アイドルにしては歌は下手だったが(笑)、そこがまたイイのだ(馬鹿)。
敵に脅えて、裸の女を盾にして隠れる。これが「仁義なき戦い」の本質だ。
ゴールデンウィーク、偶然にも、今やもう遠い昔、昭和の東映ボンクラ映画に関わる話題が続いた。
役所広司、ライバルは「仁義なき戦い」 アウトロー映画の“聖地巡礼”呉でギラつく (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
2017/5/5(金)
俳優・役所広司(61)がこのほど、広島県呉市で行われた主演映画「孤狼の血」(2018年春公開)のロケに参加し、作品への意気込みを語った。
映画は暴力団同士の抗争に深入りする警察官の姿を描いており、「仁義なき戦い」(1973年)や「県警対組織暴力」(75年)をほうふつとさせる。「仁義-」の舞台でもあった呉市での撮影は、いわば日本アウトロー映画の聖地巡礼。役所は「エネルギーは、ぼくたちもあの名作に負けないように」と目をギラつかせた。暴力団の若頭を演じる江口洋介(49)も「『仁義-』のDNAをつなげていきたいという気持ちです」とまじめにワルの伝統継承を誓った。
「追憶」の岡田准一、高倉健さん出演作から刺激=「こういう雰囲気の男を演じられるように」 (時事通信) - Yahoo!ニュース
2017/5/4(木)
映画「追憶」の公開直前イベントが4日、東京都内で開催され、主演の岡田准一と小栗旬、降旗康男監督、木村大作キャメラマンが登場した。岡田は席上、降旗監督と木村キャメラマンが手掛けた故高倉健さんの主演映画を通じて、「僕たちが持っている健さんのイメージが確立された」とした上で、「自分が50代ぐらいになった時、こういう雰囲気の男を演じられるようになれたら」と将来の目標を語った。
(略)
岡田は16作のうち、高倉さんが主演した「駅 STATION」「居酒屋兆治」「夜叉」の3作が「僕の(心の)中に深く刺さっている」という。「この3部作で、僕らの中に染み込む、50代の健さんのイメージがつくられた感じがする」と思いを巡らせた。
一方、「鉄道員(ぽっぽや)」を印象深い作品として挙げた小栗は、「すごくファンタジックな話なのに、『ファンタジーです』という撮り方をしていない。改めて見ると、染みる映画だなと思う」とコメントした。
寺島しのぶ涙 長男・眞秀くん歌舞伎デビュー「お客さまの拍手に感動」 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
2017/5/3(水)
女優・寺島しのぶ(44)の長男・寺嶋眞秀=まほろ=くん(4)が3日、東京・歌舞伎座で初日を迎えた「團菊祭五月大歌舞伎」(27日まで)に出演し、初お目見えを果たした。昼の部の「魚屋宗五郎」で酒屋丁稚与吉(さかやでっちよきち)を演じた。
(略)
眞秀くんの父でフランス人アートディレクターのローラン・グナシア氏も終了直後には「涙がでました」と感激。祖母で女優の富司純子(71)も孫の晴れ姿に「大きな声が出てたので、ほっとしました」と満面の笑みを見せていた。
私は映画マニアではない。普通の、狭く浅い映画ファンだ。
洋画も好きだが、やはり日本映画、それも平成ではなく昭和、さらに大作映画ではなく、粗製乱造されたプログラムピクチャーが好みである。
森繁久彌「社長」、加山雄三「若大将」、植木等「無責任」の東宝、
渥美清「寅さん」の松竹、
小林旭「渡り鳥」の日活、
市川雷蔵「眠狂四郎」、勝新太郎「悪名」「兵隊やくざ」「座頭市」、田宮二郎「犬」、江波杏子「女賭博師」の大映、
と邦画各社まんべんなく好きだが、
なんといっても、一番は、
市川右太衛門「旗本退屈男」、近衛十四郎「柳生十兵衛」、藤純子「緋牡丹博徒」「日本女侠伝」、高倉健「昭和残侠伝」「日本侠客伝」「網走番外地」、菅原文太「現代やくざ」「まむしの兄弟」「トラック野郎」「仁義なき戦い」、梅宮辰夫「不良番長」、梶芽衣子「女囚さそり」
