在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

もしも日本の保守派(安倍首相の祖父人脈)が、父(朴正煕)を暗殺された娘 #朴槿恵 の孤独を救っていれば。

http://blog-imgs-84.fc2.com/m/o/n/monma5376/2015-10-29-k001.jpg

父と、娘。

 

http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/4/a/4af4b472.jpg

お祖父ちゃんと、ご尊父。 

 

<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(1) | Joongang Ilbo | 中央日報

2016年10月26日

朴槿恵(パク・クネ)大統領は25日、国民向けの謝罪で崔順実(チェ・スンシル)氏(60)との関係を「困難な時に助けを受けた縁」と述べた。どういう意味だろうか。
朴大統領は1979年10・26事件(朴正煕大統領暗殺事件)から97年末に政界に出てくるまでの18年間、長い隠遁生活をした。朴大統領はこの時期に書いた日記で「いま優しくて親切な人が後にあきれるほど利に聡い人でないと誰が断言できるだろうか。はかない人間関係だ」と書いた。ソウルのあるホテルのエレベーターの中で朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領時代に長官を務めた人が朴大統領と会っても知らないふりをした日に書いたものだった。結局、朴大統領の言及は18年間の隠遁期に崔氏と特別で緊密な関係を維持したことを示唆している。
「夢が多い大学時代、ファーストレディの役割をしていたその方に初めて会った」(87年の雑誌に載せられた崔氏の寄稿)。
朴大統領と崔氏の縁は母・陸英修(ユク・ヨンス)氏の逝去(74年)後2、3年の間に結ばれたとみられる。40年近くなったということだ。
いくつかの記録によると、朴大統領は崔氏より崔氏の父・崔太敏(チェ・テミン)氏に先に出会った。『キム・ヒョンウク回顧録』には、陸氏が殺害された後、崔太敏氏が令嬢の朴大統領に慰めの手紙を送ったという内容が出てくる。手紙をきっかけに朴大統領に初めて会った席で、崔太敏氏は夢に出てきた陸氏のメッセージだといって次のように話したという。「お母さんは亡くなったのではなく、あなたの時代を開くために道を譲ったということをなぜ分からないのか」。
1912年に黄海道(ファンヘド)で生まれ、植民地時代に警察業務を遂行したという崔太敏氏は、解放後、僧侶になったという。70年代初めに仏教キリスト教天道教を総合しながら「永生教」を創始して教主になった。永生教の看板を下ろした後、75年4月に「大韓救国宣教団」を設立し、翌月に開催した「救国祈祷会」、6月の「大韓救国十字軍」創軍式などに朴大統領が出席した。76年に朴大統領は崔太敏氏がいくつかの団体を統合して設立した「セマウム奉仕団」の総裁となった。しかし崔太敏氏は77年9月当時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の報告で朴正熙大統領から不正容疑などで直接尋問を受けたが、司法処理は免れた。金載圭中央情報部長は10・26事件後に裁判所に提出した控訴理由補充書の「救国女性奉仕団と関連した令嬢の問題」という文書で、「この問題が10・26革命の動機のうち間接的だが重要なもの」と明らかにしたりもした。
崔太敏氏の五女の崔順実氏はセマウム奉仕団大学生会長として朴大統領に初めて会ったという。最近あるインターネットメディアはセマウム奉仕団が主催した79年の「第1回セマウム祭典」行事で崔氏が朴大統領に密着随行する姿が入った映像を公開した。
1979年にドイツに留学し、85年に帰国して教育事業をしながら、育英財団理事長だった朴大統領と再会した。当時、崔氏は4歳年上の朴大統領の話し相手となり、「オンニ(姉さん)」と呼んだという。イ・ソンハン前ミル財団事務総長も最近、あるメディアのインタビューで「9月に車の中で崔氏が朴大統領と電話をしながら気兼ねなく『姉さん』と呼んでいた」と主張した。

