ハンセン病、ハンセン氏病、らい病、癩病、といえば、この映画である。
砂の器(1974)/松竹株式会社・橋本プロダクション第1回提携作品。
【ハンセン病特別法廷】最高裁が「違法だった」と認め謝罪 「差別を助長し、人格・尊厳を傷付けた」(1/2ページ) - 産経ニュース
2016.4.25
ハンセン病患者が当事者となった裁判を裁判所外に隔離して設置された「特別法廷」で審理した問題を検証してきた最高裁は25日、調査報告書を発表した。会見した最高裁の今崎幸彦事務総長は「昭和35年以降は合理性を欠く差別的運用だった」として、特別法廷とした手続きが裁判所法に照らして違法だったと認めた上で「差別を助長し、人格・尊厳を傷付けたことを深く反省しお詫び申し上げる」とハンセン病患者に謝罪の意を表明した。
最高裁が設置した外部の有識者委は「憲法に定められた平等・裁判公開の原則に反し違憲だった疑いがある」と指摘しているが、今崎事務総長は違憲性は認めなかった。
最高裁が過去の裁判手続きに関し、不適切だったことを認めて謝罪するのは極めて異例。
裁判所法では、災害で裁判所の建物が使用不能になった場合などの緊急時を念頭に、最高裁が必要と認めれば外部で法廷を開けると規定。この規定を根拠としたハンセン病患者の特別法廷は、昭和23~47年、ハンセン病療養所や隣接する刑務所、拘置所などで96%の認可率(申請96件、認可95件)で実施された。他の病気などを理由とした認可率は15%(申請61件、認可9件)だった。
一方、憲法では「裁判官の独立」を保障しているため、検証対象は司法行政上の判断である「開廷場所の指定」の正当性に限られたことから、個別の裁判内容の見直しはしない。このため、特別法廷には冤罪と指摘されている事件もあるが、報告書は個々の裁判の違憲・違法性までは踏み込んでおらず、調査対象の特別法廷の再審などにはつながらない。
大霊界・丹波哲郎、千葉県知事・森田健作、借金ヌード・島田陽子、、、
平成の御世、配役だけ聞くとトンデモ作品と誤解されてしまうかもしれないが(笑)、1970年代松竹映画、直球ど真ん中・松竹系俳優オールスターキャストのまことに贅沢な作品。
松本清張+橋本忍+山田洋次+加藤剛+松竹映画+1970年代。
まあどう考えても、左翼テイストの映画となる(笑)。
映画後半は有名な「コンサート+巡礼の旅+捜査会議」の三重奏。
ここで観客の涙を搾り取る。
最後の最後、演奏を舞台の袖から眺める2人の刑事の会話。
森田健作「和賀(加藤剛)は、父親に会いたかったんでしょうね」
丹波哲郎「そんなことは決まってる!」「もはや彼は音楽の中でしか父親には会えないんだ」
丹波さん、そうだろうか?
犯人は、本当に、父親に会いたかったんだろうか?
私はあえて冷酷非情に政治的に考えてみる。
映画「砂の器」は、一人の少年と、実父、養父、偽父、義父、「4人の父」との物語である。
戦前の農村、「実父」本浦千代吉は、当時恐れられた「不治の病」のため、妻は去り、家庭は崩壊、父と一人息子・秀夫は生まれ故郷の村から追放される。
前近代の村落共同体は、人権思想もなく、経済的余裕もないゆえ、厄介な異物は排除する(ムラの外へ捨てる)方法を取る。前近代においては本浦親子のような追放者の末路は野垂れ死だ。
しかし時代は戦前とはいえ昭和。村落共同体の外部には近代国家が存在する。
近代国家には、人権思想も経済的余裕もあり、厄介な異物を排除する(外へ捨てる)のではなく、管理する。
管理とは、「捨てない」というよりは、「捨ててくれない」「逃がしてくれない」といった方がいいかもしれない。慈悲ではなく所有欲だ。
死出の旅路の果て、本浦親子も、その近代国家システムを体現する善人・三木巡査(緒形拳)に保護され管理される。
この三木巡査が、病の千代吉に、その後30年以上!もの長期にわたって生存可能な居場所を提供できたのは、三木個人がお金持ちだからではなく、警官として近代国家システムを利用できたからだ。
病の「実父」千代吉が近代国家システムに回収されてしまった後、慈愛あふれる三木巡査は残された「子」秀夫の「養父」になって面倒を見ようとする。
しかし「子」秀夫は、すぐに「養父」三木巡査の安全で飢えない善意あふれる保護管理下から逃亡する。
なぜなのか?
