読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

映画「ホテル・ルワンダ」その3~アフリカ代理戦争~ナタを作る中国VSナタで殺すルワンダ。

映画「ホテル・ルワンダ」のエンディングでは、

なぜアフリカだけがダメなのか?、という憤懣の心情を歌っている。

  

 

ホテル・ルワンダ (Hotel Rwanda - Million Voices)

 

If America, is the United States of America, 

Then why can’t Africa, be the United States of Africa?

And if England, is the United Kingdom,
Then why can’t Africa unite all the kingdoms
and become United Kingdom of Africa? 

 

アメリカは「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ」なのに、 

なぜアフリカは「アフリカ合衆国」になれないのだろう?

イギリスは「ユナイテッド・キングダム」なのに、
なぜアフリカは「アフリカ連合王国」になれないのだろう?

 

Million Voices Lyrics - Wyclef Jean 

  

映画「ホテル・ルワンダ」その2~アフリカ代理戦争~アジアVSアフリカ。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

実は、今から20年前の虐殺を描いた、10年前の映画「ホテル・ルワンダ」にも、すでに支那は登場する。

支那人人民解放軍も登場しないが、ちゃんと「チャイナ」という国名はセリフで出てくるのだ。

衝撃的、感動的なシーンがたくさんある傑作なので、おそらくこの映画を見た人でも「え?出てきたっけ?」とぜんぜん覚えてないと思うが、大したこともない1シーンにたった1度だけ「チャイナ」が出てくる。

映画の前半、虐殺を計画しているフツ族のリーダーが、主人公のホテルマンに、殺害用の凶器としてナタ(蛮刀)を準備していることを見せるシーンだ。 

 

大きな箱いっぱいに入った大量の新品のナタを見せて、リーダーは自慢する。

 

「チャイナから輸入したんだ」

 

このセリフこそが、ルワンダ大虐殺の、そしてアフリカ諸国の苦悩の、「真の原因」を露わにしている、と私は考える。

と言っても、産経新聞やWILLが書きそうな「支那の世界侵略」とか共産党の陰謀」とか、そういう耳タコの話ではない(笑)。

 

映画「ホテル・ルワンダ」のエンディングソングは、感動的・感傷的な歌だが、申し訳ないけれど、政治的には、この歌詞はズレている。

仮にアフリカが一つにまとまって、「合衆国」になったからって、「連合王国」になったからって、差別も虐殺も飢餓も、おそらく無くならない。

 「合衆国」に人種差別が無いわけじゃない。奴隷制もKKKも警官の黒人殺しも「合衆国」の出来事だ。

連合王国」に殺し合いが無いわけじゃない。北アイルランドのIRAもアルスターも「連合王国」の住人だ。

ソビエトは、15の共和国、50種類もの雑多な民族をまとめた巨大な「ユナイテッド」だったが、ルワンダフツ族もビックリするくらい大量の住民を餓死させ、安定期でも、パン配給所にパンはなく、肉屋にソーセージはなかった。

 

アフリカに必要なのは「合衆国」でも「連合王国」でもない。「支那」である。

「アフリカには支那が必要」と書くと、誤解されそうだが(ワザとだが、笑)、アフリカが目指すべき目標は、タイであり、インドネシアであり、台湾であり、韓国であり、インドであり、支那であり、そして日本なのだ。 

 

私ならこう歌う。

チャイナは「人を切り殺せるくらい丈夫なナタ」が作れるのに、
なぜルワンダは、自分でナタを作れないで、輸入するのだろう?

ジャパンは「舗装してない悪路でもよく走る自動車」が作れるのに、
なぜルワンダは、自動車を修理する部品すら、自作できないのか?

