南国土佐映画対決。
歌手・ペギー葉山さん死去 (ホウドウキョク) - Yahoo!ニュース
2017/4/12(水)
歌手・ペギー葉山さんが12日、東京都内の病院で亡くなった。83歳だった。
「南国土佐を後にして」や、「ドレミの歌」の日本語の歌詞を作詞したとして知られる、歌手で女優のペギー葉山さんが、12日午前、肺炎のため、亡くなった。
故人には申し訳ないが、私にとって「南国土佐を後にして」といえば、唄ではなく、映画である。
1959年と言えば、日本映画全盛期。日本全国、小さな町にまで映画館があり、その小屋で掛けるために月単位で何本もの映画を必要としていた。邦画各社は映画を毎週のように量産しまくる。平成のテレビドラマよりも大量生産である。
そんなことをしていたら、一気にネタが枯渇するわけで、アイデアになるなら何でもよかった。というわけで、ヒット曲、というただそれだけの理由で、そこから話を膨らませて映画「南国土佐を後にして」が作られたわけだ。
映画はヒットし、日活スタア小林旭の出世作の1つとなり、後に日活を支える無国籍アクション「ギターを持った渡り鳥」シリーズの原型となった映画である。
日活「ギターを持った渡り鳥」シリーズとは、
監督ジョージ・ミラー、主演トム・ハーディの「マッドマックス怒りのデス・ロード」、
監督ニコラス・ウィンディング・レフン、主演ライアン・ゴズリングの「ドライヴ」、
監督・鈴木則文、主演・菅原文太の東映「トラック野郎」シリーズ、
監督・山田洋次、主演・渥美清の松竹「男はつらいよ」シリーズ、
などの原型となった映画だ(←オルタナティブ・ファクト、笑)。
ライアン・ゴズリング=日活無国籍アクション~ラ・ラ・ランド=東京流れ者(渡哲也/鈴木清順)~ドライヴ=ギターを持った渡り鳥(小林旭) - 在日琉球人の王政復古日記
地元・高知ロケも取り入れて、昭和30年代、戦後高度経済成長より前の、高知市の街並みや、(戦後すぐに始まった、そんなに歴史があるわけではない新しいイベントである)よさこい祭りの風景など、今からすれば貴重な映像もあるが、
まあ作った動機が動機だけに(笑)、日活自体に、南国土佐に対する強い思い入れがあったわけではなく、ストーリー自体に「高知でなければならない!」必要性はない。舞台は北海道でも横浜でもどこでもよかった。
小林旭も、登場人物も、土佐弁ゼロの標準語だし。
まあ、天下の日活スタアが方言で訛るわけにはいかないが(笑)。
「南国土佐を後にして」には、天才賭博師役のアキラが壺で振った複数のサイコロを積み上げるテクニックを見せるシーンがあるのだが、カット割りでも特撮でもない。当時はCGなんかない。
小林旭は、ホントに、ぶっつけ本番、たった一発で、ダイスを積み上げたという。
共演の、水戸黄門・西村晃御大も、まさか一発で成功するとは思っていなかったらしく、演技ではなく、素でビックリしている(笑)。
やはり、アクションスタアというのは運動神経が重要なのである。
この映画の舞台である昭和30年代、リアルにその時代に、リアルに南国土佐から、脚本家を目指して東京に出てきた青年がいた。
彼・中島丈博の半自伝的映画が、最初に張った画像、薄汚れた原田芳雄がカッコイイ、日本アートシアターギルド「祭りの準備」(1975年)である。
こっちは、日活と異なり、舞台が南国土佐であることに重要な意味がある。
atg「祭りの準備」(1975年)
マジメに、平成の、特に若い皆さんに、見ていただきたい日本映画の名作だ。
ラストの原田芳雄の「バンザーイ!バンザーイ!」は、号泣必死の名シーン。
atg「祭りの準備」(1975年)
本当に名作である。これを見ないのは、人生の損失だ。
この映画が描くリアルな昭和30年代南国土佐は凄まじい。
ダボシャツ、ステテコ、腹巻、草履が定番の温帯モンスーン気候ドンピシャのメンズファッション。
泥棒一家、シャブ中少女と色情狂老人、浮気、不倫、兄弟による嫁さん共有(汗)、そして母子相姦(汗汗)、濃厚にして、爛れて腐乱した、ドロドロの家族関係。
土俗的いや原始的といってもいい、この映画の風景、出てくる人間関係こそが、リアルな南国土佐であり、広く、九州を含む西南日本の風土だったのだ。
これは、黒潮の流れに乗って、わが琉球とも、もっと広く、南洋アジア全体とも、共通性を持つものだ。
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これが1970年代の青春映画である。2010年代の、たとえば「PとJK」なんかと、同じジャンルの映画とはとても思えない(笑)。
昭和30年代の南国土佐を舞台にした2つの映画、ATG「祭りの準備」と日活「南国土佐を後にして」は、ほぼ同じ時代のまったく同じ土地を舞台にした映画だ。
つまり、ボロボロの格好の原田芳雄と、パリッとしたスーツ姿の小林旭は、同郷の同級生なのだ。
しかし、この2人は、まったく同じ時代の同じ場所の人間には見えない(笑)。
「祭りの準備」のリアル昭和30年代南国土佐の原田芳雄を見ると、
「南国土佐を後にして」の小林旭が完全なファンタジーであることがよく判る。
だから「南国土佐を後にして」がダメ、というわけではない。
「祭りの準備」も「南国土佐を後にして」も、どっちも映画として正しいのだ。
西南日本・南国土佐が、ATG映画「祭りの準備」ならば、
東北日本・津軽は、同じ中島丈博脚本のATG映画「津軽じょんがら節」だ。
こっちも名作である。
私の大好きな大映「女賭博師」シリーズの昇り竜のお銀、「日本のソフィア・ローレン」こと(笑)江波杏子主演である。
追悼★昇り竜のお銀姐さん #江波杏子 #女賭博師 大映1966 VS #藤純子 #緋牡丹博徒 東映1968~atg津軽じょんがら節1975 - 在日琉球人の王政復古日記
こっちも土俗性では南国土佐に負けていない。
そして、こっちも近親相姦話が出てくる。やれやれ(笑)。
「祭りの準備」が、南国土佐の青年が生まれ故郷のドロドロを捨てて、1個の人間として生きていける東京へ脱出する話だとすれば、
「津軽じょんがら節」は、東京の青年が裏社会のオキテに追われて逃亡し、津軽の土俗性に自分の「居場所」「故郷」を見つける話である。
田舎から東京への脱出。
東京から田舎への逃亡。
主人公の目指す方向がサカサマなのが面白い。
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