<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(2) | Joongang Ilbo | 中央日報

崔太敏氏がまたメディアの注目を集めたのは、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権当時の86年以降、育英財団の運営をめぐり朴大統領と妹の朴槿令(パク・クンリョン)氏の間に摩擦が生じながらだ。槿令氏を支持する人たちは崔太敏氏・崔順実氏の専横を問題視し、槿令氏は「詐欺師の崔太敏を厳罰し、崔太敏に包囲された姉の朴槿恵を元国家元首遺族保護レベルで救出してほしい」という内容の嘆願書を青瓦台に提出した。崔太敏氏は94年に慢性腎不全で死去した。
朴大統領は97年末に政界に入門し、翌年、国会議員再・補欠選で当選した。この時、崔順実氏の夫チョン・ユンフェ氏が朴大統領の側近として登場した。しかし「秘書室長」とまで呼ばれたチョン氏は、朴大統領が2004年にハンナラ党代表になってから2年後に退いた。2006年に朴大統領が遊説中にカッターで顔を切られる事件が発生すると、崔氏の姉が看護をしたという。朴大統領は崔氏の母の80歳の誕生日パーティーに出席して歌を歌ったりもし、家族旅行にも一緒に行ったと伝えられている。また、朴大統領の当選後「側近3人組」と呼ばれた李在万(イ・ジェマン)、チョン・ホソン、アン・ボングン補佐官も崔氏の夫婦が推薦したという。朴大統領の就任後は青瓦台を出入りしながら朴大統領に会い、朴大統領の服とアクセサリー、歴訪日程などを管理したと知られている。
朴大統領の側近の与党関係者は「大統領が女性であるだけに他の人に話しにくい衣装・健康・美容などの相談や要請をする過程で崔氏にますます密着することになったようだ」と話した。

 

槿恵姐さんは、孤独な人だ。

母は暗殺、父も暗殺、姉妹の関係も悪い、配偶者もいない、というわけで子供もいない。天涯孤独だ。

 

この記事にもあるように、天下人だったご尊父が非業な死を遂げた後、次代はご尊父の成り代わりのような軍人・全斗煥へと移る。今までちやほやしてくれた世間は急速に朴家の令嬢を忘却していく。

本能寺の変の後、羽柴秀吉が天下を手に入れ、織田家の影が急速に薄くなったのを思い起こさせる。

権力を失った令嬢じゃ、付いて行っても、ヨイショしても、美味しくない、となれば、利に聡い政治家・経済人は冷たいもので、槿恵姐さんの周りから離れていく。

その空白を、新興宗教家兼実業家という胡散臭い人物に付け入られたわけだ。

 

大東亜戦争敗戦、半島光復、南北分断、朝鮮戦争、と急変・激動する韓国社会。こういう時代は、雨後の筍のように新興宗教が群生しやすい。

日本だって、天理教黒住教は幕末維新、創価学会霊友会生長の家は戦前戦後、混乱期に成長した。

崔太敏というインチキ臭い宗教家も、統一協会文鮮明同様、そういう雨後の筍の一人だろう。

 

今回のスキャンダルも、内容をとことん突き詰めれば、やった行為自体は大したことはない。

この世の中に、大統領以外が見てはならない文書なんてもんは存在しない、というかあり得ない。

安倍ちゃんだって、安倍ちゃん以外見てはならない文書なんてない。麻生副総理か、菅官房長官か、安倍チルドレンの官邸スタッフの何人かは、極秘文書に目を通して、意見したり、助言したりしてるだろう。

槿恵姐さんだって、青瓦台のスタッフが極秘文書を閲覧しても問題はない。なぜなら、そのスタッフはその権限があるからだ。

つまり、今回の崔順実女史が問題なのは、一介の民間人なのに、権限が法的にないのに、政治に口を出したことにある。というかそれだけの話だ。

もしも崔順実女史が政治家で、法律上の青瓦台スタッフならば、今回の件は、ほとんど何の問題もなかった話である、

そして、崔順実女史が政治家になれない理由もなさそうだ。鉄板の選挙区の1つくらい用意するのは、槿恵姐さんなら可能だろう。そして正式の青瓦台スタッフ、(あるかどうかは知らないが)大統領補佐官兼アドバイザーとして登用すれば、今回の行為はすべて合法になっていた。何の問題もない。

