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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

大阪人のカン違い~商業ブルジョア「細雪」から、吉本興業&山口組「岸和田少年愚連隊」へ~大阪VS沖縄琉球 #土人


映画「岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS」予告編

 

、戦後高度経済成長以後から現在までの、新しい「お笑いとヤクザの大阪」。

下が、江戸時代から戦前京阪神モダニズムに至る、本来の「ブルジョアの大阪」。

 

www.youtube.com

  

全文表示 | 「どこつかんどんじゃコラ、ボケェ」に「おい、ヤクザ」の応酬 大阪機動隊員の沖縄「土人」発言のガラの悪さ : J-CASTニュース

フェンスを揺らしたり、押したりして抗議する反対派に、若い機動隊員が
触るなクソ、触るなコラァ、どこつかんどんじゃコラ、ボケェ、土人が!
関西訛りで暴言を吐く。当初こそ「立ち去りなさい」と丁寧な言葉を使っていたものの、反対派の抵抗が収まらないと見るや「立ち去れ」「無駄や」と荒っぽい口調になっていった。
一方、反対派は「土人」発言に対し、「おい、ヤクザ!」と反発していた。

 

とりあえず、琉球はどうでもいいとして(笑)、問題は大阪の方なのだ。

 

大阪VS沖縄~「方言札」の恥辱を忘れたか?!~琉球 #土人 による、大阪弁差別を許さないっ!(逆じゃないよ) - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

大阪人自身が思いっきりカン違いしているのだが、このニュースにあるような「ガラの悪い大阪」というのは、昔からの話ではなく、実はつい最近できたイメージである。

 

明治時代も、戦前昭和も、その前の江戸時代も、そして大きく下って70年前の戦後しばらくですら、東京と大阪を比べて、大阪の方が「おもしろい」「ガラが悪い」なんてイメージはほとんどなかった。

現在の吉本興業=お笑い」と「山口組=ヤクザ」の街・大阪のイメージが確立したのは、予兆があったのは戦前の関東大震災あたりからだが、本格的には、ずばり戦後高度経済成長より後、つまりここ最近50年以内の、非常に短い期間なのだ。

それを「大昔から、大阪はお笑い、大阪はガラが悪い」と、日本全体のみならず、当の大阪人まで誤解しているのである。

 

大阪だけでなく、日本にとって、戦後高度経済成長時代こそ、大東亜戦争よりも、いや明治維新よりも、大きな日本史の分水嶺だった。その前とその後では別世界である。あそこで日本社会は大きく変貌した。

 

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日本史において、どこが歴史の分水嶺か?、という議論はいろいろある。

ま、一般には「明治維新」や「関が原」となるわけだが、もうちょっと専門的な話になると、室町時代の「応仁の乱」以前と以後で日本は大きく変わるという考え方もある。今の日本を知りたければ、応仁の乱以後の歴史で十分、応仁の乱以前の歴史は不要、というわけだ。

 

個人的には、
・白村江敗戦→朝鮮半島と政治的・文化的・心理的に分離→「日本」の誕生。
平将門藤原純友の乱→「東国」と「西国」の誕生→中世の開始。
豊臣秀吉小田原攻め→日本列島再統一→中世の終わり。
・戦後高度経済成長→日本社会解体→市場の優位。
あたりが、関が原や明治維新なんかよりずっと大きな「分かれ目」だと考える。

 

日本の歴史は、マクロで言えば、ずっと大和朝廷のあった関西の歴史だった。

鎌倉時代もそうだし、江戸時代も前半までは関西優位の時代なのである。

江戸時代後半あたりから関東がのし上がり、関西VS関東のバランスが大きく崩れたのは、戦後高度経済成長の時代だった。 

 

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東京と大阪。関東と関西。

 

歴史的には、ずっと、関西の方が格上であった。


奈良・平安も昔は言うに及ばず、鎌倉幕府成立後も経済力は関西が関東を圧倒し、徳川幕府成立後も関西優位は変わらない。

花のお江戸より、上方の方が、経済的にも文化的にもずっと格上だった。
大阪の繁栄は元禄時代に頂点を迎える。そして、文化文政期になってようやく江戸の経済力が上方のライバルのレベルにのし上がってくる。
明治維新で東京の政治的優位が決定した後も、大阪の経済的優位は守られ、大東亜戦争まで続く。 

