在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

マヤ、アステカの「孔子」、インカの「論語」その1~生贄、食人・人肉食、だんじり、上げ馬神事。

勝者は“名誉の生贄” 豊穣を願う儀式で行ったサッカーみたいなマヤ人の球戯 | THE PAGE(ザ・ページ)

2017.01.15
 チチェン・イッツァの球戯場。現在のサッカーのような球戯で、腰でボールを打ち、壁上部の輪に通すと得点になる。娯楽ではなく、豊穣を願う儀式として行われていた。試合結果によってチームのキャプテンが生贄になったとされ、残された壁画から推測すると、負けたほうではなく勝ったほうが名誉として生贄に捧げられたとも言われている。球戯場の壁は上部に行くに従い内側に傾斜していて、選手の声を反響させる造りになっている。スケールの大きさとマヤ人の精巧な石組み技術に驚かされる。

 

メソアメリカの「孔子」やアンデスの「論語」も、いつか発掘されるのだろうか? 支那の斉論語のように。

 

1800年前に失われた「斉論語」か、前漢・海昏侯墓から見つか... - Record China

2017年1月13日
2017年1月12日、中国江西省の文物考古研究所は、前漢(紀元前206年〜8年)の第9代皇帝、劉賀が埋葬された同省南昌市の海昏侯墓で出土した竹簡の中から、1回目の赤外線スキャンの結果、約1800年前に消失した「斉論語」とみられるものが見つかったと明らかにした。中国中央テレビのニュースサイトが伝えた。
中国春秋時代の思想家、孔子の言葉をまとめた「論語」は、前漢の頃、斉(現在の山東省北部)地方で伝えられた「斉論」と、孔子の旧家の壁の中から発見された「古論」、魯(山東省南部)地方で伝えられた「魯論」の3種類があった。だが「斉論語」は漢末魏晋の頃に失われた。
竹簡の内容は文物専門家の考証と解釈を経て確定されることになる。

  

論語の失われた(?)2篇「問王」「知道」には何が書かれていたのか?

ユダヤキリスト教における「死海文書」並みの重要文書が出てきたら面白いが、まあ期待半分ということで。

 

ユーラシア・アフリカ大陸だけでなく、アメリカ新大陸にも、マヤ、アステカ、インカなどなど、文明はあった。

旧大陸メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明黄河文明は、それぞれ後継文明に引き継がれ、欧米、中東、インド、支那に歴史的に継続しているため、今現在もわれわれの中に「生きている」。

しかし、アメリカ新大陸のメキシコ・中米に繫栄したメソアメリカ文明

マヤ文明(紀元前3世紀~16世紀)、アステカ帝国(13世紀~16世紀

南米ペルー周辺に反映したアンデス文明

インカ文明(13世紀~16世紀

などなど、他にもいろいろあったそうだが、その後継が途絶してしまった。

現在のラテンアメリカは、欧米キリスト教文明下にあり、マヤ、アステカ、インカの後継とは言えない。

  

しかし文明があったということは、思想家もいたはずで、支那文明が孔子を生んだように、マヤ、アステカ、インカにも、自分たちの世界を解析した孔子に該当する人物はいたのではないか? 

 

漢字ならぬ、マヤ文字や、あ・・・インカは無文字文明だったか(汗)、それでも「結縄」や口伝の形で、「論語」が存在したかもしれない。

 

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http://www4.airnet.ne.jp/sakura/photo14/peru.gif

 

それとも、孔子のような思想家を生み出すくらい、文明が成熟する途上で、マヤ、アステカ、インカは、運悪く大航海時代の極悪スペイン人にブチ殺されてしまったのかもしれないが。

 

というわけで、古代支那孔子という思想家がいた。

 

貴方は「魔法使い」である~「必ずや名を正さんか」~牛丼と孔子。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

