在日琉球人の王政復古日記

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プロレスリング・ノア(NOAH)が破産した遠因~三沢と仲田龍が川田を村八分にしたことが全ての間違い。

元・プロレス興行団体「ノア(NOAH)」の運営会社が破産 (帝国データバンク) - Yahoo!ニュース

帝国データバンク 2017/02/6(月)
 (株)ピーアールエヌ(TDB企業コード981080681、資本金1000万円、東京都江東区有明1-3-25、代表田上明氏)は、2月1日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。
 破産管財人は小畑英一弁護士(東京都千代田区永田町2-11-1、LM法律事務所、電話03-6206-1310)。
 当社は、故・ジャイアント馬場氏が立ち上げた「全日本プロレス」の人気プロレスラーとして知られ、99年から同社の代表に就任していた三沢光晴氏が、新団体の旗揚げに伴い2000年(平成12年)7月に設立し、初代代表に就任。選手、職員の大半が全日本プロレス出身者で構成されたプロレス興行団体「ノア」を運営し、本社および道場、合宿所を置く「ディファ有明」(東京都江東区)をメイン会場として、全国各地で興行を行い、試合会場での選手コスチューム、サイン色紙、タオル、ポスターなどの販売やリングマット上の広告料、ファンクラブなどの収入、テレビ放映権などを得て事業規模を拡大させた。
 しかし、2009年6月に三沢氏が広島市で行われた試合中の事故で死去する事態が発生。翌7月にプロレスラー兼取締役であった田上明氏が代表に就任したが、その後は有名選手の退団移籍なども重なり経営状態が徐々に悪化。2016年11月1日付で(株)プロレスリング・ノアから現商号に変更するとともに、興行事業をノア・グローバルエンタテインメント(株)<東京都千代田区、2016年11月7日付でエストビー(株)から商号変更>に譲渡し、破産申請の準備に入っていた。
 負債は調査中。
 なお、ノア・グローバルエンタテインメントに譲渡された「ノア」の試合・大会は予定通り行われている。

 

※下記は、プロレスファンじゃないと、意味不明だと思うが(笑)、ご容赦。

 

どうやら、三沢と仲田龍ノアが破産したらしい。

 

プロレスファンを卒業、ではなく、落第・中退してからずいぶん経つ。

今の業界がどうなっているのか、サッパリ知らない。

 

新日が、ユークスからブシロードに売られて、女に刺された(嫌味でなく、誉めている。スキャンダルはプロレスラーの勲章)棚橋が頑張って、興行が持ち直した、最近はプロレス女子が多い、程度の風の噂は、ネットで見かけたりしていた。

 

ノアが潰れたというけれど、新日だって、現場の仕切りが、パニッシュ・クラッシュじゃねえや、邪道外道らしいじゃないか。

猪木、長州の跡目を継いだのが、元W★ING、って(笑)、もう実質的に猪木の遺伝子はない。

まあTPG出身だから邪道外道も猪木の弟子だ、と言えなくもないけど(笑)。

しかし、

エンピツは、冬木の舎弟だった邪道外道の思いのままで、

メインを張るのが、ウルティモの弟子のオカダ、

って、今の新日は、もはや、天龍WARではないか(笑)。

そう考えれば、最後の最後に天下を取ったのは、天龍だったのかもしれない。

 

というわけで、団体を失ったのは、なにもノアファンだけじゃない、と慰めの言葉を送りたい。

 

ノアが潰れた原因は、やはり「三沢の不慮の事故」ということになるのかもしれないが、それはある意味、結果だ。

弟子に譲らなきゃいけないタイミングなのに、晩年、いくらなんでも練習不足が如実に表れていた肉体でメインを張り続けたのは、もうすでに当時からノアの興行成績が良くなかったからだろう。

 

なんでそんなことになったのか?といえば、元子の全日を徹底的に潰さなかったことが、間違いの元だったと思う。

ノア旗揚げの時に、元子全日の復活・延命の目は全て摘み取っておくべきだった。

全日の選手は、特にメインを張れる選手は、一人残らず全て引き抜くべきだった。

 

しかし三沢は、川田と渕を全日に置き去りにした。致命的な失敗だった。

 

四天王の一角・川田さえいれば、全日はサバイバルできる。実際そうなった。

川田はまもなく業界を去ったが、今でも、全日は商売敵として生き残っている。

全日が存在すれば、その分、ファン層の重なるノアのチケットの売り上げは確実に落ちるのだ。

 

三沢が個人的に好き嫌いを超えて、川田をノアに連れて行っていれば、元子は興行を打てなかったし、あの時点で全日は終わっていたはずだ。

そんなに川田が嫌いなら、ノアに連れて行った上で、飼い殺し・若手の踏み台にすればいいだけの話だった。

全日さえなければ、ファンを奪われる心配もないわけで、若手にメインを任せるギャンブルも打てたし、三沢を休ませることもできた。

 

馬場だって、全日旗揚げ後に、日本プロレスがしぶとく生き残っていたら苦労したはずである。日プロを徹底的に干し上げたからこそ、馬場は力道山の後継者になれたのだ。

 

いまさら、だが、そもそもノア」という名前が良くなかったとも思う。

失礼ながら、天下を取れる名前ではなかった。

日本のプロレスは、日本プロレス新日本プロレス全日本プロレス、全日本女子プロレス、そういう名前で天下を取ってきた業界なのだ。

地方のお客さんは、そういう看板に木戸銭を払うのである。

 

当時のウワサ話だが、全日集団離脱時の三沢の参謀に、力道山の息子の百田がいて、「日本プロレス」という業界最高峰の金看板を復活させるアイデアがあったらしい。

もしそうなっていたら、三沢と付いてきた選手たちの運命も変わっていただろう。

いくら元子が、馬場さん!馬場さん!と連呼しても、師匠筋の力道山の金看板には敵わない。

たとえ「猪木の新日」だって「力道山の日プロ」には敵わない。

 

偶然にも、三沢と力道山って、体形も、コスチュームも、技も、似ているのだ。

 

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-da-ec/taueakira2/folder/959549/06/24702006/img_0

 

http://wpwbook.com/images/p01.jpg

 

身長は高くなく寸胴で、

緑と黒、色は違えどロングタイツで、

打撃技中心の組み立て、片やエルボー、片や空手チョップ。

 

三沢を「馬場の後継者」ではなく、息子の百田のお墨付きで「力道山の後継者」として売り出せば、馬場や全日の「呪縛」からも逃れられて、もっと違う未来があったのではないか?

 

もし私が仲田龍なら、川田もノアに連れてきて飼い殺し(笑)にしたし、三沢を「エメラルドグリーンの力道山に仕立て上げたのに。

 

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