CNN.co.jp : 「パスタの水切り器」かぶった写真、運転免許証用に承認 米
2017.06.03
(CNN) 米アリゾナ州に居住する男性が運転免許証に使う顔写真にパスタの水切り用容器をかぶった姿の採用を求め、認められる一幕がこのほどあった。
宗教上の信仰を理由にした申請。
米国の大抵の州では、運転免許証の写真はかぶり物などがないものを指定しているが、宗教上の理由があった場合は特例になる場合がある。アリゾナ州チャンドラー居住のショーン・コーベットさんはこの特例規則を適用しパスタの水切り用容器を使用した。
コーベットさんは2年かけアリゾナ州内の複数の場所で、水切り用容器の着用許可を申請し、これに応じる1カ所を見付けていた。
ただ、同州の交通行政当局はCNN系列局KNXVに、宗教に絡む特例事項はあるもののコーベットさんの場合は認められるべきではなかったと主張。水切り用容器をかぶった写真と運転免許証を無効にする準備を進めている。
これに対しコーベットさんは無効となれば法廷闘争を開始する構えを見せている。
コーベットさんは、団体「空飛ぶスパゲティモンスター教会」の信者と主張。この団体は、世界は5000年前、空飛ぶスパゲティモンスターによって創世されたもので、宗教的なかぶり物としてパスタの水切り用容器を身に付けるのが信者「パスタファリアン」の務めなどと説明している。
ただ、パスタファリアニズムについては敬けんな意味合いより、風刺が重んじられることを認めた。
空飛ぶスパゲティモンスター(FSM)の使徒パスタファリアンがこの世に出現したのは、キリスト教歴2005年、アメリカはカンザス州においてである。
当時、カンザス州教育委員会では、公教育において「ダーウィン進化論」と同等に「インテリジェント・デザイン(ID)説」も教えなければいけないという決議が採択されようとしていた。
ID説とは、生物の進化には「知的な何者か」が介在しているという仮説だ。言い出してる連中は、「知的な何者か」を具体的に誰なのかは明言しないが、なぜか全員100%熱心なキリスト教福音派であった。まさしく神のなせる偶然である。
そこへ「ダーウィン進化論と同等にID説も教育するのならば、同等にFSMも学校で教えろ」と、パスタファリアンが参戦する。
パスタファリアンによれば、この世界を創造し、人類を作ったのは、ダーウィンの自然淘汰ではなく、ナザレのイエスのお父さんでもなく、空飛ぶスパゲティモンスターであるとのことである。ラーメン。
通常、世俗の国では身分証明書がある。パスポートや運転免許証だ。
そこには本人写真を貼る。原則として、頭部・顔面に余計なモノを付けない脱帽状態の写真だ。
しかし、信仰上の理由で頭部に装飾物を要求する人もいる。その場合は例外として認められる国も多い。
ユダヤ教の帽子キッパを付けたまんまのIDカードである。
トラキチが阪神タイガースの帽子を被ったまんま、運転免許所に行っても「出て行け」と言われるのに、ユダヤ教徒は許されている。露骨な宗教差別である。
私たちが「インド人」と言われてなんとなく連想するターバンも、実は多数派のヒンドゥー教徒ではなく、少数派のシーク教徒の習俗なのだ。
ユダヤ教徒のキッパ同様、シーク教徒のターバンも認めらる事が多い。
身分証明書の写真は、原則として脱帽。被り物は禁止。
これは宗教に限らず、世俗のグレーゾーンもある。カツラである。
ハゲを気にしてる男性がカツラを被ったまんまの写真を使ってもいいのか?
カツラも、ターバンや阪神の帽子と同じ被り物ではないか?
