在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

もしも安倍ちゃんの祖父人脈が、父 #朴正煕 を暗殺された娘 #朴槿恵 박근혜の孤独を救っていれば。

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父と、娘。

 

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安倍ちゃんのお祖父ちゃんと、姐さんのご尊父。 

 

権力を追われた姐さんの関連記事は山のようにあるが、この異様な記事には深く考えさせられた。

この記事こそ、 朴槿恵という人間を表現し尽くして余りある。

 

30年前のテレビ、古い冷蔵庫…朴・前大統領の家財道具-Chosun online 朝鮮日報

2017/05/08
 韓国の朴槿恵(パク・クンへ)前大統領(65)が27年間暮らしたソウル市江南区三成洞の自宅には、30年以上も使われてきた家具や電子製品が多数あったことが分かった。
 朴・前大統領は今月6日、身柄拘束中ながらも、ソウル市瑞草区内谷洞に引っ越しをした。引っ越しは、朴・前大統領にかわって側近のイ・ヨンソン大統領府警護官とユン・ジョンチュ大統領府行政官が担当した。
 朴・前大統領の家財道具を運んだある人物は「家具類はくたびれていて古く、テレビには30年以上前のゴールドスター(現LG)の商標が付いていた」と語った。
 三成洞の家から持ち出された、シュレッダーにかけた書類7袋と古い冷蔵庫、テレビなどの物件1トン分は、廃棄処分されたと伝えられている。
 6日の引っ越しは午前7時30分ごろ始まり、午後5時ごろ終了した。引っ越しが終わった後、三成洞の家の門は鎖で閉鎖された。
 なお、ほとんどの荷物は内谷洞の新居に移されたが、朴・前大統領が使っていたソファーは三成洞の家にそのまま残った。三成洞の家を買った洪性烈(ホン・ソンヨル)マリオアウトレット会長が「ソファを所蔵したい」と申し出たからだといわれている。

 

買おうと思えば最新型を100台でも買える、いや、一声かければ製造会社のトップが最高級タイプを持参して挨拶に飛んで来る、そういう立場にあった人物だ。

それなのに、経済成長を成し遂げた独裁者の長女、GDP世界第12位の金満国の指導者が、「30年前製造のテレビ、冷蔵庫、ソファ」を使い続ける。

  

やはり、姐さんは、普通の政治家、普通の女性、ではなかった。

 

それは優秀とか無能とか、そういう評価ではなく、一国の独裁者の長女、有力政治家、一国の指導者として、ここまで極端な「物欲の欠落」は、異常である。

 

日産のカルロス・ゴーンではないけれど、政治家でも、経済人でも、芸能人でも、権力を握った人間は、頂点に立った人間は、凡人とはケタ違いの物欲・蓄財・浪費・散財を追求することはある。それはそれで異常ではあるが、変な書き方だが、誰でもそうなる「平凡な異常」だ。

 

しかし、朴槿恵の物欲は、権力の頂点を握りながら、われわれ一般人よりもはるかに希薄だった。こっちはこっちで普通ではない。

物欲があり過ぎるのは異常だが、無さ過ぎるのはもっと異常なのだ。

 

実はご尊父・朴正煕も、あれだけ絶大な権力を握りながら、反対派を弾圧しながら、選挙に不正介入しながら、戒厳令を強行しながら、経済成長を指導しながら、独裁者に付き物の金銭スキャンダルだけはほとんど無かった。 

暗殺された後も、金塊がつまった隠し金庫も、スイスの秘密口座も、贅沢な美術品コレクションも、莫大な不動産も、華麗な豪邸も、何も残していない。

 

物欲の欠落。その面で朴槿恵は確かに朴正煕の娘である。

 

国家の頂点に立ちながら、夫はいない。ゆえに子もいない。当然孫もいない。誰も待っていない自宅に帰れば、30年前の冷蔵庫から飲み物を取り出し、古臭いボロボロのソファに座って、30年前のテレビでニュースを見る。

彼女の「心の渇き」は尋常ではなかった。

 

その「心の渇き」が、権力からの転落の引き金だったのだろう。

 

