在日琉球人の王政復古日記

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やっぱり「彼女たち」に責任がある。「人権」という妄想が間違っていた。~「強姦は被害者にも落ち度」

性暴力:「女性に非なし」カビラさんが偏見一喝、大絶賛 | 毎日新聞

2017/7/1
 最後まで抵抗しなかったのが悪い、と娘や妻に言えるのか--。性暴力を扱ったNHK情報番組「あさイチ」で、死ぬ気で抵抗すれば被害を防げたなどとする視聴者の声をゲストが明快に否定し、話題となっている。それにしても性暴力では被害者にも非があるという偏見、なぜかくも根強いのか。【坂根真理、上東麻子】
 「無関係ですか? 性暴力」と題し先月21日に放映された同番組では有働由美子アナウンサーが視聴者の意見を読み上げた。「激しく抵抗すれば避けられる」「性交が成し遂げられたのは女が途中で諦め、許すから」「被害者でありながら落ち度がある場合がある」
 これに対し、ゲストでタレントのジョン・カビラさんは「あり得ない」と首を振り、丁寧な言葉で一刀両断。「男はオオカミ」という意見には「オオカミは一夫一婦制で添い遂げる生き物」と機知を利かせて切り返した。番組を受けてネット上で「男性の暴言を一喝した」など称賛があふれた。カビラさんの事務所はツイッターで「大きな反響に驚いています」と謝辞を投稿した。

 

「激しく抵抗すれば避けられる」

「性交が成し遂げられたのは女が途中で諦め、許すから」

「被害者でありながら落ち度がある場合がある」

「男を挑発するようなファッションが自業自得」

「男はオオカミなのに、油断している女が悪い」

「いつも女が被害者面で、男は加害者にされてしまう。男性差別だ」

 

などなど、こういうことを、SNSでドヤ顔で書いてる人間がいる。

さらには「イイネ!」を付ける人間(のはずだ。たぶん)もいる。

 

こういうことを平気で書ける彼ら(彼女ら、でないことを祈る)も、100%確実に、どこかの女性の子宮から産まれた。

 

彼らを産んだ女性を、日本語で「母親」と呼ばれる。

 

「彼女たち」は、おそらく「当たり前に他人の痛みの解る、優しい子供に育ってほしい」と願いながら、彼=息子の幼い唇に乳を含ませたんだろう。

 

数十年後の結果がこれだった。こういう息子に育った。

 

もしも、ホントに西方浄土阿弥陀如来がいるのならば、

「彼女たち」にだけは、自分の息子たちが、「どうだ!」「オレは軟弱野郎とは違うぜ!」と言わんばかりの得意満面のドヤ顔で、こんな素敵な文章を書いてるなんてことを、一切知らないまんま、往生できるよう、お願いするしかない。

 

まさか、「彼女たち」が、

あれほど苦しい思いをして子宮から出したモノが、

毎日のように、肛門から出してきたモノと、

価値的にはほとんど一緒だった、

なんて事実を知らせるのは残酷過ぎる。

このお笑い草の穢土にも、それくらいの慈悲は残っているだろう。

 

しかし、この世は自業自得・自己責任のルールらしい。

ついさっき、ドヤ顔の息子たちから教えてもらったところだ。

 

だったら、往生する前に、「彼女たち」にこそ、この見るも無残な「製造物」を世に送り出してしまった、育ててしまった、その製造責任を取ってもらってもいいのではないか? 

「彼女たち」は、息子たちが書いた文章を知って、息子たちの罪を背負って地獄に堕ちるべきではないのか?

 

もちろん、倫理が欠損している人間にも言論の自由はある。性根の腐った人間にもイイネ!を付ける自由はある。

彼らの存在に、彼らの呼吸に、何らかのポジティブな意味があるのか?、という疑問もないではないが、彼らにも生存の権利があり、強姦被害者の女性たちと同権だというのが、200年前から始まった人権思想である。

 

もしもタイムマシンがあれば、フランス革命を遂行しようとしたお人好しどもを、決起する前に片っ端からギロチンにかけて、人権思想の誕生を抹殺した方が、人類の正義と倫理のためには結果的には良かったのではないか?、という気もするが、そういう考え方ができるのも、フランス革命が守ってくれている人権思想のお陰だ。