女性のウィッグやエクステも同様だ。
しかし、運転免許証でカツラを付ける付けないでトラブルを起こした、という事例は寡聞にして知らない。警察もヤヤコシイもめごとはイヤなのだろう。
身分証明書の写真の本来の意味は「本人確認」である。
頭髪が本人確認の決定的な要素になるのなら問題だが、実はそうではない。
というのも、頭髪は変わりやすい、変えやすいからだ。
金髪に染めたり丸坊主にすれば激変する。ハゲがカツラを付ければフサフサだ。
頭髪は、頭部は、「本人確認」の決定的要素ではない。
ゆえに、ユダヤ教徒やシーク教徒やパスタファリアンの被り物も、ハゲのカツラも、女性のウィッグやエクステも、頭部限定ゆえに、認められるのだ。
人間は、腕や足の写真を見せられても同一性は判断できないが、顔写真ならばかなりの確率で同一性を判断できる。他人同士の微妙な違いを判断できる。
人間は人間を顔で本人確認・他人識別ができる。
自動車を正面に見て、ヘッドライトを両目に、バンパーを口に、全体を顔に認識してしまうのも、この能力のせいである。
当たり前に感じるが、実はこれは人間が持つ不思議な特殊能力なのだ。
・_・
が顔に見えるのは、本来おかしい。人間の脳みその、ある種の錯覚なのである。
人間は、顔面、特に、目、鼻、口の位置関係で、人間を認識する。
となると厄介なのが、ユダヤ教徒やシーク教徒やパスタファリアンではなく、イスラム女性なのだ。
身分証明書の写真もヒジャブを被ったまんまを要求して、ユダヤ教徒やシーク教徒のように例外として認められることが多い。
ヒジャブは顔面を隠していないから、まだ、何とかセーフである。
しかし、顔面を隠すニカブやブルカとなれば、もはや冗談の世界に入る(笑)。
もう、本人確認は不可能である。写真の意味はない。
空飛ぶスパゲティモンスター教会は、キリスト教福音派による世俗世界への手前勝手な信仰のゴリ押しに反発して生まれた。
パスタの水切り用容器を被ったパスタファリアンも、「女性の顔を隠す」というイスラムの手前勝手なルールを、世俗世界の身分証明書にまでゴリ押ししてくる、「宗教といえばどんな無理でも許される」風潮への反発のアクションなのである。
人間にとって「顔」は、手足など他の肉体の部分と異なり、特別な意味合いを持つ。
それは、宗教ではなく、行政や政治ではなく、文化人類学的な方面である。
そして聖像や聖画を破壊するのだが、その方法は、全体ではなく、顔や頭部だけを集中的に破壊するのである。
偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その2)~消去されたムハンマドの「顔」VS処刑されたキツネと仏の「首」。 - 在日琉球人の王政復古日記
「顔」は「その人物そのもの」を意味する。正にペルソナ=人格である。
だから顔さえ消去しまえば、他の部分が残っていても、その人物は消去・隠蔽・排除されたことになる。
ここで重要なのは、顔の毀損は「殺害」ではなく「消去」なのだ。相手を殺すのではなく、存在を消すのである。
だからヨーロッパ諸国は、
「髪の毛を隠すだけのヒジャブはまだいいが、顔面を全部隠すニカブやブルカはやめてくれ。それは人格の抹殺だから、近代人権思想的に許されないのだ」
とイスラム移民に要求するのである。
じゃあ、隠さなくて、全てオープンならば、問題はないのか?
というわけにもいかない。
イスラム女性は顔も頭も体も隠しまくる。
イスラム圏の隣のインドにも、シーク教徒のように頭髪を隠す人はいる。
しかし同じインドには何も隠さない人もいる。
シーク教よりもイスラムよりもキリスト教よりも古い、仏教と同時期に生まれた、釈迦のライバル・不殺生を守るジャイナ教、中でも厳格な裸行派・空衣派である。
彼らの日常はこうなる。
ジャイナ教裸行派・空衣派の出家者は無所有を貫き、衣服も所有しない。
常に真っ裸。パンツも含めて、何も着てはいけない。
あ、一部に期待する紳士もいるかもしれないが(笑)、ジャイナ教裸行派の出家は「男性限定」である。
だからオッパイぷるんぷるんの出家女性は、残念ながら、いない。
裸が許されない女性は、たとえジャイナ教徒でも、出家はできないのだ。
何でも隠すイスラムも、何も隠さないジャイナ教も、同様に女性差別はある。
ここら辺は、なんだかんだいって、女性差別があった釈迦の原始仏教にも共通する。
名誉殺人~釈迦も、聖書も、孔子も、ヒンドゥー教やイスラム教と同じ女性差別主義者。 - 在日琉球人の王政復古日記
名誉殺人~南アジアVS東アジア~神は女性を殺さない。女性を殺すのは常に人間である。 - 在日琉球人の王政復古日記
無所有を貫き、裸形で過ごす。ジャイナ教徒がそういう生活ができるのも、
生産活動を離れて、托鉢で食を得る。仏教徒がそういう生活ができるのも、
生きてる場所が、気温が高く、太陽がさんさんと降り注ぐ、亜熱帯のインドだから可能なのだ。
もし、ジャイナ教徒や仏教徒が、シベリアで生まれたら、信仰を貫いたら、一冬で凍死である。
逆に、シベリアにはジャイナ教や仏教みたいな無所有の宗教は生まれようがない。
清貧に見えて、ジャイナ教徒や仏教徒は、太陽エネルギーを所有する、結構リッチなエゴイストなのだ。
インドの釈迦は既得権益でリッチな勝ち組エゴイスト~在家重視の大乗仏教を誕生させた太陽エネルギーの欠如。 - 在日琉球人の王政復古日記
ヨーロッパ諸国は、ブルカで顔を隠すイスラム女性に困っているが、だからといって、何も隠さないジャイナ教裸形派の出家男性が空港の入管窓口に現れても、それはそれでかなり困るのである(笑)。
しかし、ジャイナ教裸行派は、おそらく世界一安全な隣人である。
イスラム原理主義と全く異なり、絶対に殺人は犯さない。肉食もしない、小さな虫すら殺さないほど徹底して不殺生戒を守る。
そんな平和な人たちでも裸だと近代社会は困ってしまうのだ。
顔を隠しても困る。キンタマを隠さなくても困る。
宗教は、社会は、人間は、厄介なモノである。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」って、ホントか?~ムスリマロリータVSボーヴォワールVSムハンマド。 - 在日琉球人の王政復古日記