、コミンテルンと同じくらい陰謀を計画・実行して、
ゲームプレイヤー全員の陰謀が激突して、歴史は予想外に迷走し、誰も予想してなかった結末になっただけの話である。
今だって、中国共産党は陰謀をめぐらせている。
北京は、上海の株価を上げよう上げようと必死だ。
しかし、それは日経平均を下げる陰謀ではない。
正反対に、中国共産党の陰謀が成功すれば、日経平均も確実に上がるのだ。
万里の長城VS京杭大運河~「日没する処の天子」隋の煬帝が、聖徳太子の「日出ずる処」に復讐する。 - 在日琉球人の王政復古日記
「中国共産党が失敗すれば、日経平均も暴落する」という当たり前。
コレが判らない人が、コミンテルンの夢を見るのである。