読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

映画「ホテル・ルワンダ」その2~アフリカ代理戦争~歴史を引きずるアジアVS歴史を失ったアフリカ。

第2次世界大戦後の冷戦勃発で、世界は3つに分割された。

アメリカ合衆国・西欧の先進資本主義陣営「第1世界」。
ソ連・東欧の新興社会主義陣営「第2世界」。
アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカなどの後進国「第3世界」。

 

冷戦の結果、「第2世界」は生存競争に敗北し消滅するが、同時に「第3世界」も崩壊することになる。しかし第3世界の崩壊は、消滅ではなく、分裂だった。

地域も歴史異なるのに、「欧米以外」という誠に大雑把なくくりで、第3世界」と呼ばれた、アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの国々は、冷戦終結後、地域ごとに大きく運命を分けていく。

 

映画「ホテル・ルワンダ」その1~アフリカ代理戦争~西部劇から消された中国人。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

アジア諸国は、北朝鮮などのわずかな例外を除いて、基本的に経済成長に成功し、すでにアメリカにタメを張る経済大国・支那、ヨーロッパの中小国を抜き去り先進工業国入りした韓国・台湾、未来の経済大国・インド、インドネシアなど、どの国もこの半世紀で生活は急激に豊かになった。今やアジアは欧米世界秩序の対抗馬である。

 

中東は、石油とイスラムという2つの特殊問題を抱える地域であり、近代化と宗教化がせめぎあい、なかなかテイクオフできない、どころか、一部では前近代へ先祖返りしようとしている。

 

ラテンアメリカ諸国も、もともと第3世界の中でも欧米的文化の基礎があったこともあり、抑圧と貧困と混乱の最悪の時代は脱しつつある、とはいっても、その先頭を走る経済大国候補ブラジルを見ればわかるように、まだまだ課題は多い。

 

しかし一番問題なのはアフリカである。

アフリカだけが「第3世界」どころか「第4世界」にまで落ちようとしている。

 

戦後しばらくは、AA(アジア・アフリカ)とまで並び称されていた時代もあったのに、今やアジアとアフリカは、政治的・経済的に同じ扱いが出来ないほどに格差が開いた。

大東亜戦争朝鮮戦争文化大革命、印パ戦争、ベトナム戦争、大量の近代兵器を使った大規模戦闘や政治的組織的大虐殺は、アフリカよりもアジアの方が多かったくらいなのに、そのアジアが経済成長したのに、なぜアフリカの経済成長は困難なのか?

なぜアフリカには、支那やインド、韓国や台湾みたいな国家が生まれなかったのか?

 

決定的要因は地政学だ。

アフリカが、あまりにヨーロッパに近く、また、あまりにアメリカ新大陸に近かった、ことにあるだろう。
言い方を変えれば、われわれアジアは、ヨーロッパから遠く、かつ、アメリカ新大陸から遠かった、からこそ生き残れた。

ヨーロッパの人口過剰と資本蓄積、アメリカ新大陸の豊富な資源と労働力不足、この2つが、アフリカ大陸の住人を奴隷貿易に巻き込んだ。奴隷による人材流出は、地域の国家や文化共同体を解体する。

ヨーロッパに近く、新大陸に近かった、ゆえに、アフリカ黒人が奴隷貿易のターゲットにされてしまった。

 

よくよく考えれば、肌の色が黒いことは奴隷の必要条件でも何でもない。

実際、アメリカ新大陸の黄色い原住民インディオも奴隷にされていた。

売る方・買う方からすれば、奴隷の肌が黒くても黄色でも青色でもピンクでも一向に構わない。ノープロブレムである。

ヨーロッパ白人にしてみれば、新大陸に送り込む奴隷は、インド人でも支那人でも日本人でも、アジア人でぜんぜんよかったのだ。 

しかし、アジアも奴隷貿易がなかったわけではないが、アフリカほどではなかった。 

それはヨーロッパにとって、アメリカ輸出用の奴隷を狩り出すには、アジアは遠すぎて、コストメリットがない、というそれだけの話だ。アジア人はアメリカ新大陸から遠かったから助かったのだ。

 

その結果、その後のヨーロッパによる、アジアとアフリカの植民地化も、その方法が、大きく異なった。

世界地図を見よ。

基本的に、歴史や地形や民族分布の現状に沿って引かれたアジアの国境線。

歴史や地形や住民分布を無視して、机の上で、地図の上で、勝手に引かれたアフリカの国境線。

両者の違いは一目瞭然である。

 

アジアの場合は、それまで地域を支配していた前近代王朝のインフラ、システム、国境線、人材をかなり温存・活用する方向で植民地化された。 

イギリスのインド支配も、ムガール帝国を完全消滅させることなく、帝国のインフラを乗っ取る形で行われた。

支那も、半植民地といわれながら、形式的には最後まで大清帝国の政治体制は維持された。

日本だって朝鮮支配に李朝の枠組みをほとんどそのまま利用した。李氏朝鮮慶尚道や江原道は、日本統治時代も慶尚道江原道のままだった。

アジアの諸民族には、植民地化されながらも、前近代の王朝国家の歴史も記憶もインフラも継続された。たとえ植民地になろうが、インドはインドだし、支那支那だし、朝鮮は朝鮮のままだった。

