在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

児童虐待児相一時保護は憲法違反(自民党改正草案)~児童相談所(社会主義)VS親権(保守主義)。

自民党憲法改正草案 

第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。 

 

児相の一時保護、親の同意不要に(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

 虐待を受けている子どもを家族から引き離す「一時保護」を児童相談所がより積極的に行えるよう、厚生労働省保護者の同意を原則としないなどの見直しをした新しい運営指針を全国の自治体に通知しました。
 一時保護をめぐっては、おととし、神奈川県相模原市児童相談所が、両親から虐待を受けて自ら保護を求めた男子中学生について、親の同意が得られなかったなどの理由から保護を見送り、男子生徒がその後、自殺しました。
 問題を受けて厚生労働省は、児童相談所が「一時保護」を積極的に行えるよう、運営指針を見直して全国の自治体に通知しました。具体的には、一時保護をする際の保護者の同意について、これまでの「原則として必要」から「望ましい」に表現を改めた上で、子どもの安全確保が必要な場面では「一時保護を躊躇なく行うべき」としています。

 

個人的には、今回の厚労省の方針に賛成する。

少子化の日本、貴重な人材である子供を、馬鹿親の暴力で減らすのは愚の骨頂である。

 

 

しかし、自民党として、こんな「左翼」な方針を出していいのか?

今回の方針は、自民党憲法改正草案に、あからさまに逆行している。

つまり、厚労省は、未来(笑)の憲法に違反している。

 

私は、日本国憲法に過剰な思い入れが一切ない。だって琉球人の憲法じゃないからだ。日本人の憲法なんだから、日本人が改憲したいならすればいいと思う。

ただ、法として客観的に見れば、自民党憲法改正草案は、現行憲法より、かなり出来が悪いと思う。琉球が独自の憲法を採用する場合、あれは拒否したい(笑)。

 

自民案第24条は、憲法に書く内容ではないが、保守思想的には正しい。

保守にとって、家族は最重要の単位である。親権は何より守らねばならない。

 

「親権」と「子供の人権」が対立した場合、「子供の人権」を優先するのは、人権というくらいだから保守ではありえない。その判断はリベラルだ。保守ならば「親権」を優先しないとウソになる。

 

それなのに、児童相談所という、たかが「公務員」の判断を、神聖なる家族の長たる「家長」の意思より優先するなんて、保守思想の破壊であり、リベラル的、いや、はっきり社会主義的な政策だ。

政府が、家族から、子供を奪う。完全にスターリンポルポトと同じである。

 

保守主義は、もちろんリベラルではないが、ファシズムでもない

「個人」「家族」「政府」の3つの内、

家族を優先するのが保守である。

政府を優先するのはファシズムであって、保守ではない。

そして、政府より家族より、個人を優先するのが、リベラルとなる。

 

保守思想に従って、子供を家族で育てることは、子供たちの間に、個々の才能では埋めきれない格差や差別を認めることにつながる。

東大に合格する子供の親の平均所得は、大学へ行けない子供の親のの平均所得をはるかに上回る。

親が金持ちなら、子供は良い教育を受けて、良い就職をして、良い暮らしをする。

親が貧乏なら、子供は教育を受けられず、良い就職もできす、貧困が続く。

 

それはダメだろう!すべての子供は平等なチャンスを持つべきだ。

家族という単位で考えるな。子供を「個人」として扱え。

となれば、親の貧富や賢愚が影響しないように、親の影響力を排除するしかない。

つまり親権を制限しないと、子供は平等にならない。

よって、家族優先の保守思想は止めて、代わりに家族以外の「公的な存在」が子供の面倒を見るべきだ。その家族ではない公的な存在とは「社会」である。

 

子供は家族が育てる・・・これが右翼・保守主義(の理想)だ。 
子供は社会で育てる・・・これ左翼・リベラル・社会主義(の理想)だ。

 

保守が応援する「家族」という組織は、それ自体に意思も組織もあるから、子供を育てられる。まあ、ゆえに子供を殴ることも、殺すこともできるから問題なんだが(笑)。 

しかし、左翼が応援する「社会」という組織は、それ自体の意思も組織もアイマイで、現実問題として子供を任せられない。よって社会の代替機能として政府が出てくることになる。

「子供は社会で育てる」は「子供は政府が育てる」に変わってしまうのだ。

左翼が、

そのアナキズム的理想とは反対に、どうしても大きな政府になってしまうのは、

社会主義の現実が、敵対するはずの国家主義ファシズムに接近してしまうのは、

こういう理屈である。

 

子供の教育も家族が行う。それが保守主義である。

子供の教育を政府に任せる、明治維新以降の義務教育制度も、実は保守ではなく、国家主義という看板を掲げた一種の左翼思想なのだ。

義務教育は、どこからどう解釈しても、「子供は家族が育てる」ものではなく、「子供は社会で育てる」発想だからだ。

学校は、本質的に、左翼なのだ。だから日教組と相性が良いのである(笑)。

そして、監獄や兵舎そして病院も、学校の仲間だ。どれも、その雰囲気、そのシステムが、ソ連共産主義体制そっくりである。

左翼としての国家主義、管理制度は、ファシズムに限りなく接近する。

 

本当の保守派ならば、義務教育制度にも疑問を持たねばならない。

「いやいや近代国家である限り、義務教育は廃止できない」という反論が出てきそうだが、そんなことはない。 

アメリカ中西部に住んでいるキリスト教原理主義者の皆さんは、ダーウィン進化論の妥当性や同性愛の権利を教える、アメリカ連邦政府の義務教育方針を拒否して、学校に行かせず、自宅で子供たちに聖書を読ませて教育しているのだ。まあ、それがいったい何の教育になるのか?少々疑問だが。

アメリカの保守派こそ言行一致、首尾一貫したホンモノのキチガ、じゃないや、真正保守である。

 

政府のイヌ・社会主義思想に立脚する児童相談所が、神聖な家族から、子供を奪う。

そうしないと子供が馬鹿親に殺されてしまう。

子供にも人権があるから子供殺しは容認できない。

家族こそ保守の基盤だ。しかし親がバカだった場合、保守に解決策はあるか?

という状況こそが、二重三重に、日本の保守思想の敗北なのである。

 

自民党憲法改正草案24条「古き良き家族制度」を破壊したのは、日教組ではなく、経団連である。 - 在日琉球人の王政復古日記