《在日コリアン映画列伝》 #井筒和幸 生涯最高傑作「パッチギ!」の呪い(笑) #小出恵介 VS大失敗作「LOVE&PEACE」難病編 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
B.アンソンの父・ジンソンの戦争ネタ
井筒和幸「パッチギ!LOVE&PEACE」は、コッポラの名作「ゴッドファーザーPART2」を本歌取りしている。
70年代の息子アンソンが、アル・パチーノのマイケル・コルレオーネ、
戦中の父親ジンソンが、ロバート・デ・ニーロのヴィトー・コルレオーネ、
ということになる。
まあ本歌取りはいいとして、兄アンソンの難病ネタと、妹キョンジャの芸能界ネタだけで、時間的にイッパイイッパイなのに、なんで父ジンソンの戦争ネタまで入れたのか?
それこそが、この映画がウンコになった最大の理由、当時プチブームだった、石原慎太郎の特攻隊や、大和だの潜水艦だの、カッチョイイ戦争映画への反発だ。
反戦左翼・井筒和幸として、好戦右翼・石原慎太郎に対抗するために、残酷な戦争シーンを入れたかっただけなのだ。
戦争の悲惨さを描くのはいいとして、在日朝鮮人の戦争被害を描くのはいいとして、なんで、よりにもよって、その戦争の舞台が、朝鮮からも日本からも遠く離れた南洋のヤップ島なのか?
これも、難病ネタと同じく、プロデューサー李鳳宇の父親の実話らしい。
しかし、李鳳宇の父親はそうだったかもしれないが、ヤップ島では朝鮮人の平均的戦争体験からはかなりズレている。当時の朝鮮人の戦争体験は、だいたいが満州か支那大陸、または、日本国内の空襲体験だろう。
ただし、この部分は、映画を離れて、凡庸な反戦左翼の「朝鮮人かわいそう史観」に反して、戦争と歴史を考える上で、興味深い実話ではある。
李鳳宇の父親は韓国済州島出身。彼は大東亜戦争の最中、同郷の知人がヤップ島の水産会社で働いていたので、そこを頼って渡ったらしい。
映画である「LOVE&PEACE」でも、ジンソンは日本軍の強制連行でヤップ島へ行くことになっている。
しかし、現実世界の李鳳宇の父親は日本軍の徴用ではないだろう。彼は知人を頼ってヤップ島に渡っているからだ。
おそらく、済州島出身の知人は漁業関係者で、漁業で一発当てようと自発的にヤップ島に渡った商売人だった可能性が高い。そしてヤップ島でそれなりに成功して自由と財産を持っていたからこそ、同胞の李鳳宇の父親の面倒が見れたのである。
いや、その知人は水産会社の労働者ではなくオーナーで、商売が軌道に乗って人手が必要になったから、日本軍も徴用も関係なく、同郷の李鳳宇の父親を働き手として呼び寄せたのではないか?
そして、日本軍支配下のヤップ島で、しかも戦争中なんだから、その水産会社は日本軍に協力していたに決まってる。
そんな要領のいい知人がいたからこそ李鳳宇の父親も南洋でメシを食えたのだ。
当時、日本列島や朝鮮半島では美味しい利権は日本人がガッチリ握っていて、朝鮮人への差別もある。
いっそ日本でも朝鮮でもない新天地で一旗上げようと海外に渡った朝鮮人はたくさんいた。大半は満州や支那大陸だっただろうが、南洋や東南アジアへ向かった者もいたわけだ。
しかし、そんな選択が可能になったのは、日本軍の大陸侵略・南方侵略によって、大日本帝国の支配エリアが広がったからであって、外地で商売する朝鮮人は「大日本帝国の正式メンバー」としての利益を享受していたことになるのだ。
日本のヒエラルキーにおいては抑圧された2流3流のメンバーが、日本の膨張によって、海外の支配地でそれなりの美味しいおこぼれにあずかる。
これはわれわれ琉球人も全く同じだ。2軍であってもプロ野球選手なのだ。
日本の戦争に協力して利益を得る朝鮮人。
そういう、反戦平和、日本の戦争犯罪糾弾、朝鮮人被害者史観の立場からは、あんまりカッコよくない(笑)事実こそ、実は映画にすべき題材なのである。
そういう複雑で善も悪も混在した事実をちゃんと映画にしてこそ、朝鮮人=人間の真のドラマを描けるのであり、
そういう誠実な映画作りこそが、回り回って、石原慎太郎あたりの「特攻隊カッチョイイ!」という単純かつ粗雑かつ凡庸極まる勧善懲悪ファンタジーを打ち破れるのである。
というか、そもそも、朝鮮人にとっての、特に済州島民にとっての「戦争」とは、大東亜戦争なのだろうか?
