(「戦争の惨禍」ジャック・カロ1632年)
宗教とは【全て】である。
【人間の全て】であり【世界の全て】であり【宇宙の全て】だ。
アッラーの子は笑い、世俗の父は泣く~バングラデシュ・ダッカ日本人虐殺テロ~クルアーン試問される女章~旧約聖書申命記。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
宗教とは、愛だの、平和だの、心のヤスラギだの、日々の祈りだの、そんなナマぬるい、去勢された、脱臭された、丸め込まれた、クソ下らないもんではない。
宗教とは、世界の、宇宙の、ありとあらゆるモノ、人間に認識できるモノ、認識できないモノ、存在するモノ、存在しないモノ、一切合財全部に匹敵し、かつそれらを凌駕する価値体系である。
宗教は、世界よりも、宇宙よりも、価値がある。
当然、宗教は人命なんかよりもずっと価値がある。
宗教が人をブッ殺すのは、原理的には止められない。
ゆえに「宗教」と「世界=われわれ」との関係は、「国教」「カルト」「背教」の3種類しかない。
一つ目は、その宗教が、彼らの定める世界を支配する「宗教の国教化」だ。
あらゆる宗教は布教するものだ。
イスラムに限らず、キリスト教だって「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ(マルコ福音書16:15)」とある。
西遊記の玄奘三蔵VSマルコ福音書のフランシスコ・ザビエル - 在日琉球人の王政復古日記
日蓮宗や創価学会などの法華経信仰だって「広宣流布」が本義である。
法華経LOVEの日蓮も「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と喝破し、密教、禅宗、浄土・念仏・阿弥陀信仰、律宗を徹底批判した。それら他宗派の撲滅を目指した。
そのカウンターとして、浄土信仰側も、小松原法難、松葉ヶ谷法難などなど、日蓮一党を物理的に迫害した。
ユダヤ教のように、他民族に布教しない、ユダヤ人にしか信仰を許さない宗派だって、彼らの想定する範囲内=ユダヤ民族には熱心に宣教するわけだ。
その宗教が設定する範囲(ユダヤ教ならユダヤ民族、キリスト教、イスラム、法華経信仰、浄土信仰なら、全世界の人間)において、他宗派、異教を完全に駆逐して、その宗教のみが信仰されることが理想であり、あるべき姿となる。つまり「国教」である。
もしも国教になれない場合はどうなるか?
その宗教は、間違っている人々、真実を知らない世界に対して、布教と抵抗と告発と批判を続けることになる。
二つ目は、「宗教のカルト化・ゲリラ化」である。
ナザレのイエスだって、最後の預言者ムハンマドだって、法華経の日蓮だって、念仏の法然だって、彼らは生きてる間に全世界を教化することはできなかったわけで、(一応生物学的には)戦いの途中で死んだ。当時の彼らはカルト教団の首魁であった。
彼らだけでなく、現時点で、この地球上の人間を全員信者にした宗教はないわけで、現存するすべての宗教は、最終目標の世界征服の途上にあるカルトである。
しかし、その宗教が全世界の制覇をあきらめたらどうなるか? 異教や他宗派との共存を認めたらどうなるか?
三つ目は、「宗教の背教化」だ。
異教や他宗派との共存と妥協は、本来は救われるべきなのに、間違った信仰のために、このままでは確実に救われない人々=異教徒の救済をあきらめたということだ。
本来、自分たちの宗教・宗派以外は、すべて邪教であり異端であり外道だ。
他宗教、他宗派、何も信じていない世俗は、絶対に間違っている。絶対に間違っている連中を放置し、絶対に間違ってる連中と妥協することは、自分の信じているモノを裏切らないと不可能である。
世界を支配しない宗教は、世界に抵抗しない宗教は、全部「背教」である。
プロテスタントやユダヤ教やイスラムと和解するローマ法王は、教会設立時からの目標である「全世界のカトリック化」を放棄している。
平成の世、浄土真宗の坊主が、日蓮宗の坊主と、何かの会合でニコニコあいさつを交わすのは、弥陀の本願に反するし、日蓮大聖人も激おこぷんぷん丸(古くてすいません)である。
日本国憲法の「信教の自由」は、それぞれの宗派に対して、教義の根本を捨てろ、国教を目指すのをあきらめろ、延々と戦い続けるカルトもやめろ、つまりは世俗や他宗派と妥協して背教しろ、という要求なのだ。
「信教の自由」とは宗教の敗北を意味する。
そして、その「背教」以外に、宗教による殺し合いを止める方法はない。
すでに、ごく一部を除いて、日本だけでなく世界中の仏教各宗派はほぼ背教したし、宗教戦争をやらなくなった主要なキリスト教諸宗派も事実上の背教状態である。
全世界のイスラム教徒、というか全世界のイスラム法学者にも、ムハンマドの教えを放棄して、背教してもらわないと、殺し合いはなくならない。
宗教で人を殺すのは、なにも、イスラムの専売特許ではない。
キリスト教だって、17世紀ドイツの人口を半減させた三十年戦争を筆頭に、陰惨かつ壮絶な殺し合いを繰り返した果てに、「背教か、共倒れか」の二者選択で前者を選んだわけだ。
それが近代主権国家体制のスタートでもある「ウェストファリア体制」である。
テロを止めさせるには、どんなに不満があろうが、イスラムにも、事実上、キリスト教諸宗派の(国教化もカルト化もあきらめますという)背教宣言であったウェストファリア体制の精神を呑んでもらうしかない。
ただしウェストファリア条約は、宗教の時代の終焉ではあるが、近代主権国家、ナショナリズムの誕生でもある。
宗教の殺し合いは止めたが、今度は国家権力の極大化が始まる。
国家間の領土や国益をめぐる殺し合いが始まって、十字軍や三十年戦争の代わりに、第一次世界大戦、第二次世界大戦まで行きつく。
宗教の殺し合いを止めさせたウェストファリア体制が、国家・ナショナリズムの殺し合いを助長したわけだ。
生産する死体の量は全く減らなかった。
今度はウェストファリア体制の殺し合いを止めさせる必要が出てくる。
近代主権国家の制限(広域共同体・相互安全保障)、ナショナリズムの抑制(個人の移動の自由によるインターナショナリズム)、「国教」ならぬ「国境」の無化。
つまりは「EU」が誕生する。
その人類の希望・EUの現状は、皆さん御存じのとおりである。
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