在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

ゴキブリ出たら110番~日本人が望んで選んだ、邪魔者がいない、村八分のない、清潔な都市生活。

オトコとして、恥ずかしい話だが、私はゴキブリが苦手だ。

 

雑誌かスリッパで叩き潰した後が厄介である。

もし素手なら、ボディを鷲掴みにする勇気がない。死骸の触角か足をつまんで、ゴミ箱へ捨てるのがせいぜいである。

せめてティッシュが1枚ないと、プチッと握り潰せない。潰したはらわたが手に付くから。

ましてや、手の平に乗せて、眺めたり、臭いを嗅ぐことはない。

加熱しないで、そのまま食べる勇気もない。

私のような潔癖症は困る。

 

すでにリンク切れだが。

 

若い男から110番、出てみれば「ゴキブリが気持ち悪い」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080505-OYT1T00679.htm
(2008年5月6日 読売新聞)
 害虫駆除の依頼、恋愛相談……。警察に舞い込む様々な電話に、首をかしげたくなるような内容が目立つようになった。
 地域住民と向き合う警察にとって、モラルに欠ける要求でも無視するのは困難。非常識な通報に追われることで、警察力の低下を招くのではないかと危惧(きぐ)する声も出ている。
 「ゴキブリが家の中に出てきて、気持ちが悪い」
 昨年夏、大阪府内の警察署に、若い男性から電話がかかってきた。対応した署員は「自分で駆除できるはず」と考え、この依頼を1度は断った。
 しばらくして再び同じ男性から「本当に困っている。来てくれ」。最寄りの交番にいた50歳代の男性警部補が男性宅を訪ねると、おびえた目つきでゴキブリを見つめる若いカップルが待っていた。警部補はゴキブリを駆除し、死骸(しがい)をビニール袋に入れて持ち帰った。
 この警察署の副署長は「市民が助けを求めてきた以上、むげに断ることはできないと判断したが、ゴキブリの処理は警察の本来の業務ではない」と語る。
(略) 

 

ゴキブリにおびえる若い女

同じようにおびえる若い男。

そんなゴキブリも始末できない軟弱な男に愛想を尽かさない女。

まさに平成の極楽絵巻である。

 

ゴキブリで110番をプッシュする、彼らのような若いカップルには警察としても困ってるだろうが、しょうがない面はある。

だって彼らには「頼れる相談相手」がいないんだもの。

 

平成の御代、ゴキブリを始末できない男女は、自分たちを助けてくれるモノを2つしか知らない。

「カネの掛からない(実は税金が掛かっている)公共サービス」と

「カネを払えばやってくれる商業サービス」の2つ。これしかない。

 

しかし昭和の昔は、もう一つ「カネを払わなくてもいい(ただし義理を返済する必要が発生する)社会サービス」があった。

 

昔は「頼れる相談相手」が近くに居た。
貧乏長屋の1室から悲鳴が上がれば、隣近所のオジサン・オバサンがやってきて、ゴキブリの始末もしてくれた。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や「男はつらいよ」の世界である。

 

しかし、そういう時代のゴキブリ退治は、ゴキブリ退治で終わらない。

オジサンは「おまえ、男だろ!ゴキブリぐらいなんだ!シッカリしろ!ところでいつ結婚するんだ?」と男の生き方まで説教してくれる。

オバサンは「ゴキブリが出るのは、あんたが台所を清潔にしてないからだ。冷蔵庫の中を見せなさい!ところでいつ結婚するの?」と生活態度まで指導してくれる。

 

ゴキブリは、若いカップルのプライバシーを侵害する外部からの侵入者である。

しかし、若いカップルにとって、隣近所のオジサン・オバサンも、プライバシーを侵害するもう一つの「ゴキブリ」なのだ。

 

国家の「公共サービス」は法律次第。法律以外の事はやらない。
民間の「商業サービス」も契約次第。契約以外の事は無関心だ。
しかし隣近所の「社会サービス」は、イロイロと融通が利くが、法律の歯止めや契約の範囲がない。義理と人情、恩義としがらみ、全人格的な付き合いである。

隣近所、共同体、コミュニティといえば、良いモノのように思えるが、別名は「相互監視体制」である。

 

「あそこの息子は、いい歳して、いまだにアニメや漫画に夢中だって」
「あそこの娘は、大学出て、まだ結婚しないのか? 何が問題があるのか?」

 

こういう監視がイヤでイヤでたまらなかったから、われわれは近代社会を作った。

今では想像もつかないが、ちょっと昔は、その監獄から脱出するだけで、一世一代の真剣勝負だったのだ。

 

薄情もんが田舎の町に
あと足で砂ばかけるって言われてさ
出ていくならお前の身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにして
やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ
滲んだ文字 東京ゆき
「ファイト」 中島みゆき 1983年


平成の御代。自分は自分。他人は他人。隣近所でも挨拶しない生活である。相手の家なんて覗き込んだこともないし、そもそも興味もない。

しかし「相互監視の社会サービス」が無くなったからといって、悩みや問題やゴキブリが存在しなくなったわけではない。

そして

「自分でもゴキブリを殺せないくせに、ゴキブリも殺せない女にだけは偉そうにする男」も、

「自分でもゴキブリを殺せないくせに、ゴキブリも殺せない女にだけは偉そうにする、そういう男しか、頼れる相手がいない女」も、

ゴキブリ退治を相談できる相手がいない。

 

じゃあ「親切な」オジサン・オバサンの居る監獄へ戻りたいだろうか?
でも、今や、平成のオジサン・オバサンだって、自分のプライバシーが大事で、他人のことなんてどうでもいい。手間ばっかりかかってカネにならない、ゴキブリを退治して相手のプライバシーに介入する「ゴキブリ」役なんかゴメンなのだ。

隣近所に、物理的に人間は住んでいるが、社会的には人間が住んでいないもの同然である。

 

近代社会は清潔な社会である。

プライバシーを侵害する「ゴキブリ」は駆除された。

「ゴキブリ」の居ないはずの世界に、ゴキブリが出てきたら、そりゃ、お坊ちゃんやお嬢ちゃんはパニックを引き起こす。

二人とも、愛する二人の世界にゴキブリがお邪魔する可能性がある、なんて説明は受けてきていないのだ。

 

若い二人は、身近に頼れる他人が誰もいない。

税金で働く公共サービスの110番に電話するしかない。

当然「スマホ」である。

待ち受け画面は、眼だけが異様に大きく加工された、愛する二人の写真だ。

これが、われわれが「社会の進歩」と呼んできたモノのなれの果てである。

 

カン違いしてはいけない。我々ホモ・サピエンスが望んで選んだ道なのだ。 

生きるのに必死なだけのゴキブリさんには、何の罪も責任もない。 

もちろん殺虫剤で殺すけど。

 

ゴキブリ殺し、ウシ殺し、クジラ殺し、ネコ殺し、ヒト殺し。 - 在日琉球人の王政復古日記