在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《ファシズム映画列伝》「ヒトラー ~最期の12日間~」その2~母として、国家社会主義者として、ゲッペルス夫人。

《ファシズム映画列伝》「ヒトラー ~最期の12日間~」その1~「私は総統に忠誠を誓った」 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

第二次世界大戦末期。ソ連軍が迫るベルリン。

ヒムラーゲーリングなど、途中で裏切りが続出するナチ党幹部の中にも、最後までナチズムに忠実だった人物がいた。

宣伝相ゲッペルス夫妻だ。特にゲッペルス夫人の気迫は凄まじい。 

 


Les enfants Goebbels

 

 

ソ連軍が迫り、陥落寸前のベルリン地下総統官房の一室で、

自分の腹を痛めて生み、育て、愛してきた男女6人の子供達に、

睡眠薬をムリヤリ飲ませ、昏睡中のわが子一人一人の口に、

青酸カリ入りのガラスのアンプルを押し込み、

アゴを押さえてパキッとガラスを噛み割らせるシーンは、

「ナチズムとは何たるか」を表現して余すところがない。

 

青酸カリであるとか、ないとか、それ以前に、母親が自分の子供の口の中に割れたガラスを押し込むのだ。

もちろん即死で、痛みは感じなかっただろうが、子供の口の中は、ガラスの破片でズタズタに裂け、血塗れである。

その残虐無比を、母親がやるのだ。

 

日本人だって満州からの引き上げで、琉球人だって沖縄戦の洞窟で、我が子を殺した。泣き叫ぶ赤ん坊の口をふさいで窒息死させた悲劇はあった。

 

しかし、これら日本人・琉球人と、ゲッペルス夫人は決定的に異なる。


満州引き上げや沖縄戦で子供を殺したのは、食わせるモノがない、泣けばロシア兵やアメリカ兵に見つかる、などなど、子供の存在が、周りの仲間の迷惑・邪魔・負担になるからだ。

他方、ゲッペルス夫妻の子供達は、周辺のドイツ将兵たちの迷惑・邪魔・負担にはなっていない。地下官房には食い物もタバコもまだあるし、どうせ最後まで食い尽くす時間はない。子供たちも泣き叫んで大人をイライラさせてるわけではない。逆に、歌を歌ったり、追い詰められたヒトラーにとっては心の安らぎでもあった。


満州引き上げや沖縄戦で子供を殺したのは、何の権力も持たない、他に逃げ場のない、無防備な一般庶民だ。

他方、ゲッペルス夫妻の子供達はナチ最高幹部の家族という恵まれた環境にいた。

もしも早い段階で、ゲッペルス夫妻がその気になれば、子供達だけ西部戦線の連合軍陣営へ逃がすことも可能だっただろう。アメリカ軍も、いくらゲッペルス一家だからといって、子供は銃殺にしない。

しかし、ゲッペルス夫妻はその愛情ある合理的選択を取らない。


満州の荒野で、琉球の洞窟で、自分の子供の首に手をかけた時、日本人や琉球人の親はおそらく泣いただろう。

自分達がやりたくてやったわけではない。仲間だったはずの周りの日本人や琉球人からの「邪魔なんだよ、何とかしろ」という無慈悲で残酷な有形無形の圧力の中で、何やら正体のわからない悪魔とも神とも言いうる不可視で巨大な「存在=世間=空気」から、無理やりやらされている。「いったい、なんで、こんなことに?」という思いで声を殺して泣いただろう。


しかしゲッペルス夫人は涙一つこぼさない。

彼女は、母として、国家社会主義者として、自分の思想から、自分の意思で、子供たちの口に青酸カリを押し込んだ。

私の子供を殺すのは、この私なのだ。

殺人の責任は、周辺のドイツ人の圧力でもなく、殺到するロシア人でもなく、「わが子たちを、アメリカ=ユダヤ資本主義の腐った世界にも、ロシア共産主義の間違った世界にも、残しておくことはできない」という母親かつ国家社会主義者である、この私の意思・決断にある。

 