<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(1) | Joongang Ilbo | 中央日報

2016年10月26日

朴槿恵(パク・クネ)大統領は25日、国民向けの謝罪で崔順実(チェ・スンシル)氏(60)との関係を「困難な時に助けを受けた縁」と述べた。どういう意味だろうか。
朴大統領は1979年10・26事件(朴正煕大統領暗殺事件)から97年末に政界に出てくるまでの18年間、長い隠遁生活をした。朴大統領はこの時期に書いた日記で「いま優しくて親切な人が後にあきれるほど利に聡い人でないと誰が断言できるだろうか。はかない人間関係だ」と書いた。ソウルのあるホテルのエレベーターの中で朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領時代に長官を務めた人が朴大統領と会っても知らないふりをした日に書いたものだった。結局、朴大統領の言及は18年間の隠遁期に崔氏と特別で緊密な関係を維持したことを示唆している。
「夢が多い大学時代、ファーストレディの役割をしていたその方に初めて会った」(87年の雑誌に載せられた崔氏の寄稿)。
朴大統領と崔氏の縁は母・陸英修(ユク・ヨンス)氏の逝去(74年)後2、3年の間に結ばれたとみられる。40年近くなったということだ。
いくつかの記録によると、朴大統領は崔氏より崔氏の父・崔太敏(チェ・テミン)氏に先に出会った。『キム・ヒョンウク回顧録』には、陸氏が殺害された後、崔太敏氏が令嬢の朴大統領に慰めの手紙を送ったという内容が出てくる。手紙をきっかけに朴大統領に初めて会った席で、崔太敏氏は夢に出てきた陸氏のメッセージだといって次のように話したという。「お母さんは亡くなったのではなく、あなたの時代を開くために道を譲ったということをなぜ分からないのか」。
1912年に黄海道(ファンヘド)で生まれ、植民地時代に警察業務を遂行したという崔太敏氏は、解放後、僧侶になったという。70年代初めに仏教・キリスト教天道教を総合しながら「永生教」を創始して教主になった。永生教の看板を下ろした後、75年4月に「大韓救国宣教団」を設立し、翌月に開催した「救国祈祷会」、6月の「大韓救国十字軍」創軍式などに朴大統領が出席した。76年に朴大統領は崔太敏氏がいくつかの団体を統合して設立した「セマウム奉仕団」の総裁となった。しかし崔太敏氏は77年9月当時、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の報告で朴正熙大統領から不正容疑などで直接尋問を受けたが、司法処理は免れた。金載圭中央情報部長は10・26事件後に裁判所に提出した控訴理由補充書の「救国女性奉仕団と関連した令嬢の問題」という文書で、「この問題が10・26革命の動機のうち間接的だが重要なもの」と明らかにしたりもした。
崔太敏氏の五女の崔順実氏はセマウム奉仕団大学生会長として朴大統領に初めて会ったという。最近あるインターネットメディアはセマウム奉仕団が主催した79年の「第1回セマウム祭典」行事で崔氏が朴大統領に密着随行する姿が入った映像を公開した。
1979年にドイツに留学し、85年に帰国して教育事業をしながら、育英財団理事長だった朴大統領と再会した。当時、崔氏は4歳年上の朴大統領の話し相手となり、「オンニ(姉さん)」と呼んだという。イ・ソンハン前ミル財団事務総長も最近、あるメディアのインタビューで「9月に車の中で崔氏が朴大統領と電話をしながら気兼ねなく『姉さん』と呼んでいた」と主張した。

