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在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その2~マルクス共産主義にすら美点がある。

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その1~緑色の瞳は何を映したか? - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

「アフガンの少女」難民の苦境を象徴する写真のモデル、不正身分証で逮捕

写真家のスティーブ・マッカリー氏が彼女の写真を撮影した。グーラーさんは当時、若い難民で、ソ連が侵攻したアフガニスタンからパキスタンのキャンプに逃れて来た。
長く記憶に残るこの写真は、ナショナル・ジオグラフィックが1985年に表紙として採用し、苦境に追い込まれる難民の象徴となった。彼女の緑色の目があまりにも悲しげで美しく、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「モナ・リザ」と比べられるほどだった。ナショナル・ジオグラフィックはまた、「アフガン戦争モナ・リザ」というタイトルで彼女のドキュメンタリーを制作した。

 

上記ニュース記事にも「アフガン戦争」とあるが、アフガニスタンという国は、大昔から戦争ばっかりやってる国なんで、アフガンの戦争は大昔から現在まで山ほどある。

なぜなら「ロシア-インド洋」「イスラム圏-インド・支那」という、地政学上、ユーラシア大陸の南北・東西の十字路に当たり、いやでも戦争に巻き込まれる運命にある土地だからだ。

そういう意味では「支那大陸ー西太平洋」の真ん中で、もめごとに巻き込まれやすい琉球とよく似ている。

 

だから単に「アフガン戦争」と言われても、時代時代で、どの戦争を指すのか困るんだが、このニュースで言う「アフガン戦争」は、「ソ連のアフガン侵攻(1978-1989年)」を指す。

 

アメリカ映画で言えば、シルヴェスター・スタローンの「ランボー3/怒りのアフガン」(1988年)が、この戦争を舞台にしてる。

 

#音楽に政治を持ち込むなよ ~ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」VSシルヴェスター・スタローン「ランボー」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

やるか、やらないか~映画「ロッキー」~韓国と日本、国家の優劣・勝敗と、個人の優劣・勝敗は、全く別の話。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

アメリカのヒーロー・スタローンが、イスラムの国に乗り込んで戦う。

21世紀の今なら、どう考えても、敵はイスラム原理主義者たちである。

しかし1980年代のアメリカは、なんと、イスラム原理主義者の味方をして、ソ連共産主義と戦っていたのだ。今とは、まったくサカサマである。

 

少女が主人公の映画は、邦題「アフガン零年」。原題「OSAMA」。

OSAMAとは、911テロの首謀者・オサマ・ビン・ラディンの名前であり、主人公の少女が少年に変装した時の偽名である。

ランボーソ連軍相手に大暴れしていた時、オサマ・ビン・ラディンランボーと共同戦線を張っていたのである。

911テロを引き起こしたアルカイダは、アメリカが育てていたわけだ。

 

映画「アフガン零年」の舞台は、ランボーの大暴れした「アフガン戦争=ソ連のアフガン侵攻」の終わった後の時代となる。

たから「アフガン零年」の少女と、「ナショナル・ジオグラフィック」の緑の瞳の難民少女は、まったく同世代の少女ということになる。

 

アフガン零年」と「ナショナル・ジオグラフィック」の背景にある「アフガン戦争=ソ連のアフガン侵攻」とは、ソ連が後押しする社会主義政権と、アメリカが後押しするイスラム原理主義勢力の戦いである。

 

ここで、世界史の原理原則を述べる。

共産主義マルクス・レーニン主義スターリニズムは、弁護の余地のない「ウンコ」である。

ポルポトカンボジア、金さんの北朝鮮を見れば判るように、この世に地獄をもたらす悪魔の思想だ。

大東亜戦争の日本よりもはるかに大量の人間をぶっ殺した、マルクス・レーニン主義スターリニズム共産主義を、根本的なレベルでまったく自己反省していない代々木の日本共産党を、私はまったく評価しない。彼らは病的な不感症である。

 

タリバンと戦ったアフガン社会主義政権も、ソ連の傀儡であり、原理原則として「ウンコ」だった。

しかし、その「ウンコ」も、最低限、近代思想をバックボーンにしている。

いや、近代思想だからこそ、粛清や餓死や強制収容所を効率的に運用して、計画的に機械的に死体を大量生産したという「マイナスの生産性」があったのだが、それでも近代思想なのだ。

 

