読みましたよ。
18万部も売れてるらしいが、私は日本中世史ファンだからある程度予備知識があって何とかなったが(逆に戦国時代は全く門外漢)、この複雑な内容を、この膨大な人物を、しかも興福寺を中心にした大和のローカル史もてんこ盛りで、ホントに18万人もの皆さんが理解できたのだろうか?
【映像】フットボールの起源「シュローヴタイド・フットボール」 盛大に 英国 (アフロ) - Yahoo!ニュース
2017/3/1(水)
サッカー(米語)などさまざまなフットボールの起源とされる「シュローヴタイド・フットボール」が2月28日、英イングランド・ダービーシャー州アッシュボーンで行われた。
シュローヴタイド・フットボールは手や足などを使いボールをゴールまで運ぶ競技で、街を流れるヘンモア川の北側と南側の男性住民が戦う伝統の祭り。
ボールの争奪戦は激しく、映像を見る限りではボールを目がけて人が殺到し、押し合い・揉み合い・うまのりは当たり前のよう。川に落ちてもなお奪い合う。
安全な場所で観戦していた米ナショナルフットボールリーグ(NFL)のニューオーリンズ・セインツに所属するマーク・イングラム選手は、「すごい競技だ。観戦に来たがこんなに近くでみられた。クレイジーだよ」と話した。
競技は年に一度、告解の火曜日と灰の水曜日の2日間行われる。
持ってもいい、蹴ってもいい、走ってもいい、タックルしてもいい。
殴る、蹴る、何でもあり。
こういう近代以前のフットボールは、イギリスだけでなく、イタリアにもある。
中国は遅れてる。「カンフーサッカー」は16世紀からイタリアにある~殴る蹴るOK!「カルチョ・フィオレンティノ」 - 在日琉球人の王政復古日記
呉座勇一「応仁の乱」を読んで、応仁の乱研究の最前線が判って勉強になったし、室町時代の大和国・興福寺の歴史は知らないことだらけで非常に興味深かったが、本筋から離れた文化面、民俗学的な部分が面白かった。
大和の風呂文化だの、
後の出雲阿国、歌舞伎につながるのであろう、念仏風流踊りの流行だの、
やっぱり中世の大和国は先進地域だったんだなあ。
その中に「毬杖」というスポーツが出てくる。
応仁の乱末期、西軍(一応・反乱軍)の畠山義就(三管家・総理大臣を出せる家柄)と一色義直(四職家・防衛大臣を出せる家柄)の家臣同士が、戦場の駐屯地で「毬杖」を遊んでいた。
「毬杖」はスティックでボールを打ち合いゴールを目指す、ずばりフィールドホッケーだったようだ。
しかし、試合が白熱したのか、賭けでもやっていたのか、双方大乱闘になり、死者まで出たそうな。これは異常でも何でもなく、中世の日常だ。
鎌倉時代、室町時代の中世日本人は、武士も農民も町人も僧侶も、男も女も、大人も子供も、分け隔てなく、瞬間湯沸かし器というか、フラッシュバックしたシャブ中(笑)状態で、些細なことで、すぐ激怒し、すぐ暴力をふるい、すぐ殺し合った。
この日本国中精神錯乱状態(笑)は、戦国時代から江戸時代初期まで続く。
佐賀・鍋島藩の「葉隠」の内容は、むちゃくちゃ暴力的だが、鍋島藩が異常なのではなく、あれが中世の平均的日本人の思考・行動なのである。
その「北斗の拳」の世界が「クールジャパン」に収まったのは、徳川幕府五代将軍綱吉の時代である。昔は「犬公方」と評判の悪い将軍だったが、近年は暴力列島を平和ニッポンに転換した名君だったという評価になっている。
室町の毬杖も、
イギリスのシュローヴタイド・フットボールも、
イタリアのカルチョ・フィオレンティノも、
洋の東西を超えて、なんと似ていることか。
われわれはナショナリズムの時代に生きている。
日本史は日本史、イギリス史はイギリス史、イタリア史はイタリア史、みたいに区別する。
中世日本と今の日本の共通性を見ようとする。
中世イギリスと今のイギリスの共通性を見ようとする。
中世イタリアと今のイタリアの共通性を見ようとする。
しかし、本当は、
中世日本は、中世イギリス、中世イタリアとの方が共通性が多く、
今の日本は、今のイギリス、今のイタリアとの方が共通性が多いのだ。
中世日本と今の日本は、精神構造、メンタリティが全く異なる異星人同士なのだ。
ホモ・サピエンスの歴史は、縦割り=通時的ではなく、横割り=共時的なのである。
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