   

ルワンダの虐殺者たちがどうしようもなく最低・最悪なのは、相手を殺すナタさえ、自分たちで作れないことである。

 

大した技術もいらない、鉄板をプレスしてカットして研磨する程度の製品ですら、遠いインド洋のはるか彼方から輸入する。

もちろん、ルワンダ人の給料がヨーロッパ並みに高く、自分たちで作るより、支那に注文して、重たい鉄の塊をインド洋の船賃や内陸国であるルワンダまでのトラック代を加えて運んでもらっても、トータルコストで割安だというのなら話は分かるが、ルワンダ人の人件費が支那人よりバカ高いとはとても思えない。

ルワンダの虐殺者は人殺し用のナタすら自前で大量生産できない。たとえ自前で作る気になっても、原材料の鉄板をどこかから輸入するしかないのである。鉱物資源は豊かなのに、精錬所もないし、さらにプレス機械もないだろう。

 

対して支那人は、人間の頭を叩き割れるくらい丈夫なナタを、インド洋の船賃をプラスしても、アフリカ大陸の運送代をプラスしても、それでも貧乏なルワンダ人が大量に購入できるくらい、安価に高品質に大量生産できる。

ルワンダ人がいそがしく同胞の頭をカチ割ってる間に、支那人は黙々とナタを大量生産し、給料を貰い、そのカネで、テレビを買い、ビールを飲んで、暖かい夕食を楽しむ。

支那人労働者に他人の頭をカチ割ってるヒマはない。明日も工場はフル回転だ。日本の100円ショップに製品を納めなければならない。

 

ルワンダ人が死体を増やしてる間に、支那人は銀行の預金残高を増やす。

 

こういう話は、ルワンダだけでも、アフリカだけでも、この映画だけでもない。

2012年のサウジアラビア映画「少女は自転車にのって」にも出てくる。

 

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記サウジアラビア編「少女は自転車にのって」(2012年)VSアメリカ編「ローラーガールズ・ダイアリー」(2009年) - 在日琉球人の王政復古日記

 

映画「少女は自転車にのって」の主人公の少女は、自転車が欲しい。

だから、ラブレターの運び屋をやったり、いろんなモノを作って友人に売って稼いでいる。その一つがアクセサリーのミサンガの手作りであり、ショッピングモールの雑貨屋に手作りミサンガを売り込む。しかし店員の青年は「そんなの、チャイナから輸入した方が安い」と断る。

 

石油で金持ちのサウジアラビアも、自前でモノを作らず、ミサンガみたいな小物まで、支那から買っている。

ルワンダの人殺しはナタを買い、サウジのショップはミサンガを買う。

インド洋には支那の大量生産品が飛び交っているのだ。グローバル経済の一端は映画からも見えてくる。

 

映画「ホテル・ルワンダ」の主人公が虐殺に参加しないのも、生来の善人だから、というより、イヤミな言い方をすれば、ホテルマンとして仕事を続けた方が、他人を殺して略奪するより、はるかに安定して長期間に稼げるからだ。

彼の命がけの隣人愛を支えるバックボーンは、地道にマジメに働いた方がトータルで得をするという(それ自体には感動もクソもない無味乾燥した)経済合理性である。

虐殺でうっ憤を晴らさなくても、ホテルマンの毎日は充実しているわけだ。

 

ホテルマンの健全で安定した稼ぎが、ホテルマンの健全で安定した倫理を支える。

衣食足りて礼節を知る。支那の古典はアフリカでも通用する。

 

そして、できるだけ多くの国民に、健全で安定した稼ぎをバックアップするのが、ルワンダ政府の本当の役目なのである。それこそが、アフリカの差別や虐殺や飢餓を解決する最短距離だ。

ゆえに、アフリカに必要なのは「合衆国」でも「連合王国」でもない。 

必要なのは、まずは鉄板を加工する「ナタ工場」であり、次に鉄板を供給する「製鉄所」なのである。

つまり、日本の安倍ちゃんと支那習近平に求められているのは、「ナタの輸出」ではなく、「ナタ工場の建設」、逆に「ナタの輸入」ということになる。