 

しかし、アフリカの場合は、現地に存在したケルマ王国だのガーナ王国だのカネム・ボルヌ帝国だのソンガイ王国だのコンゴ王国だのという王朝国家や部族国家のシステムやインフラをほとんど無視して消滅させる形で進んだ。

アフリカ諸部族には、植民地化前の自分たちの地域の王朝も歴史も記憶もインフラもほとんど継承されなかった。 

 

ヨーロッパ側も、アジアの王朝国家とアフリカの部族国家の扱いは異なった。
イギリスのヴィクトリア女王は「インド皇帝」の称号を受けたが、例えば「ローデシア皇帝」みたいな称号はなかった。
つまりイギリス人は、インドという固有の文化圏は認めていたし、女王に称号を送るくらい栄誉と価値ある歴史だと認めていたが、アフリカにはそういう価値を認めてなかったわけだ。

 

その後の独立でも、もちろん例外は多々あれど、アジア諸国はインドもインドシナ支那も朝鮮も、植民地前の前近代王朝国家の基本ラインに沿って建国できた。

これが、諸地域の歴史やアイデンティティや文化の混乱を最小限に抑えて、国民統合や政治統治を容易にし、経済建設に専念出来た大きな要因である。

しかしアフリカは、植民地前の部族国家の歴史やシステムやインフラをほとんど失った上に、勝手に引かれた国境線ごとに独立し、政治インフラ無しの状態から建国しなければならなかった。

 

アジア人が「我々は※※国民だ」と自称するとき、明文化された歴史などそれなりの根拠を示せる。もちろんそれはそれで民族対立や分離独立や国境紛争にも繋がるが、大枠での議論の叩き台は歴史的・文化的に存在する。

しかしアフリカ人が「我々は※※国民だ」と自称するとき、すでに悠久の過去からの歴史は抹消され、国境線も勝手に引かれてるわけで、ほとんど何の根拠もない。意見の対立する共通基盤さえないわけだ。

 

同じくらいの貧困と荒廃と無秩序に置かれても、自分たちは朝鮮人だ、自分たちはベトナム人だ、という理念の土台から出発できたアジアと、自分たちと隣の部族や直線の国境線の向こう側の連中とが、はたして同じ国民なのか、はたまた違うのか、をまずは決めなければならないアフリカでは、困難さが全然異なるのである。

 

これらアフリカの悲惨さの責任は、どう考えても、大航海時代以降、数百年にわたってアフリカで勝手放題やってきたヨーロッパにある。

西欧もその負い目があるから、穴の開いたバケツに水を注ぐような効果の薄い経済援助や、問題を解決しないことが判りきっている休戦協定や軍事介入を繰り返している。そして自国にアフリカ系移民を受け入れる。

  

もしも、アジアの経済的成功を参考にするのなら、アフリカの問題解決の基礎は「前近代、大航海時代以前、植民地時代以前のアフリカの歴史や文化やインフラの復興・継承」しかないわけだが、まあどう考えても、もはや遅すぎる。

いまさら、ケルマ王国、カネム・ボルヌ帝国、ソンガイ王国などの歴史や記憶やアイデンティティを、21世紀の同じ場所に住むアフリカ人と結びつけるのは不自然すぎて不可能だろう。

 

となれば、もう一つの成功例、アメリカ新大陸でやった「何もないところから移民同士でイチから建国」となるが、となれば、アングロアメリカでもラテンアメリカでもそうだったように、ますます知識とカネを持ったヨーロッパ白人が主導的に建国するしかない。
それこそヨーロッパ白人が数百万人規模でアフリカに移民して、暴力とカネを駆使して、役立たずの現地政府を解体し、腐敗した黒人ボスを追放し、黒人ゲリラを武装解除し、有用な土地を占有し、厄介事を抱える地域を放棄し、国境線を合理的に引き直し、黒人の子供たちを片っ端から、現在の風土から完全分離し、ヨーロッパ流の教育で強制し、アフリカ的ではない人工的な「黒いヨーロッパ国家」を作るしかない。

 

それも出来ないなら、もう一度、新しいアフリカの歴史やインフラやシステムが自然発生するまで、これから何百年でも放置するしかない。
余計なことはせず、なるようになるまで、アフリカ人がこれから自力で日本や支那やインドみたいな民族的な枠組みを発明するまで、飢餓と内戦と虐殺の何百年を覚悟して傍観し続けるのだ。

しかし、世界は、アフリカで春秋戦国時代三国志モンゴル帝国辛亥革命の再放送が始まるのを我慢して待てるだろうか?

 

映画「ホテル・ルワンダ」その3~アフリカ代理戦争~ナタを作る中国VSナタで殺すルワンダ。 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。