《在日コリアン映画列伝》 #井筒和幸 生涯最高傑作「パッチギ!」の呪い(笑) #小出恵介 VS大失敗作「LOVE&PEACE」戦争編。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
C.アンソンの妹・キョンジャの芸能ネタ
本来、井筒和幸が描くべきだった題材は、「これだけ」だった。
難病ネタも戦争ネタもどうでもいい。そんなもんは他に山ほどある。
しかし、日本の芸能界における在日朝鮮人を描いた映画は、それまで無かった。
日本の芸能界における在日朝鮮人を描いた「LOVE&PEACE」は画期的な映画になるはずだったのに、監督のどうでもいい陳腐な反戦平和思想が邪魔して大失敗してしまった。
スポーツならば、
「プロレスの帝王」も、「実践空手の神様」も、在日。
あの「大投手」も、あの「安打製造機」も、在日。
芸能界ならば、
日本のココロを唄う「女性演歌歌手」も「R&Bのアネゴ」も、在日。
70年代を代表する「アクション俳優」も「男性アイドル」も「伝説のロックバンド」も、在日。
戦後日本の芸能界やスポーツ界における、在日朝鮮人・在日韓国人の存在は際立ったものがある。
南沙織、フィンガー5から、りゅうちぇるまで、芸能分野では琉球人も暗躍してるが(笑)、まだまだ及ばない。
ただし、その出身は長年タブーであって、99%の在日は、日本人風の芸名を名乗った。 「LOVE&PEACE」でも、キョンジャは芸名・青山涼子を名乗らされる。
これは、日本だけの特殊事情ではなく、アメリカでも全く同じだった。
アメリカでも1970年代までは、映画スター、テレビスターと言えばWASP≒アングロサクソンじゃないとダメだった。
だから、白人に見えても、ユダヤ系、アイルランド系、東欧系、ロシア系、ヒスパニックの芸能人はWASP風に改名していた。
東洋人から見れば、まるでアングロサクソンに見える、例えばカーク・ダグラスだって血筋はユダヤ系ロシア人であり、本名はイズール・ダニエロビッチだ。しかしこんなロシア丸出しの本名では映画スターにはなれない時代が長く続いた。
それが1970年代、公民権運動、カウンターカルチャー、アメリカンニューシネマの時代になって、パチーノだのデ・ニーロだのイタリアン丸出しの名前でも映画スターになれるようになったのである。
日本も同じことで、昔なら韓国芸能人なんて商売にならなかったが、韓流ドラマで視聴率が取れるようになり、日本の在日芸能人でもカミングアウトする人が出てきた。
しかし、日本から在日タブーが全く無くなったわけではない。
だからこそ、戦後日本芸能界における在日を描く映画は非常に意味があった。
「LOVE&PEACE」の価値はここにあった、というか、ここにしかなかった。
余計な難病ネタや戦争ネタなんかやらずに、芸能ネタ一本で作っていれば、大傑作になった可能性はあったのだ。
映画構成としても、難病ネタや戦争ネタで尺を取り過ぎて、芸能ネタの時間が足りないから、キョンジャが日本人俳優に裏切られる失恋だって、おかしくなっている。
一度ベッドインしただけで、いきなり「家族に会ってください」と言い出すなんて、展開が早過ぎて、結婚を焦ってるカン違い女にしか見えない(笑)。
そりゃ差別でもナンでもなく、相手が日本人でも、スケベな遊び人なら「おいおい、勘弁しろよ」と言うのが当たり前だ(笑)。
芸能ネタでも、石原慎太郎の特攻隊映画への対抗意識のせいで、キョンジャを、歌手ではなく、女優にしてしまい、映画として完全に失敗している。
「パッチギ!」では、主人公が「イムジン河」を演奏するシーンが見せ場だった。
しかし「LOVE&PEACE」は、わざわざ芸能界の話なのに、キョンジャを含めて、誰も歌わないのだ。
そもそも井筒映画のキモは「ケンカ」と「音楽」である。
「パッチギ!」は、「ケンカ」と「音楽」が融合して奇跡のコラボレーションを見て、それが映画を傑作にしたのだ。
しかし「LOVE&PEACE」は、
兄を子持ちの大人にしたせいで、アクションの見せ場のケンカも生かせず、
妹を歌手ではなく、映画女優にしたせいで、音楽シーンも乏しく、
陳腐な戦争反対だけが浮き上がって、ウンコ映画になってしまったのである。
もしも、私が脚本を書くのなら、キョンジャはアイドル歌手だ。戦争映画なんて一切出さない。
そして、日本を代表するベテラン大物歌手を登場させる。
彼はなぜかキョンジャを目の敵にして「オマエの唄は発音がなってない。ヘタクソだ」とダメ出しをさせる。
そして、クライマックスはテレビ生放送の音楽番組。
そこで青山涼子ことキョンジャは、「ふるさとの歌」として、リハーサルでは普通に民謡か何かを歌う予定だったのに、放送本番で意を決して「イムジン河」か「アリラン」を歌い出す。
オーケストラはビックリして演奏を止めてしまう。戸惑うスタッフたち。
そこに、彼女をソデから見ていた、ベテラン大物歌手が舞台に進み出て、彼女の横で、アカペラで、しかも見事な朝鮮語で唄い出す。彼の「ふるさとの歌」を。そして、彼女の耳元で「だから、お前のイルボン訛りのウリマル(朝鮮語)は聞いてられない、と言っただろ。国の言葉を勉強し直せ」と囁く。
私ならば、そういうシーンにしただろう。
こっちの方が良い映画になったと思うが、「パッチギ!」ファン、および、在日コリアンの皆さんのご意見をたまわりたいものである。
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