在日琉球人の王政復古日記

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法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その1)~犯罪被害者遺族VS出家比丘尼 #瀬戸内寂聴

殺したがるばかどもと戦って」 瀬戸内寂聴さん発言に犯罪被害者ら反発 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムに、作家で僧侶瀬戸内寂聴さん(94)がビデオメッセージを寄せ、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した。会場には全国犯罪被害者の会あすの会)のメンバーや支援する弁護士らもおり、「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発した。
 日弁連は7日に同市内で開く人権擁護大会で「平成32年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を提出する。この日のシンポジウムでは、国内外の研究者らが死刑の存廃をめぐる国際的潮流について報告。瀬戸内さんのビデオメッセージはプログラムの冒頭と終盤の2回にわたって流された。
 この中で瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。
 瀬戸内さんの発言について、あすの会顧問の岡村勲弁護士は「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」と話した。

 

 ちょっと、ここに引っかかった。

 

「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」

「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」

 

死刑になるような鬼畜外道のやらかしたことは、内乱や外患誘致じゃない限り、おそらくは殺人である。

 

法VS人間~死刑になりたいなら、殺人は無駄。確実なのは内乱・外患誘致。ただし難問が。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

殺人には必ず犯罪被害者がいる。

しかし殺人の犯罪被害者は残念ながらすでに死んでいる。

だから犯罪被害者が「こう思ってる」というのは確かめようがない。

もちろん常識で想像はできるが、想像が確実とは言えない。なぜなら犯罪被害者が死刑廃止論者の可能性もあるからだ。

 

で、全国犯罪被害者の会あすの会)のサイトを見た。

 

全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会:会の紹介】

定 義 第3条 犯罪被害者(以下被害者という)とは、次の者をいう。
(1) 犯罪により生命を失った者の遺族
(2) 犯罪により身体に被害を受けた者
(3) 上記1.2の近親者

 

彼らの定義では、殺された人だけでなく、(おそらく)癒えない傷害を負わされた人だけでなく、その遺族や近親者も、犯罪被害者と呼ぶようだ。

これはこれで一つの考え方である。私も納得できる。殺された人の遺族が人殺しを死刑にしたいという鬼畜外道への復讐心は、人情として非常に共感する。

 

何を隠そう私だって、日本の皆さんとよく似た、前近代的心情をなかなか捨てられない亜細亜人であり、復讐するは我にありという理屈で生きる俗世の琉球民族である。

  

だいたいの傾向として、死刑賛成派は、安倍政権や自民党を支持する保守派が多いように思われる。

反対に、 9条護憲だったり、反戦平和だったり、反原発だったり、岩波「世界」や週刊金曜日が好きな左翼リベラル陣営の人は、死刑も反対だろう。

瀬戸内寂聴も後者の陣営であり、改憲反対、原発反対、そして死刑反対である。

死刑賛成派は、キレイゴトばっかりで犯罪者に甘い寂聴や左翼リベラルを嫌っている。死刑反対は左翼の陰謀だと思ってる陰謀論者もいるだろう。

 

勝手に何の落ち度もない人間を殺した人殺しがいる。

そんな人間のクズを生かしておく意味はあるのか? 死刑は当然の権利だ。

 

日本を代表するネット・ジャーナリストの長谷川豊さんは、こうおっしゃった。

 

全文表示 | 「自堕落な生活で人工透析やってる連中なんか全員殺せ」 長谷川豊ブログ・発言が物議 : J-CASTニュース

   問題視されたのは、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と題するブログ記事だ。

 

これは、何の落ち度もない人工透析患者への「殺人」予告と取るべきなのか?

それとも、税金を食い荒らす泥棒を排除する「死刑」判決と取るべきなのか?

この予告は許されるのか?この判決は正しいのか?

 

比丘尼瀬戸内寂聴は「殺したがるばかどもと戦ってください」と放言した。

「馬鹿」は、知能の劣った者に対する蔑称だ。

知的障害者/障碍者」に対する差別である。

その意味で、

日本維新の会・松井大阪府知事の「痴呆症」「認知症」と同じだし、

自民党・神奈川県議某が、琉球人は「基地外」と呼んだのも同じだ。

 

<ツイッター>松井大阪知事「江田氏は痴呆症」 削除し謝罪 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 ◇「表現不適切。認知症の方におわび」
 日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事は6日、民進党江田憲司代表代行を「可哀想(かわいそう)に、痴呆症の症状が見受けられます」と批判した自身のツイッターでの書き込みを削除し、謝罪した。「表現が不適切だった。認知症で苦痛に感じられた方にはおわびしたい」と記者団に述べた。

 

基地反対派は「基地外(きちがい)」 自民・小島県議「失言でない」 (カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース

 自民党小島健一県議(横浜市青葉区)が都内で開かれた集会で、沖縄県内の在日米軍基地に反対する運動を「基地の外にいるということで『きちがい』」と表現する発言をしていたことが分かった。

 

近代人権思想から言えば、この老尼は知的障害者を差別した人権侵害者である。

しかし、人権思想は欧米近代思想であって、尼の帰依する仏教ではない。

仏教の理屈の中に人権なんていうヨーロッパ産品はない。

出家と在家を、正法と外道を、菩薩と如来を、厳然と差別している宗教なのに、人間平等の人権思想なわけがない。

 

死刑反対は、なにも、左翼のバックボーンである近代人権思想からだけ出てくる話だけでもない。

寂聴の帰依する前近代かつ非欧米の宗教・仏教から出てく理屈も、たまたま、偶然にも、人権思想と結論が同じ死刑反対である。

  

法(刑法)VS法(ダルマ)~復讐と死刑VS仏教不殺生戒(その2)~生老病死、愛別離苦、怨憎会苦 #瀬戸内寂聴 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。