在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

#音楽に政治を持ち込むなよ ~騒動の根源は明治維新にある(笑)。

なんで、いまさら、こんな論争が起こるのか?と言えば、150年前、「明治維新」が予想外の成功を治めてしまった副作用だ。

  

「フジロックの政治利用」批判にアジカン後藤が反論 - 音楽 : 日刊スポーツ

2016年6月20日

 今夏開催される野外フェス「フジロック・フェスティバル’16」に学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。
 こうした批判の声に、ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のボーカル、後藤正文(39)が「フジロックのこと知らない人が言ってるよね」と反論した。
 後藤は20日にツイッターで、「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし」と、フジロックと政治の関係性について述べ、今回の批判について「『読経に宗教性を持ち込まないでください』みたいな言説だよね」と的外れであることを指摘した。

 

日本だけでなく、世界中の傾向として、ほとんどのミュージシャンは、一般庶民よりも、政治的に「左」であり、リベラルである。

すでにネットでたくさん書かれているが、ロック自体が反体制運動の中から生まれたのであり、具体的にはベトナム反戦運動の影響を多大に受けている。

最初からLOVE&PEACEなのだ。

 

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それでも、日本において、今回のような「なんで、ロックが左翼なの?」みたいな反発が生まれるのは、日本人一般が英語のリスニング/ヒアリングに弱いことが一番大きな要員だと思う。

 

日本人が洋楽を聞く場合、「曲」は聞いて理解できても、外国語(ほとんどが英語)の「歌詞」を完全に理解できてるわけではない。

まあ、簡単なフレーズや、サビの部分は、ある程度わかるにしても、歌詞の全体像は把握できないまま、歌手が如何なることを喋ってるか判ってないまま、曲のノリだけで好きになって聞いてるわけだ。

 

あなたは、歌詞が判ってないくせに、アメリカの音楽が好きなのだ。

正直に、そうでしょ(笑)?>皆さん。

 

英語を母国語としない人々は日本だけではないが、

フランス人だのドイツ人だのヨーロッパの人間は、文法的にも語彙的にも非常に近い言語だから、ネイティブではないにしろ、ある程度の意味は理解できる。

ヨーロッパ以外のアジアやアフリカ地域も、洋楽を聞くような、ある程度の学歴と余裕がある人は、日常で英語をある程度使えるのが普通だ。

 

しかし、日本人はかなり学歴と余裕のある人でも、英語が苦手だったりする。

これは、ご本人の責任ではなく、日本という国が自力で近代化=欧米化に成功したという、それ自体、文句のつけようのない「栄光の歴史」のネガティブな副作用なのだ。

 

普通の国のインテリは、英語【を】勉強するのではない。英語【で】他の学問を勉強するのである。

 

しかし、日本は、学問でも、文化でも、英語の情報を、ほとんど全部、日本語化できた/してきた。そんな国は非常に特殊なのである。

金融経済学だの、原子物理学だの、文化人類学だの、医学だの、大学でやるような高等学問の専門書が、ちゃんと「原住民の土着言語」に翻訳されていて、英語ができなくても、大学レベルは卒業できる、そんな国は珍しい。 

 

日本は、なまじ、母国語のままで近代化=欧米化に成功してしまったために、生活に、学問に、英語が浸透しなかった。

そのネガティブな面として、大半の日本人は、グローバルスタンダードの大衆音楽の英語が聞き取れないのである。

しかし、そのポジティブな面として、日本人は、中学高校レベルの勉強だけで、専門の学問的訓練なしで、1000年前のご当地文学、「源氏物語」やら「古今和歌集」やらをそのまま読解できる、という歴史的財産を維持できたのである。

 

「わが国では大学やビジネスは英語ができないと通用しません」みたいな、アジアやアフリカにある普通の後進国では、現地の昔の言語で伝承された文学作品は読めなくなっていくので、どんどん忘れ去られていく。一般庶民だけでなく、インテリも、「自国の古文」を読める人がいなくなる。

英語で教育して、英語で学問して、英語で仕事をする、アジアやアフリカの新興国では、自分たちの昔からの伝統的文学や古文書が、専門家(それも欧米人)にしか読めなくなり、博物館(それも欧米の)で管理されるようになる。

 

日本は、英語が出来なくても、学問も、仕事も、日本語でなんとかなる。ますます英語が出来なくなる。

 

固有の伝統文化を保持できた日本、の代償が、

グローバルスタンダードからの孤立する日本、である。

経済学でいう「トレードオフ」なわけだ。 

  

ポジティブに表現すれば「クール・ジャパン」であり、

ネガティブに表現すれば「ガラパゴス・ニッポン」となる。

同じコインの裏表だ。

 

「ロックは反体制!」「ウッドストック反戦!」「ミュージシャンはリベラル!」と言われても、ピンと来なかった日本人がこれだけいるのは、普段聞いている洋楽の英語の歌詞を翻訳してこなかったせいである。

歌詞の意味を把握していれば、当の昔に「なんだよ、どいつもこいつもサヨクじゃん。ひょっとして、アメリカのミュージシャンって、在日か?」と、コミンテルンの恐ろしい洗脳に気が付いていたはずなのだ。

 

ただし。

英語ペラペラ、ネイティブのはずの、歌ってるご当人の国・アメリカの皆さんも、大ヒットした歌でも、歌詞の内容や、歌手の主張を、完全に把握しているわけではなく、日本人みたいに、曲のノリと、サビのフレーズだけで、聞いている傾向があるようなのだ。

 

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に続く。