満州在住者にとって「戦争」とは、満州引き上げの苦難であろう。
近代の朝鮮人にとっての「戦争」とは、朝鮮戦争しかないではないか。
大東亜戦争で朝鮮人に何の被害も無かったとは言わないが、その後の朝鮮戦争は、大東亜戦争の記憶なんか吹っ飛ぶくらい凄まじい被害を朝鮮半島にもたらしたのだ。
特に「LOVE&PEACE」のジンソンは済州島出身の設定である。
済州島民にとっての「戦争」が大東亜戦争なはずがない。
広島市民・長崎市民にとっての「戦争」が原爆であるように、琉球人にとっての「戦争」が沖縄戦であるように、済州島民にとっての「戦争」は、朝鮮戦争の前哨戦とも言うべき「済州島四三事件」のはずなのだ。
「済州島四三事件」とは、1948年、済州島で勃発した南朝鮮労働党主導の人民遊撃隊の武装蜂起と、その蜂起を殲滅したアメリカ軍政部の反撃だ。1948年から1957年まで、島民の20%、約50,000人がブチ殺されたといわれる。
おそらく、日本統治時代にもない、李氏朝鮮や高麗時代にもない、有史以来、済州島で最大最悪の大量殺人である。殺したのは、朝鮮人=韓国人とアメリカ軍であって、日本軍ではない。
現在のシリアと同じで、この「内戦」が済州島民からの大量の難民を発生させ、その一部が日本に避難してきて、在日朝鮮人の多数派を形成する。
在日朝鮮人の出身地は済州が多い。それは、日本統治時代の政策でもなく、日本軍の徴用や強制連行でもなく、朝鮮半島の前哨戦ともいえる、この「済州島四三事件」が原因である。
そして南の離島出身の彼らが、韓国籍だけではなく、北朝鮮シンパの朝鮮籍を選択する者が多かったのも、「済州島四三事件」における韓国政府の極悪非道への恨みと反発が大きかったからだ。
現実世界の李鳳宇の父親も、映画のジンソンも、終戦後すぐに日本に住みついたわけではない。
映画は語らないが、戦争が終わり、ヤップ島に日本軍がいなくなれば、日本統治のおかげで経営できていた朝鮮人の水産会社も廃業するしかなかったはずだ。そして、ヤップ島で生活できなくなった、李鳳宇の父親は故郷の済州島へ帰るのだ。
そのまま何もなければ、ソウルへ出稼ぎに行くことはあっても、外国になった日本へ行く理由も手段もないはずだった。
そこへ「済州島四三事件」が勃発。現実世界の李鳳宇の父親も、映画のジンソンも、反共の韓国にも逃げられず、共産主義の北朝鮮にも行けず、日本列島へ「亡命」する。
「LOVE&PEACE」は、戦争シーンとしてヤップ島の空襲なんかを延々と描写するが、それは、現実世界の李鳳宇の父親や、映画のジンソンにとっての「本当の戦争」ではない。故郷を捨てざるをえなかった「済州島四三事件」こそが彼らにとっての「本当の戦争」なのである。
「LOVE&PEACE」も、「済州島四三事件」を全く隠蔽しているわけではないが、ヤップ島は長々と映像化してるのに、「済州島四三事件」は映像もなく、セリフでたった1回だけだ。
本当ならば井筒和幸は「済州島四三事件」を映像化すべきだったのだ。
「LOVE&PEACE」のクライマックス、キョンジャが「父が戦争から逃げてくれたお陰で私は生まれることができた」と、反戦メッセージを主張する。
井筒和幸は、その戦争を、日本がやらかした大東亜戦争だと言いたいようだが、それは史実的に間違ってる。
済州島民が必死で逃げた戦争とは、大東亜戦争ではなく、「済州島四三事件」であり、それは日本人の戦争のとばっちりではなく、朝鮮人同士の殺し合いだったのであり、日本の皇国史観が起こした殺戮ではなく、共産主義思想が起こした殺戮なのだ。
井筒和幸は、日本批判が前に出過ぎて、真の戦争被害を隠蔽している。
これは、反戦平和思想として、欺瞞だ。
「LOVE&PEACE」は「ゴッドファーザーPART2」を本歌取りしている。
ならば、若きヴィトー・コルレオーネにとって、故郷シチリア島からの「命がけの逃亡」と「復讐のための帰還」が重要だったように、「LOVE&PEACE」は「済州島四三事件」の残酷を描くべきだったのである。
《在日コリアン映画列伝》 #井筒和幸 生涯最高傑作「パッチギ!」の呪い(笑) #小出恵介 VS大失敗作「LOVE&PEACE」芸能編 - 在日琉球人の王政復古日記
に続く。