刑事が言うように、「実父」に会いたかったのか? 否。
放浪癖がついていたのか? 否。
少年は、「本浦秀夫」という役目にほとほと疲れ果てていたんだと思う。
少年は、しんどい「本浦秀夫」役を降りたかった、孤独になりたかった、ただただ一人ぼっちになりたかった、、、私にはそう思えてならない。
「養父」三木巡査は間違いなく善人である。差別を許さぬ博愛の人だ。
しかし、親子関係・家族愛の永続性、人間の善を信じて疑わない人でもある。
「養父」三木巡査=善人=近代国家システムの保護管理下にある限り、少年は《悲劇の人・千代吉の聖なる子・秀夫》という「強制された配役」を永遠に生き続けなければならない。死ぬまで聖なる役目から降りることが出来ないのだ。
「養父」三木巡査の元から逃亡する時、必死で自分を探す「養父」の姿を盗み見ながら、少年は嗚咽・号泣する。
少年は、それまで、世間を、他人を、睨みつけながら生きてきた。
「実父」と共に、生まれ故郷から捨てられた時も、
風雪吹きすさぶ過酷な巡礼の旅の途中も、
病気に気付かれた途端、ピシャリと扉を閉められた時も、
悪餓鬼どもにいじめられた時も、
事なかれ主義の警官に追い立てられて怪我をした時も、
幼い少年は一切泣かなかった。
療養所に入る「実父」と駅で別れる時は、さすがに泣いたが、それまでは一滴の涙も流さず、ただただ無慈悲な村落とその住人達を鋭い視線で睨みつけてきた。
秀夫少年は、
なぜ、このオレに、泣く理由がある? 私=本浦秀夫は何一つ悪いことはしてないではないか。泣いたらオレの負けだ!
と、思っていたのだろう。
しかし近代国家システムの体現者たる善人・「養父」三木巡査の保護管理下から逃亡する時に、少年は一転して泣きじゃくる。それこそ子供のように泣きじゃくる。一番悲しかったはずの「実父」千代吉との別れの時よりも激しく涙をこぼす。
なぜなら、「養父」三木巡査=近代国家システムからの逃亡は、《悲劇の人・千代吉の聖なる子・秀夫》という聖なる役目=家族制度という残酷なまでに正しい、正し過ぎる永遠の負債からの逃亡を意味するからだ。
生まれ故郷が難病の「実父」という負債に耐え切れずに排除したように、
少年も《悲劇の人・千代吉の聖なる子・秀夫》という負債に耐え切れず逃亡した。
秀夫少年は、
生まれ故郷は父を捨てた。そして、オレも父を捨てた。嗚呼、オレも、あの無慈悲な生まれ故郷と、何の違いもない、同じ《悪党》だった!
と気づいてしまったのだ。
しんどい役目から逃げる、少年は村落と同罪なのだ。
だから少年は号泣する。罪の涙を流すのだ。
《リバタリアン映画列伝》「砂の器」(1974年)その2~実父、養父、偽父、義父~村落、国家、市場。 - 在日琉球人の王政復古日記
に続く。
(まとめ)リバタリアン映画列伝 - 在日琉球人の王政復古日記