近代思想ゆえに、マルクス共産主義は、理屈として「男女同権」であり、「男尊女卑」ではない。

もちろん、現実の社会主義国家や、社会主義政党・団体・運動には思いっきり女性差別が残存していた。日本の革命家を名乗った男たちも、戦前の共産党も、戦後の新左翼も、平等を唱えながら、同志であるはずの女性活動家に当然な顔をして炊事・洗濯を命じ、セックスも強要した。

しかし現実はどうあれ、共産主義にはタテマエとして男尊女卑を肯定する理論や理屈は存在しない。

北朝鮮はヒドイ体制だが、特に女性を狙い撃ちにして強制収容所に送るわけではない。ポルポトも、女性だけを選んで餓死に追い込んだわけではない。男女平等に殺したのだ(笑)。

ソ連も、支那も、東ヨーロッパも、女性差別に関しては、欧米西側市場経済体制とあんまり変わらなかった。つまり古今東西の歴史を比べれば、女性に関してはかなりマシだったわけだ。

共産主義体制下の女性は、教育を受け、仕事を持って、工場や事務所で働き、賃金を得た。もちろん男女間の賃金格差は厳然としてあったが、それは欧米や日本も同じだ。

たとえウソっぱちであっても、政治参加・選挙権は男女平等だった。もちろん政治指導者は男だらけだったが、それはわれわれの世界もあんまり変わらない。

 

まあ、実際問題として、ソ連支那北朝鮮も東ヨーロッパも、社会主義共産主義は軍事優先になるので、オトコは非生産部門である兵士に大量投入することになり、生産部門の労働力が不足する。だから女性を働かせないと経済が回らない、という身も蓋もないホンネもあるのだが(笑)。

 

政治参加や表現の自由がないのは、ソ連社会主義イスラム原理主義も同じだ。

しかし「アフガン零年」の女系家族も、社会主義政権ならば、女性だからという理由の困窮だけはなかったのである。母は看護婦として近代医療制度の病院で働き、少女も、社会主義イデオロギー教育ではあっても、学校で勉強はできた。

女性は、ブルカどころか、スカーフも義務ではなく、顔も髪の毛もムキ出しにして、欧米風(ロシア風)のワンピースやスカートやズボンをはいて、街を歩くことができた。自転車に乗ってもいいし、自動車も運転できた。

共産党の政治警察も「女のくせに、街を歩くな。顔を隠せ。スカーフをつけろ」という命令はしなかった。

 

日本を含む資本主義諸国は、ソ連共産主義はヒドイ、アフガンを救おう、とイスラム原理主義を応援したが、女性にとって、どっちの体制の方がよっぽどマシだったのか?、答えは明らかである。

われわれは、アフガン女性を、ややマシな煉獄から、ホンモノの地獄へ突き落としたのである。

 

「故意に女性差別をしない」「原則として男女同権」、これこそが、ほめる部分が皆無に近い共産主義イデオロギーのほとんど唯一の美徳であった。

 

では、1990年代のイスラム原理主義タリバン、1980年代のソ連傀儡の社会主義政権より以前のアフガンは、どんな状況だったか? 王制だったり共和制だったりしたが、それが意外にも政策的には80年代の社会主義政権とあんまり変わらなかった。王様がいた1950年代から60年代70年代も、ずっと近代化=欧米化=脱イスラム化路線だったのだ。

 

今から50年以上前、1960年代のアフガンの首都カブールの女子大学生。

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街には、欧米の音楽レコードが売られていた。

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80年代の社会主義政権下でも、服装は自由だった。北朝鮮よりも全然マシだ。

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1960年代のアフガン女性は、戦後高度経済成長の始まった同時期の日本同様、髪の毛をむき出しにして、ミニスカートがはけたのだ。

もちろん、彼女らが当時のアフガンでも恵まれた上流階級であったにしても、彼女たちを平均的アフガン女性とみるもは間違いだとしても、少なくとも、女性が大学に通えたのである。

それから半世紀、21世紀のアフガン女性のファッションはこうなった。

 

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お婆さんの青春の思い出は、ミニスカートとハイヒールとカレッジライフ。

孫娘の青春は、ブルカで隠されて何にも見えない。

サカサマならば理屈は通るが、サカサマではないのだ。

 

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その3~フェミニズム、ジェンダーフリーはオンナに勝てるか? - 在日琉球人の王政復古日記