在日琉球人の王政復古日記

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キングコング #西野亮廣 「お金の奴隷解放宣言」VSリバタリアン #西原理恵子 「金が無いのは首が無いのと同じ」。

キングコング 西野 公式ブログ - お金の奴隷解放宣言。 - Powered by LINE

2017/1/19 

《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
お金を持っている人は見ることができて、
お金を持っていない人は見ることができない。
「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?
糞ダセー。
……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
しかし、はたして全てのモノが『お金』を介さないといけないのでしょうか?

 

(略)

 1億人を楽しませることができたら、その瞬間は1円にもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。

それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。

だったら、もう『お金』なんて要らないです。
僕とあなたの間から『お金』を取っ払います。
『お金』を払いたい人だけが払えばいいようにします。
僕の財産は、『えんとつ町のプペル』という《作品》だと思うのですが、
個人の財産を個人が独り占めするのではなく、分配し、皆の財産にしようと思いました。
皆が豊かになった方が、巡り巡って自分も豊かになるだろう、と。
『ギブ&テイク』ではなく『ギブ&ギブ』。
自分のことだけを考えても、その方が良いだろうと結論しました。

お金の奴隷解放宣言です。

これから、無料化できるところから無料化していって、『お金』なんて、そもそも存在しなかった時代や、地域で、おこなわれていた『恩で回す』ということをやってみます。

 

キンコン西野、絵本「無料公開」で騒然 「お金の奴隷解放宣言」に賛否 : J-CASTニュース

2017/1/19
お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣さんの絵本『えんとつ町のプペル』(幻冬舎)がネットで無料公開された。
23万部を売り上げたベストセラーだけに衝撃は大きく、製作費をクラウドファンディングで集めたこともあり、その決断をめぐって賛否両論の意見が寄せられている。一体、何が目的なのか。

  

上記のブログから推察するに、お笑い芸人(なのか?)兼絵本作家のキングコング西野亮廣は政治思想で言うと「アナキスト(無政府主義者)」になる。

 

絵本作家というのは、絵が主体の本を描く人だ。ということは、漫画家・西原理恵子とご同業である。

 

しかし、おそらく、西原理恵子は、西野亮廣の考え方を蛇蝎のように嫌うだろう。

なぜなら、西原理恵子は「リバタリアン(無政府資本主義者)」だからだ。

 

アナキズム(無政府主義)リバタリアニズム(無政府資本主義) はある部分よく似ているが、「お金」という部分で大きく決定的に対立する。

 

リバタリアニズムとは何ぞや?

映画で言えば、「ロボコップ」「砂の器」「ゴーストバスターズ」「仁義なき戦い広島死闘編」に流れる政治思想である。

・・・余計に判らなくなった方は(笑)、下記をご参照。

 

(まとめ)リバタリアン映画列伝 - 在日琉球人の王政復古日記

 

リバタリアン漫画家~プロテスタントな西原理恵子VS老荘な蛭子能収~高須克弥がファシストだからややこしい(笑)。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

リバタリアン漫画家~プロテスタントな西原理恵子VS老荘な蛭子能収~君子の交わりは淡きこと水の如し(荘子)。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

リバタリアンを、キングコング西野亮廣のブログの言葉で言えば、「ギブ&テイク」を重視する思想である。

さらにいえば「ギブ&テイク」以外の、交換以外の、人間関係を一切認めない。

強盗や、国家の税金は、「テイク&テイク」だから認めない。

逆に、無償の奉仕も、「ギブ&ギブ」だから認めない。

だから、キングコング西野亮廣とは対立する。 

 

リバタリアン思想の極北、「リバタリアン業界のレーニン」とも形容すべき、ロシア人思想家アイン・ランドは、「タダであげる」「無償で与える」ことを、人間として最も恥じべき行為だと唾棄した。

なぜなら、価値あるモノを無償で与えることは、その価値を侮辱する、無に帰する、毀損する行為だからだ。

 

トランプVSトヨタ~トランプを批判しない #リバタリアン はインチキである~ #アイン・ランド はレーニン共産主義の私生児(その1) - 在日琉球人の王政復古日記

 

#リバタリアン 質問『Who is John Galt?』~回答『少なくとも、アンタじゃない(笑)』~ #アイン・ランド はレーニン共産主義の私生児(その2) - 在日琉球人の王政復古日記

 

ご同業ながら、「ギブ&ギブ」のキングコング西野亮廣と、「ギブ&テイク」のリバタリアン西原理恵子は、政治思想的に、完全に対立している。

 

西原理恵子座右の銘に「金の無いのは首の無いのと同じ」というのがあるそうな。元は、歌舞伎「恋飛脚大和往来」に出てくる台詞らしい。正にリバタリアン思想を一言で言い表している。

 

しかし、言葉というのは微妙なもので、どこで切れ目を入れるかで、意味が正反対に変わる。「お金の奴隷解放宣言」という短い一言も、切り方で意味はぜんぜん変わる。

 

キングコング西野亮廣の真意は、ブログを読めばわかるように、

西野亮廣の「お金の奴隷解放宣言」とは、「《お金の奴隷》解放宣言」つまり「人間を《お金の奴隷状態》から解放する宣言」ということだろう。

「人間よ、カネの奴隷になるな!」ということだ。

 

実は、リバタリアン西原理恵子「金の無いのは首の無いのと同じ」も、同じ「お金の奴隷解放宣言」なのである。

ただし、意味は西野亮廣と180度正反対だ。言葉の切れ目が違うからだ。

西原理恵子「お金の奴隷解放宣言」とは、「お金の《奴隷解放》宣言」つまり「《お金を稼ぐことで》人間は奴隷状態から解放される宣言」なのだ。

「人間よ、カネがないと奴隷になってしまうぞ!」ということだ。

 

キングコング西野亮廣「《お金の奴隷》解放宣言」は、大昔からある。

「与えよ。さらば与えられん」、つまりキリスト教である。

 

ルカ福音書
6:27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
6:29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
6:30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
6:31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

 

西・西・西、と語呂合わせしたわけではないが(笑)、西郷隆盛という人がこういう言葉を残したそうな。

 

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。(西郷南洲遺訓) 

 

「金もいらぬ」を評価する西郷隆盛は、ルカ福音書と同じく、明らかにキングコング西野亮廣の陣営であり、リバタリアン西原理恵子と対立する。

 

しかし、西野亮廣だけならともかく、いくらなんでも、ナザレのイエス西郷どんも敵に回すなんて、西原理恵子は旗色が悪いように見えるが、本当にそうだろうか?

 

日本人は明治維新が好きなので、西郷隆盛の言葉を称賛する人が多いが、この言葉、本当に「良きこと」か?

 

タリウム女子大生「人を殺してみたかった」~ルカ福音書「与えよ。さらば与えられん」~西郷隆盛「始末に困るものなり」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

《アナキズム映画列伝》 #ファイト・クラブ (1999年)《ファシズム映画列伝》 #ブラッド・ピット #西野亮廣 #リバタリアン #西原理恵子 - 在日琉球人の王政復古日記

 

に続く。