 

江戸時代から戦前まで、関西=上品・優雅、関東=下品・粗野、であった。
料理は、上方が薄口、江戸が濃口。

歌舞伎だって、上方は和事、江戸は荒事。

 

しかし戦後高度経済成長で、日本史上初めて、ついに関東が関西を追い抜く。

 

それまでは小説「細雪」のイメージだった大阪が、だいたい戦後高度経済成長を分水嶺に、お笑いの吉本興業、ヤクザの山口組、豹柄のオバチャンなどなど「コテコテの大阪」になっていく。

自他共に認める今の大阪のイメージは、つい、最近出来たモノなのだ。

つまり大阪人自体が、大阪の本来のイメージを誤解してるのである。

 

映画やテレビドラマになった「白い巨塔」は、ちょうど、その関東・関西の逆転、東京・大阪の逆転が起こった変動期の物語である。 

 

ヤクザ・侠客だって、江戸時代から戦後高度経済成長までは、知名度の高い人物は、大阪・関西からは出てこない。

山口組は戦前から神戸にあったが、大阪に進出し、全国制覇するのは、まさに戦後高度経済成長前夜からである。

それ以前の時代の有名だったヤクザは、

明治から戦前は、炭鉱と植民地で栄えた九州・関門の吉田磯吉や保良浅之助、

江戸時代は、幡随院長兵衛、清水次郎長国定忠治、大前田英五郎、新門辰五郎、と関東や東海道が中心なのだ。

  

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農業しかない場所にヤクザは生まれない。

近世初代ヤクザともいうべき、町奴「お待ちなせえ」の幡随院長兵衛は、江戸の口入屋(人材派遣業)であり、勃興する首都インフラ公共事業が生んだ。

清水次郎長も、東海道という近世日本の大動脈が生んだ。

国定忠治も大前田英五郎も、養蚕という江戸最大の産業がなければ、北関東に生まれていない。

吉田磯吉も保良浅之助も、石炭産業の筑豊、植民地・朝鮮半島への玄関・下関だからこそ、戦前の大侠客になれたのだ。

  

お笑いだって、大阪は本場だったわけではない。

漫才とテレビのバラエティがお笑いの中心なのは最近50年の話で、昔は落語や舞台喜劇そして喜劇映画の時代だった。その当時のお笑い芸人は大阪ではなく東京が主流だった。

 

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平成の今、「お笑い」というと、最大勢力は「漫才」だ。ダウンタウンビートたけしも漫才出身である。なぜなら、漫才はテレビのバラエティ番組向きのお笑いだからだ。

しかし、昔(戦前から戦後高度経済成長くらいまで)は、お笑いといえば、落語や漫才もあったが、大きな勢力として舞台喜劇もあった。だから当時の喜劇映画の役者も、漫才師や落語家もいないわけではないが、大半は舞台喜劇出身である。

漫才全盛の今、大阪の吉本が東京でも大勢力であるが、喜劇映画の時代は、吉本もそこそこの勢力だったが、やはり圧倒的に主役だったのは東京の喜劇役者だった。森繁久彌 渥美清もその出身だ。つまり喜劇映画は原則として「東京のお笑い」なのだ。

BSフジでやる駅前シリーズには、大阪を代表する漫才師・花菱アチャコ、必殺仕事人・中村主水藤田まことも出てくるが、あくまでも「客演」、常連ではなく、ゲストである。

「東京のお笑い」である東宝喜劇に、異なるテイストを持ち込む異物としての「大阪のお笑い」なのだ。 ここら辺も、大阪のお笑いが主流の平成とは、バランスが逆転していて面白い。

 

映画「細雪」の大阪から、「岸和田少年愚連隊」の大阪へ。

大阪は変貌したのだ。

  

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へ続く。