<朴大統領秘線>崔氏と42年の縁…どういう関係?(2) | Joongang Ilbo | 中央日報

崔太敏氏がまたメディアの注目を集めたのは、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権当時の86年以降、育英財団の運営をめぐり朴大統領と妹の朴槿令(パク・クンリョン)氏の間に摩擦が生じながらだ。槿令氏を支持する人たちは崔太敏氏・崔順実氏の専横を問題視し、槿令氏は「詐欺師の崔太敏を厳罰し、崔太敏に包囲された姉の朴槿恵を元国家元首遺族保護レベルで救出してほしい」という内容の嘆願書を青瓦台に提出した。崔太敏氏は94年に慢性腎不全で死去した。
朴大統領は97年末に政界に入門し、翌年、国会議員再・補欠選で当選した。この時、崔順実氏の夫チョン・ユンフェ氏が朴大統領の側近として登場した。しかし「秘書室長」とまで呼ばれたチョン氏は、朴大統領が2004年にハンナラ党代表になってから2年後に退いた。2006年に朴大統領が遊説中にカッターで顔を切られる事件が発生すると、崔氏の姉が看護をしたという。朴大統領は崔氏の母の80歳の誕生日パーティーに出席して歌を歌ったりもし、家族旅行にも一緒に行ったと伝えられている。また、朴大統領の当選後「側近3人組」と呼ばれた李在万(イ・ジェマン)、チョン・ホソン、アン・ボングン補佐官も崔氏の夫婦が推薦したという。朴大統領の就任後は青瓦台を出入りしながら朴大統領に会い、朴大統領の服とアクセサリー、歴訪日程などを管理したと知られている。
朴大統領の側近の与党関係者は「大統領が女性であるだけに他の人に話しにくい衣装・健康・美容などの相談や要請をする過程で崔氏にますます密着することになったようだ」と話した。

 

槿恵姐さんは、孤独な人だ。

母は暗殺、父も暗殺、姉妹の関係も悪い、配偶者もいない、というわけで子供もいない。天涯孤独だ。

 

この記事にもあるように、天下人だったご尊父が非業な死を遂げた後、次代はご尊父の成り代わりのような軍人・全斗煥へと移る。今までちやほやしてくれた世間は急速に朴家の令嬢を忘却していく。

本能寺の変の後、羽柴秀吉が天下を手に入れ、織田家の影が急速に薄くなったのを思い起こさせる。

権力を失った令嬢じゃ、付いて行っても、ヨイショしても、美味しくない、となれば、利に聡い政治家・経済人は冷たいもので、槿恵姐さんの周りから離れていく。

その空白を、新興宗教家兼実業家という胡散臭い人物に付け入られたわけだ。

 

衰亡する李朝、日本と清国の介入、日韓併合、植民地統治、大東亜戦争、半島光復、南北分断、朝鮮戦争、と急変・激動する韓国社会。

こういう社会、こういう時代は、雨後の筍のように新興宗教が群生しやすい。

日本だって、幕末維新に天理教黒住教、戦前戦後に創価学会霊友会生長の家新興宗教は混乱期に成長した。

崔太敏というインチキ臭い宗教家も、統一協会文鮮明同様、そういう雨後の筍の一人だろう。

 

姐さんスキャンダルも、内容をとことん突き詰めれば、やった行為自体は、別に大したことはない。

この世の中に、大統領以外が見てはならない文書なんてもんは存在しない、というかあり得ない。

安倍ちゃんだって、安倍ちゃん以外見てはならない文書なんてない。

麻生副総理か、菅官房長官か、安倍チルドレンの官邸スタッフの何人かは、極秘文書に目を通して、意見したり、助言したりしてるだろう。

槿恵姐さんだって、青瓦台のスタッフが極秘文書を閲覧しても問題はない。なぜなら、そのスタッフはその権限があるからだ。

つまり、今回の崔順実女史が問題なのは、一介の民間人なのに、法的に権限がないのに、政治に口を出したことにある。

というか、姐さんの犯罪は、たった「それだけ」の話だ。

もしも崔順実女史が、選挙を通った政治家で、法律上の青瓦台スタッフならば、今回の件は、ほとんど何の問題もなかった話である、

そして、崔順実女史が政治家になれない理由もなさそうだ。鉄板の選挙区の1つくらい用意するのは、槿恵姐さんなら可能だろう。そして正式の青瓦台スタッフ、(あるかどうかは知らないが)大統領補佐官兼アドバイザーとして登用すれば、今回の行為はすべて合法になっていた。何の問題もない。

こんなチンケな違反で、何十年も獄に繋がれるなんて無茶苦茶である。それが政治という修羅世界だとしても残酷すぎる。 

 

今回の件で分かったのは、槿恵姐さんは本当に孤独だった、彼女には胸襟を開ける友人や相談相手が極端に少なかった、ということだ。

ご母堂暗殺の後、ご尊父暗殺の後、みんなが離れていく中で、ほとんど唯一親身になってくれた人物がたまたまインチキ宗教家だった、というのが不幸だった。

 