日本に生まれたから、琉球に生まれたから、ただそれだけの理由で、まるで養鶏場に流し込まれるエサのように、自動的に、大日本帝国臣民になった哀れな一般庶民と、

ワイマール共和制でもなく、帝政復古でもなく、社会民主党でもなく、共産党でもなく、カトリック中央党でもなく、国家人民党でもなく、国家社会主義ドイツ労働者党の党員であることを、他の誰でもない、自分自身の意思で選択したゲッペルス夫人では、

同じ敗戦国の、同じ子殺し、といっても、政治的・思想的深みは全然異なる。


ナチは、ドイツ民族増加のために「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」とばかりに出産養育政策にかなりの力を入れていた。少子化なのにやるべきことをやらない中途半端なアベノミクスはえらい違いである(笑)。

ゲッベルス夫妻は元々敬虔なカトリックだったらしい。道理で6人の子沢山なわけだ。 子沢山という意味でも、ゲッペルス家は模範的なナチ的家族だった。

 

考えてみれば、もともとナチは、プロテスタントが優勢なプロイセンなどドイツ北部ではなく、カトリックバイエルンで誕生した。ヒトラー自身もカトリックオーストリア出身だ。親衛隊はイエズス会をモデルにしたという説もあるくらいで、カトリック神学がナチズムに影響を与えた可能性は捨てきれないだろう。

 

ドイツ民族増産に力を注いだナチは、結婚制度にも積極的だった。

この映画でも、ヒトラーと愛人エヴァ・ブラウンが地下壕の中で結婚するシーンがある。
ヨーロッパの結婚式には付き物のキリスト教の神父も牧師もここにはいない。戦争のせいで連れて来られないからではなく、ナチズムの結婚にキリスト教の出番はない。ナチの結婚はナチの法務官僚が婚姻届を受け取るだけだ。
その時の質問が素晴らしい。

神父や牧師なら「病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで、愛することを誓いますか?」となるが、

 

ナチの法務官僚の質問は、 

ブラウンさん、貴女はアーリア人ですか? 

次に 

総統閣下、貴方はアーリア人ですか? 

これがナチズムである(笑)。

 

すぐその数メートル上の地上ではボリシェヴィキが砲弾を撃ちまくっている非常時に、いくらなんでも杓子定規すぎるということで、同席したナチ高官が「おい君、総統閣下に失礼だろう!」と怒る(笑)。

 

しかし、非常時でも杓子定規という、このドイツらしさこそが、

「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」

と言い切った、プロテスタント宗教改革の先陣(つまり近代思想の雛型の先駆者)マルティン・ルターを生んだお国柄、ナチズムの本質でもあるのだ。

 
とまあ、素晴らしいシーンも多いこの映画だが、心底ダメダメなシーンもある。
それはプロローグとエピローグ。

原作となった手記の著者・ヒトラー付き私設女性秘書のモノローグだ。
「あの当時、ナチスの残虐な犯罪は知らなかった。しかし言い訳はできない。ちゃんと見ようとしていれば知ることができた。反省している」

みたいな、エクスキューズを前提にした、何の深みもクソも無い、それこそ東アジアの黄色人種でも言えるような、どうでもいい甘ったれた駄法螺をほざく。

 

我が子6人の口の中で青酸カリのアンプルを噛み割らせ、ロシア人の砲弾飛び交う中、夫の銃弾を真正面から受け、言い訳無用の無言で散華したゲッペルス夫人の鋼鉄の覚悟。

戦後を生き延びて自由と享楽と民主主義に堕落し、言い訳に終始する元女性秘書の覚悟の無さ。

 

もちろん、私個人は骨の髄まで、東アジアモンスーンの湿気の中で生きてきた琉球人である。間違いなく、ゲッペルス夫人ではなく、この元女性秘書と同じ分類だ(笑)。

私も、その日が来たら、ご先祖と同じく、周りの圧力に負けて、泣きながら我が子の首を絞めることになるだろう。

 

それだけに、近代人として屹立し、自己と真正面に向かい合うゲッペルス夫人は、神々しくも=禍々しくも、美しい。

 

東宝VS東映

 

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日本VSロシア

 

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そして、日本VSドイツ

 

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ドイツ映画「ヒトラー ~最期の12日間~」と日本映画「日本のいちばん長い日」。

同じ「帝国の終焉」を描きながら、日独の違いが如実に表れた2本の戦争映画である。見比べると興味深い。