彼も、マヤの「お尻サッカー」や「生贄」とあんまり変わらない、古代支那の祭礼に関する発言を多く残している。というか、彼の関心の中心は、祭礼から見た人間・世界・宇宙の有り様だったのだ。

 

子貢欲去告朔之饋羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮。(論語・八佾第三-17)

子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子曰く、賜や女はその羊を愛む、我はその礼を愛む。 

 

孔子の直弟子でも一二を争う大秀才・子貢が「毎月毎月やっている告朔の祭礼で、毎回毎回羊を生贄にするのは止めませんか?」と孔子に進言した。 

しかし孔子は「お前は羊という財産を失う事を恐れている。私は祭礼という文化を失う事を恐れるのだ」と返答した。

 

なぜ、子貢は羊の生贄に反対したのか?
前近代の人間である子貢が、人権思想のなれの果てである動物愛護に目覚めたとは思えない(笑)。
子貢は学問だけでなく商才に長けた経済人でもあったらしいので、おそらくは「羊を殺すのはコストパフォーマンスが悪すぎる」という経済合理性からの意見であろう。

子貢は「羊の生命」ではなく「羊の値段」を重視したのだ。

対して孔子は、われわれ人類には経済合理性を超えた価値があると主張する。

それが儒教の「礼」、人間と人間、人間と神、人間と自然、の間を破綻なく管理するプログラム=文化、と呼ばれるものだ。

人間の礼を守るためなら、羊の値段は惜しくない。

 

われわれ後代の論語読みは、「さすが孔子先生!考えが深い!良いこと言う!」と、ほとんど自動的に無条件で「孔子VS子貢」の思想バトルを「孔子の勝利、子貢の負け」と判定する。
なぜなら「論語」は孔子が主人公だからだ。主人公が正しいに決まってる。「北斗の拳」でケンシロウが正しい、「暴れん坊将軍」で松平健が正しい、のと同じだ。

 

しかし、本当に、孔子が正しかったのか? 子貢は間違っていたのか?

だって、現実として、今を生きるわれわれは、すでに「告朔」なんていう祭礼を、伝承してないし、忘れてしまってるではないか。
対して、子貢の唱えた、モノには価値がある、費用対効果もある、という「経済合理性」は、春秋戦国時代から21世紀まで、支那から世界まで、ちゃんと通用しているのである。

 

孔子VS子貢」つまり「文化VS経済」は、果たしてどちらが真の勝者か?

 

全く同じ話は新約聖書にもある。

 

メシアとは「油を塗られた者」~罪の女、マリア、ユダ、イエスの香油戦争。 - 在日琉球人の王政復古日記

経済的な観点からすれば「資源は浪費せず、効率的に有効に使え」というイスカリオテユダの意見が正しい。しかしイエスは、経済的には何の益も生まない無駄遣いでしかないマリアの行為に軍配を上げる。

ずっとイエスの聖なる事業に献身してきたユダの意見を否定し、罪の女(慰安婦、じゃねえや、おそらく娼婦)にすぎない無名の女性を受け入れ、救済する。

ここにキリスト教思想、というか、宗教思想の重要要素が出現する。

宗教は経済、つまり計算ではないのだ。つまり宗教は不合理なのだ。

 

同じような話は儒教論語にもある。

合理性を主張した、秀才・子貢や、奇才・宰予が、ユダの役回りである。

 

「香油を巡る、イエスVSユダ」は「羊を巡る、孔子VS子貢」と同じである。

 

じゃあ孔子は経済合理性を全く無視したか?といえば、そうではない。

イエスは神の子だから経済合理性を超越できるが、孔子はただの人間だから経済合理性を完全には拒否できない。

そして、ナザレのイエスは数年で死んだ(昇天)から、経済合理性に直面する時間は少なかったが、孔子は長生きした。長い人生で経済合理性を完全には無視できない。

 

子曰、麻冕礼也、今也純倹、吾従衆、拝下礼也、今拝乎上泰也、雖違衆、吾従下。(論語・子罕第九-3)