の東映、である。
私の人格形成は、
琉球人の血、
論語≒政治思想、
プロレス←ただしすでにファン脱落(笑)、
そして東映ボンクラ映画、である。
だから、どうしても、平成の映画や役者さんたちより、昭和の映画や役者たちを贔屓してしまう傾向はある。それは正しくはない。私の偏向でありバイアスだ。
平成の寺島しのぶ、岡田准一、小栗旬、役所広司、江口洋介、松坂桃李。
そりゃ、好み(偏見)は、圧倒的に前者の昭和である。比較にならない。
しかし、客観的に見て、役者の技量として、「平成」が「昭和」に大きく劣る、とは思っていない。
「平成」役者と「昭和」役者は、時代が異なると同時に、カテゴリーが異なるのである。
ぶっちゃけて言えば、
寺島しのぶ、岡田准一、小栗旬、役所広司、江口洋介、松坂桃李は、俳優・女優であるが、
岡田准一や小栗旬や松坂桃李よりも、高倉健や藤純子の方が、よっぽどアイドルだったのだ。
それは両者の「役の幅」を見れば判る。
世間の固定観念とは正反対に、寺島しのぶ、岡田准一、小栗旬、役所広司の方が役の幅が広い。映画によって(その演技が効果的かどうかは別にして)色んなキャラクターを演じ分けている。
しかし、藤純子、高倉健、菅原文太は、その圧倒的なネームバリューに誤魔化されているが(笑)、演じてきた役の幅は非常に狭いのだ。乱暴に言えば、どの映画のどの役も全部同じだ。
藤純子は後年「富司純子」になってから、意識的にだろうが、役の幅を広げてきたが、それでも全部「優しいおば様」でしかなく、東映・藤純子時代は、どの役もどの役も全部「藤純子」である。
菅原文太も、主役を張るまではストイックなやくざだったが、主役を張ってからは一貫して「トラック野郎」の一番星桃次郎テイストである。「仁義」の広能昌三も基本は桃次郎と同じだ。
高倉健が一番ひどくて(笑)、「人生劇場」の大当たり以降、どの映画の、どの役も、東映の任侠映画も、「八甲田山」も、松竹の「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」も、「居酒屋兆治」「鉄道員(ぽっぽや)」も、全部「高倉健を演じた高倉健」でしかない(笑)。全部が全部「花田秀次郎」なのだ。
何をやっても全部「三船敏郎」にしか見えない(笑)、三船敏郎と同じである。
それは、藤純子、高倉健、菅原文太が、俳優・女優というより、「スタア=アイドル」である、ということなのだ。
演技の上手い下手を超えた、時代に愛されてしまった(ある意味幸運な、ある意味不幸な)宿命といってもいい。
血のつながった母娘なのに、藤純子と寺島しのぶはカテゴリーが異なる。
正直に書こう(笑)、母・藤純子は美人である。娘・寺島しのぶは不美人だ。
藤純子は美人だが、それでも当時の同時代の東宝、日活、松竹、大映の豪華絢爛な女優陣に比較して、絶世の美女というわけではない。どっちかといえばカワイイ、純情可憐な、つまり「アイドル顔」だったのだ。
母と娘、どっちの方が演技が上手いか?幅が広いか?といえば、おそらく娘の寺島しのぶの方だと思う。やはり父親の、歌舞伎役者の血が濃いのだろう。
しかし、母・藤純子が映画で魅せる「華」は、娘・寺島しのぶの優秀な技量でも太刀打ちできない。
それが多少の演技の上手い下手を超えた「スタア」という存在なのだ。
岡田准一は「自分が50代ぐらいになった時、こういう雰囲気の男を演じられるようになれたら」と言ったそうだが、後年の「駅 STATION」「居酒屋兆治」「夜叉」なんかを何回研究しようが、高倉健には絶対近づけない。
「居酒屋兆治」の高倉健は単なる「結果」「アウトプット」であって、「高倉健が高倉健になる生成過程」ではないからだ。
「居酒屋兆治」の高倉健は、東映時代の何十本もの任侠映画の積み重ねによる「高倉健イメージ」の蓄積の結果であって、「昭和残侠伝」がなければ、「居酒屋兆治」もない。
