在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その3~フェミニズム、ジェンダーフリーはオンナに勝てるか?

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その1~緑色の瞳は何を映したか? - 在日琉球人の王政復古日記

 

《ガーリームービー列伝》イスラム少女戦記アフガニスタン編「アフガン零年」(2003年)その2~マルクス共産主義にすら美点がある。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

1950年代60年代のアフガニスタン。教育現場では男と女が一緒に学んだ。

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21世紀、彼ら彼女らの娘たちや孫娘たちは、こうなる。

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日本人もアフガンを他人事と笑えない。日本も、短期間ながら、同じだった。

大正デモクラシーのモダンガールが、洋傘さしてワンピース着て、銀座をウィンドーショッピングしてたのに、

彼女たちの娘世代は、防空頭巾にモンペ姿でパケツリレーして、サツマイモの葉っぱの雑炊だった。

 

それは、他のイスラム諸国も同じだ。

トルコのアタチュルクも、エジプトのナセルやサダトも、イランのパーレビ・シャーも、イラクサダム・フセインだって、もともとはイスラムを抑え込んだ、近代化=欧米化=脱イスラム化路線だった。

 

つまりイスラム諸国も、文明開化、富国強兵、日本の明治維新と、マクロでみれば、同じ方向だったのだ。

 

そして、その無理が祟って、反動を引き起こし、時代がひっくり返って、近代化以前の昔よりもアナクロな無茶苦茶がまかり通るようになり、鬼畜米英、神州不滅の大東亜戦争に至った日本と同じく、女性にブルカを強制するイスラム原理主義が出てくる。

イスラム原理主義は「復古」ではない。本人たちは「復古」だと思っているだろうが、昔とは似ても似つかない、頭で考えただけの「存在しない昔へのインチキ復古」であり、昔よりもヒドイ体制を押し付けるようになるのもよく似ている。

 

日本だって、明治維新以前の江戸時代、武士は別にして、人口の9割である町人や農民に、特攻隊や玉砕の強制なんて無かったのだ。

 

10月9日は #ハングルの日 #한글날 その2~幕末の日本人はハングルに嫉妬した~ハングルVS神代文字VS仮名。 - 在日琉球人の王政復古日記

こういう「存在してないモノの発見=捏造」は日本だけの現象ではない。世界中で似たようなことが起こる。

ある民族が対外的な危機感を覚えた時にナショナリズムが亢進するが、「民族の歴史と伝統を保守する!」と主張する愛国者【こそ】が、逆に、民族の歴史を美化したり、隠蔽したり、珍妙な「伝統」を勝手に捏造したりするのである。

欧米列強やイスラエルに対抗して、イスラムを再解釈してその狂信性をウルトラ化してしまったイスラム原理主義なんかも同類だ。

水戸学や国学は「幕末版イスラム原理主義」なのである。

 

タリバン以前のアフガンは、革命前のイランと同じだった。

イラン国王パーレビ・シャーだって、イランを豊かな国にしたい、という思いは、個人の資質・倫理・意志の差はあるかもしれないが、日本の明治天皇や、先ごろ崩御されたタイのプミポン国王ラーマ9世陛下と、そんなに差があるわけではなかった。 

 

王制時代のイランは腐敗や不正が横行していた、というけれど、極端にひどかったわけでもなく、少なくとも、宗教に凝り固まったホメイニおじさんの頭の中にあった「オレが考える理想国家」を現実世界に全面展開されるよりは、特に女性にとっては、ぜんぜんマシな社会だったのである。

 

#ブルキニ #ヒジャブ #ニカブ #ブルカ VS #ビキニ VS #フェミニズム ~イスラム女性50年戦争。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

しかし、ここで話は、また、反転する。

 

そもそも、近代思想の一つである、フェミニズムにおいて、ジェンダーフリー思想において、ミニスカートやハイヒールや化粧って、はたして「女性解放」なのだろうか?

 

「おしゃれ小学生」VS「イスラム国&タイタニック号」VS「田嶋陽子&上野千鶴子」~地獄のジェンダー三国志~ - 在日琉球人の王政復古日記

 

21世紀、イスラムでも「ロリータファッション」があるそうな。ムスリマ・ロリータとでも呼ぶべきか。

 

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最後の預言者ムハンマドも天よりご照覧あれ。これが貴方の娘たちだ(笑)。

 

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ?」~ムスリムロリータVSボーヴォワールVSムハンマド。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

彼女たちは「女性らしさ」を追求する。「おんな全開」「ジェンダーむき出し」である。これは、男女同権・女性解放になっているのか?

「女性は女性らしくあれ」・・・女性が「おんな全開」なファッションを好むのは、男性=男根中心システムからの「洗脳」ではないのか?

 

映画「アフガン零年」にも、

他の誰も指摘してない、イヤ覚えてもいない1シーンだろうが、

ジェンダーフェミニズムの観点から、これを肯定していいのか?というシーンはある。

牛乳売りで働く「男装」の少女は、沸騰したミルクの湯気で曇った窓ガラスに、指でいたずら描きをする。 

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女性トイレの表示によくあるマークだ。

 

私は、このシーンを見て、何とも言いようがない複雑な思いが心に残った。

 

少女は「男装」である。しかし彼女のホンネは女性らしい服を着たいのだ。彼女は「おんな」に戻りたい。

しかしだ、彼女の生きてる場所は、女性が女性であるだけで徹底的に差別される社会なのである。しかも彼女は初潮も迎えていない幼少だ。女性の肉体になる前なのである。肉体はまだ女性になり切れてないのに、そんな劣悪な世の中に生きていても、

 

少女は「おんな」に戻りたい。

 

この、イスラムよりも強固な、タリバンでも矯正できない、「女性の女性性」「女性のおんなへの帰属欲望」というのは、いったい何なのか?

これが後天的な教育=男性社会からの洗脳の結果だとはとても思えない。

おフランスの女性哲学者が「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と喝破したらしいが、どうみても「人は女に生まれる。男にはなれない」としか言えない。

 

生足むき出し、お尻プリプリのミニスカートか?

顔まで隠すブルカか?

長い髪を切って坊主にした男装する少女か?

コーランのグレーゾーンを突く、違法すれすれのムスリマ・ロリータか?

 

フェミニストジェンダーフリー論者にとって、どれが女性のあるべき理想・男女同権の世界なのだろう?

アッラーの教えでも変えられない、鋼鉄の女性願望を持つこのアフガン少女に対して、フェミニストジェンダーフリー論者は、どんなアドバイスができるのだろうか?

 

フェミニズムジェンダーフリーは、男性社会に勝てるか?ではない。

フェミニズムジェンダーフリーは、「おんなの欲望」に勝てるのだろうか?