子曰く、麻冕は礼なり。今純なるは倹なり、吾は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今上に拝するはおごれるなり。衆に違うと雖も吾は下に従わん。 

 

孔子がかく語った。

「本来、麻の冠が礼に適っている。最近、綿の冠が流行ってるのは安い(経済合理性)からでしかない。しかし経済合理性も無視できないから、私も流行に従おう。 

本来、主君への挨拶は建物に登る前が礼である。最近、建物に登ってから挨拶する無礼が流行っている。こっちの流行には従えない。私は登る前に挨拶する」

 

礼にも、改変していい場合と、墨守(って言い方は思想的に間違ってるが(笑))すべき場合がある。

経済的事情などの困難があって、どうしようもない場合は改変してもいい。
しかし大した理由もないのに、不勉強や怠惰でなし崩しにするのは反対なのだ。
理由はどうあれ、孔子も経済合理性を完全に無視しているわけではない。

 

孔子の生きた時代の支那は、毎月殺すといっても、しょせん畜生に過ぎない羊だったが、アメリカ新大陸のマヤでは、上記ニュースにあるように、祭壇に捧げる生贄は人間であった。

アステカでは、殺された生贄の死体を貴重な蛋白源とする人肉食=経済活動まで祭礼にビルドインされていた。

 

古代支那やマヤ・アステカに、近代思想である人権はない。

ただし、支那だろうが、マヤ・アステカだろうが、この宇宙を貫く万物普遍の法則である経済合理性は存在する。

人間を殺す、人間を食う、そういう経済活動は、人命尊重は問わないにしても、コストパフォーマンス的に何百年も続けて行けることなのか? 

人間は羊よりも育成にコストのかかる動物なのである。

さらにアステカでは、生贄用の人間狩りのための戦争までやっていたようだ。大東亜戦争がそうだったように、戦争は無茶苦茶なコストがかかる。

 

哀公問社於宰我宰我対曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰使民戦栗也。子聞之曰、成事不説、遂事不説、既徃不咎。(論語・八佾第三-21)

哀公、社を宰我に問う。宰我対えて曰く、夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰く、民をして戦栗せしむるなり。子これを聞きて曰く、成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず。 

 

魯国の哀公が祭廟に植える神木について、孔子の弟子・宰我=宰予(※)に質問した。 

宰我は返答した

夏王朝は松、殷王朝は柏、周王朝は栗を植えました。周が栗を植えたのは、栗という木(または発音)が神前裁判・生贄処刑をイメージさせ、民衆に恐怖心を植え付けることができたからです」。
後からそれを聞いた孔子は言った

「過去を、歴史を、批判するな。追求するな。罰するな」。 

 

※余談だが、この宰我宰予という人物は、論語の中でも異彩を放つ特異な存在である。そして全く人気がない(笑)。彼については後日書かせていただきたい。

 

この文章の前半、宰我の発言はわかりやすい。解釈も一定である。
しかし、後半の孔子が何を主張しているのか?はっきりとは判らない。
学者の解説も様々な説があるようだ。

バカな宰我が大間違いの歴史講釈をやらかしたことを叱った、という説。しかし私はこの解釈を取らない。なぜなら宰我は子貢に並ぶ孔子教団有数の秀才なのだ。

また、現在の権力者に大昔の残虐な国民統治を教えて、もし実行されたらどうするんだ?と怒った、という説。

またまた孔子が理想としていた周王朝黒歴史=恐怖政治を暴露されて、過去の政治を今の価値判断で断罪するなと怒った、という説。

なんだか、どこかの国の「大東亜戦争の戦争責任」とソックリな話である(笑)。

  

マヤ、アステカの「孔子」、インカの「論語」その2~象のサーカス、ゲーム「もふもふはむすたぁ」ハムスター。 - 在日琉球人の王政復古日記

に続く。