だから、「50代の高倉健」になりたいのなら、キャリア全盛期の「昭和残侠伝」「日本侠客伝」「網走番外地」を見まくって研究するしかない。そして自分も20代30代に任侠映画を撮りまくる、演じまくる、しかない。しかし、そんなことは、岡田准一がどんなに努力しても、平成の映画環境では不可能だろう。
そもそも「高倉健みたいな役者になる」ということは「何をやっても高倉健しかできない役者になる」ことでもある。それが、岡田准一にとって、役者にとって、幸運なのかどうかは、なんとも言えないのである。
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私は、自分の趣味が、他人に、特に平成の皆さんに通用するとは思ってない(笑)。
平成の皆さんが、現在の20代30代の皆さんが、比較的映画を見る人でも、藤純子の「緋牡丹博徒」なんて、1本も見てないだろうと予想はつく。
高倉健の名前は知っていても、下手したら「幸福の黄色いハンカチ」も「遙かなる山の呼び声」も見たことはないだろう。ましてや「昭和残侠伝」なんて名前も知らない可能性が高い。
「仁義なき戦い」は有名だ。有名だけれども、実際に見たことがある人は予想外に少ないと思う。
なぜなら、「仁義なき戦い」の語られ方がおかしいことが多いのだ。
新聞なんかは、なぜか「仁義なき戦い」をバイオレンス映画として語る記事が多すぎる。
見たことがない人に言っておきたいが、
「仁義なき戦い」はバイオレンス映画ではない。
「仁義なき戦い」はコメディ映画なのだ。
「恐い映画」ではなく「笑える映画」なのだ。
「仁義なき戦い」だけでなく、菅原文太の映画はバイオレンス映画ではない。そのほとんどがコメディ映画なのだ。
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「仁義なき戦い」は全編にわたって、ほとんど漫才とコントである。
金子信雄や加藤武がボケまくり、菅原文太や小林旭がツッコミまくる。
加藤武「山守に言うてよぉ、二千万ばかり都合付けてくれんかい?」
小林旭「ケンカ相手にカネ貸すバカがどこにおるかいっ!」
「仁義なき戦い」の登場人物は、カッコイイのではなく、徹底して、無様で、マヌケで、馬鹿丸出しで、卑怯で、カッコ悪いのである。
千葉真一と志賀勝の親分子分が、銃撃戦の最中なのに、「オマエじゃ当たらん!ワシに貸せや!」とばかりに味方同士で拳銃を奪い合う。
銃撃を受けてるのに、トイレットペーパーを投げて応戦する。
主演の菅原文太が、ライバルの松方弘樹が、二枚目の北大路欣也が、敵の襲撃を受けて、慌てふためいて、腰を抜かし、四つん這いで逃げ惑う。
名画座やオールナイト上映で「仁義なき戦い」がかかれば、会場のオールドファンから「爆笑」が起こるのだ。
「仁義なき戦い」に続く映画!といわれるモノがことごとく外れてしまうのは、「仁義なき戦い」をバイオレンス映画だとカン違いしているからだ。
広島弁で凄んでも、アクションを派手にしても、血しぶきが飛んでも、残虐シーンを増やしても、「仁義なき戦い」にはならない。
「仁義なき戦い」は、笑いがなければ、カッコ悪くなければ、成立しない。
北野武の「アウトレイジ」もそうだが、おそらく役所広司や江口洋介や松坂桃李も、あまりにカッコ良すぎるのである。
役者がカッコ良くすればするほど、カッコ悪い「仁義なき戦い」から離れていくのだ。
もしも、役所広司や江口洋介や松坂桃李が、恐怖のあまり小便を漏らしながら、頭からゴミ箱をかぶって、パンツ一丁で路上を走り出す、みたいなシーンがあれば、かなり「仁義なき戦い」に近づく。
はたして、二名目俳優である役所広司や江口洋介や松坂桃李に、そんな無様な恰好ができるか?、所属事務所や製作会社が許すか?、そこが勝負の分かれ目だろう。