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在日琉球人の王政復古日記

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ギャレス「ゴジラ」(2014)~渡辺謙「だけ」の「平成ガメラ」まるパクリ映画。

《靖国映画列伝》東宝「ゴジラ」(1954)~復員か?復讐か?参拝か?参内か?~高天原から神武天皇東征VS南洋からゴジラ襲来。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

庵野「シン・ゴジラ」(2016)~花森麗子VS金慶珠~日の丸なき「この国」~またも天皇御動座は不明。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

じゃあ、ついでにハリウッド版も。

 

1998年のエメリッヒ「ゴジラ」は、日本の特撮ファンからはさんざんに叩かれまくった「トカゲ」映画である(笑)。

 

2014年のギャレス「ゴジラ」は、なぜか日本でも評判は悪くない「怪獣」映画だ。

 

しかし、個人的には、エメリッヒ「ゴジラ」は結構見所がある政治映画であり、ギャレス「ゴジラ」はどうしようもないダメ映画だと思う。

 

ギャレス「ゴジラ」は、渡辺謙のハリウッド進出、という意味では誠に喜ばしい映画なんだろうが、特撮映画としてでなく、普通に映画として脚本がダメダメ。

 

まず、わざわざ15年前の原発事故をスタートにするストーリー上の意味が何かあったか? 主人公のアメリカ兵の子供時代、お父さんやお母さんの15年前のエピソードは、丸ごとバッサリ削っても、ストーリーに何の問題もないのだ。成人のアメリカ兵とケン・ワタナベがフィリピンか日本で怪獣のサナギ発見、そこから話を始めても、何の支障もない。

その点、「シン・ゴジラ」は、冒頭のシーンから、いきなりゴジラ登場だ、無駄なシーンが全くない。脚本のシンプルさが「シン・ゴジラ」の隠れた評価ポイントだ。

 

ハワイのアジア系子供のエピソードも、あんまり意味が分からない。全部削っても、問題はない。というか主人公の本当の息子とのエピソードにしたほうが話がスッキリするだろう。

アジア系少年と両親がはぐれる、でも次のシーンで、大したゴタゴタモなく、すぐ再開できる、というストーリーと、

主人公のアメリカ兵と医者の奥さんと子供がはぐれる、でもラストで、大したゴタゴタモなく、すぐ再開できる、というストーリーは、

まったく同じで、単なる繰り返しなのだ。

 

ライバル怪獣ムートーの電磁パルス、という悪い意味でなんでもありの万能ネタのせいで、電子機器が使えない、戦闘機が墜落する、アメリカ軍はまともな通常兵器が使えない、特殊部隊の肉体勝負と陸軍歩兵の自動小銃一斉射撃程度しか手段がない、ということで、ゴジラと世界最強のアメリカ軍、地上最強同士の真正面からのガチンコ勝負がまったく描けていない。

陸海空自衛隊在日米軍のやれることは全部やった、フルスペックの現有戦力大博覧会をちゃんと描けているシン・ゴジラに比べても、ギャレス「ゴジラ」のアメリカ軍はショボすぎるのである。

電磁パルスというネタは、脚本として、まったくダメだったと思う。

 

そして怪獣の対立構造が、平成ガメラ第1作「ガメラ大怪獣空中決戦」、第2作「ガメラ2レギオン襲来」と、完全にかぶってる。

ムートーは、コンセプトも、デザインも、ギャオスとレギオンとガイガンを足して3で割ったような劣化コピーである。

怪獣の産卵というネタも、エメリッヒ「ゴジラ」、そして「エイリアン2」のまるまるパクリだ。

 

というか、ムートーは、ギャレス監督の出世作「モンスターズ」と同じ、乱暴に言えば「クトゥルー」的というか「地球の生物とは異質な異次元」的な怪獣デザインであり、実際の恐竜から派生した生物的なゴジラのコンセプトと、ビジュアルの食い合わせがよくないと思う。

 

 まだ、エメリッヒ「ゴジラ」のほうが、コジラ映画としてはアレでも(笑)、政治的にははるかに面白かった。

 

エメリッヒ「ゴジラ」(1998)~ドイツ人監督とフランス人ジャン・レノがアメリカをコケにした「反米映画」。 - 在日琉球人の王政復古日記