逆に、辛い時代の友人を忘れない、裏切らない、槿恵姐さんの誠実さ、意地悪く言えば、頑なさ、融通の利かなさ、頑固な性分も見える。

彼女は、30年間忠実に仕えてくれたテレビや冷蔵庫を決して裏切らない。

 

しかし、ご尊父暗殺の孤独の日々を埋めるのは、なにも、インチキ宗教家である必要はなかった。韓国人である必要もなかった。

ここに、本来なら登場すべき人物、というか、グループがいたのではないか?

朴正煕の盟友だった、安倍ちゃんのお祖父ちゃん・岸信介を代表とする日本の保守政治家、瀬島龍三など若干アンダーグラウンドな財界人・実業家などなど、昭和の韓国ロビーの皆さんだ。

 

浮世の流れで、周囲に誰もいなくなり、孤立する槿恵姐さんの元へ、極秘に渡韓した信介翁と瀬島さんが

突然のご逝去に言葉もない。お嬢さんのアボジには大変お世話になった。イルボンの政治家として返しきれない恩義がある。われわれをイルボンに住む親戚のオジサンのつもりで、お嬢さんにお困りのことがあったら、なんでも相談してほしい。

 と名乗り出て、積極的に物心両面のサポートを続けていたら、、、?

 

まあ、その後大統領になるまでは予想できないとしても、知日派の大物を育成することを考えれば、カネくらい惜しくないだろう。

そして槿恵姐さんの一途な性格からして、大統領になっても、苦しい時代を助けてくれた日本に恩義を感じ、期待を裏切らなかっただろう。

 

朴槿恵大統領誕生の時、日本の政界には期待があった。

「あの朴正煕の娘さんなんだから、日韓関係は良好になる」

しかし、予想外に、大陸支那に接近し、慰安婦問題でトラブルが続出した。

 「あの朴正煕の娘さんなのに、なんであんなに反日なんだ?」

日本政界には、反発と困惑が広がった。

 

でも、それって、当たり前ではなかったか?

 

だって、日本は、槿恵姐さんに、いったい、どんなサポートをしてきたのか?

孤立していた時に、ご尊父への恩義を娘さんにちゃんと返してきたのか?

 

朴正煕が、日本に理解があったのは、植民地時代の日本人が彼の青春時代を支えた事実があるからだ。朴正煕は日本から受けた恩義を返しただけだ。

槿恵姐さんは、ご尊父暗殺後のどん底時代に、日本から大したサポートも受けてないのに、なんで日本に理解を示す義理があるのか?

 

韓国の政治家で、朴正煕以外で日本に理解があったのは、意外にも、朴正煕のライバルで、政治的にも正反対な、金大中だった。

彼も植民地時代の日本に青春の思い出を持った人物だったし、政治家時代も日本へ亡命していたようなもので、日本には命を助けてもらった恩義があったのだ。

 

思えば、李承晩はとことん反日だった。彼は植民地時代からアメリカに亡命していて、日本に一切の恩義がない。だから日本に融和する義理もなかったわけだ。

 

信介翁と瀬島さん、いや後継者である現在の清和会系の政治家、実業家、そして裏社会(笑)の皆さんが、朴正煕への義理と人情を、娘さんに返して尽くしていれば、その後、今の日韓関係も少しは変わったいたのではないか?

 

こういう「外交投資」を、サラリと、気長に続けられるのが、優秀な国家、したたかな強国だろう。

これがナンクセに思えるなら、日本はその程度の国ということだ。東アジアの地域覇権なんて無理無理。 

 

実際、アメリカという国は、世界レベルでそういう援助をしている国だ。

日本にも、アメリカの恩義を忘れない政治家、財界人、知識人がたくさんいる。

 

父が国を作り、その国のせいで、母を殺され、父も殺され、30年前のテレビと冷蔵庫を捨てずに、自分自身も父が作った国から獄に落とされる。

獄中の朴槿恵が、いったい何を考えているのか?

彼女の「心の渇き」「抱えた闇」の深さは、外国人の私には、想像もつかない。