 

今回の件で分かったのは、槿恵姐さんは本当に孤独だった、彼女には胸襟を開ける友人や相談相手が極端に少なかった、ということだ。

ご母堂暗殺の後、ご尊父暗殺の後、みんなが離れていく中で、ほとんど唯一親身になってくれた人物がたまたまインチキ宗教家だった、というのが不幸だった。

逆に、辛い時代の友人を忘れない、裏切らない、槿恵姐さんの誠実さ、意地悪く言えば、頑なさ、融通の利かなさ、頑固な性分も見える。

 

しかし、ご尊父暗殺の孤独の日々を埋めるのは、なにも、インチキ宗教家である必要はなかった。韓国人である必要もなかった。

ここに、本来なら登場すべき人物、というか、グループがいたのではないか?

朴正煕の盟友だった、安倍ちゃんのお祖父ちゃん・岸信介を代表とする日本の保守政治家、瀬島龍三など若干アンダーグラウンドな財界人・実業家などなど、昭和の韓国ロビーの皆さんだ。

 

浮世の流れで、周囲に誰もいなくなり、孤立する槿恵姐さんの元へ、極秘に渡韓した信介翁と瀬島さんが

突然のご逝去に言葉もない。お嬢さんのアボジには大変お世話になった。イルボンの政治家として返しきれない恩義がある。われわれをイルボンに住む親戚のオジサンのつもりで、お嬢さんにお困りのことがあったら、なんでも相談してほしい。

 と名乗り出て、積極的に物心両面のサポートを続けていたら、、、?

 

まあ、その後大統領になるまでは予想できないとしても、知日派の大物を育成することを考えれば、カネくらい惜しくないだろう。

そして槿恵姐さんの一途な性格からして、大統領になっても、苦しい時代を助けてくれた日本に恩義を感じ、期待を裏切らなかっただろう。

 

朴槿恵大統領誕生の時、日本の政界には期待があった。

「あの朴正煕の娘さんなんだから、日韓関係は良好になる」

しかし、予想外に、慰安婦問題でトラブルが続出した。

 「あの朴正煕の娘さんなのに、なんであんなに反日なんだ?」

日本政界には、反発と困惑が広がった。

 

でも、それって、当たり前ではないか?

 

だって、日本は、槿恵姐さんに、いったい、どんなサポートをしてきたのか?

孤立していた時に、ご尊父への恩義を娘さんにちゃんと返してきたのか?

朴正煕が、日本に理解があったのは、植民地時代の日本人が彼の青春時代を支えた事実があるからだ。朴正煕は日本から受けた恩義を返しただけだ。

槿恵姐さんは、ご尊父暗殺後のどん底時代に、日本から大したサポートも受けてないのに、なんで日本に理解を示す義理があるのか?

 

韓国の政治家で、朴正煕以外で日本に理解があったのは、意外にも、朴正煕のライバルで、政治的にも正反対な、金大中だった。

彼も植民地時代の日本に青春の思い出を持った人物だったし、政治家時代も日本へ亡命していたようなもので、日本には命を助けてもらった恩義があったのだ。

 

思えば、李承晩はとことん反日だった。彼は植民地時代からアメリカに亡命していて、日本に一切の恩義がない。だから日本に融和する義理もなかったわけだ。

 

信介翁と瀬島さん、いや後継者である現在の清和会系の政治家、実業家、そして裏社会(笑)の皆さんが、朴正煕への義理と人情を、娘さんに返して尽くしていれば、その後に、今の、日韓関係も少しは変わったいたのではないか?

 

こういう外交投資を、サラリと、気長に続けられるのが、優秀な国家、したたかな強国だろう。

これがナンクセに思えるなら、日本はその程度の国ということだ。東アジアの地域覇権なんて無理無理。 

 

実際、アメリカという国は、世界レベルでそういう援助をしている国だ。

日本にも、アメリカの恩義を忘れない政治家、財界人、知識人がたくさんいる。