「お笑いに政治を持ち込むな!」
最近、どっかで似たような話を見た。あ、これだ。
「フジロックの政治利用」批判にアジカン後藤が反論 - 音楽 : 日刊スポーツ
2016年6月20日
今夏開催される野外フェス「フジロック・フェスティバル’16」に学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。
こうした批判の声に、ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のボーカル、後藤正文(39)が「フジロックのこと知らない人が言ってるよね」と反論した。
後藤は20日にツイッターで、「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし」と、フジロックと政治の関係性について述べ、今回の批判について「『読経に宗教性を持ち込まないでください』みたいな言説だよね」と的外れであることを指摘した。
去年か、「#音楽に政治を持ち込むなよ」というのがありましたな。
人間は進歩しないのか(笑)。
「洋の東西」を問わず、「音楽」と「政治」の関係はイロイロ書いてきた。
左翼な桑田佳祐がイヤなら、愛国の長渕剛がいるじゃないか(笑)~ミュージシャンは原理的に「リベラル」である。 - 在日琉球人の王政復古日記
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茂木健一郎が言い出し、松本人志が反応し、ウーマンラッシュアワーが実験し出した、「お笑い」と「政治」に関しても、イロイロ書いてきた。
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「洋の東西」を問わなかったんだから、「時の古今」も問わないでおこう。
さて、平成の御代、ヒップホップだの、ラップだのが市民権を得てるようだ。
私は音楽素養が無いから、まったくわからない。申し訳ない。
で、「日本で最初のラッパーは吉幾三」てな都市伝説があるようだが、
1984年(昭和59年)の「俺ら東京さ行ぐだ」より、こっちではないか?
川上音二郎(作)・オッペケペー節 / 土取利行(唄・演奏)
1889年(明治22年)の川上音二郎「オッペケペー節」。
前に「#音楽に政治を持ち込むなよ ~騒動の根源は明治維新にある(笑)。」と書いたが、これもまた違う意味で、始まりは明治維新であった。
文明開化からたった22年。川上音二郎こそ日本語ラップの始祖である。
フジロックは「音楽」と「政治」を融合し、
ウーマンラッシュアワーは「お笑い」と「政治」を融合したが、
「オッペケペー節」は明らかに政治風刺にしてコミックソングだから、
川上音二郎は「お笑い」「音楽」「政治」の3つを融合した、フジロックにとっても、ウーマンラッシュアワーにとっても、大先輩のだ。
平成は憲法改正でにぎやかだが、当時はまだ改正する憲法もなかった。
よって自主憲法制定の機運が高まっていた。自主憲法制定と聞くと右翼っぽいが(笑)、当時は反体制派こそ自主憲法制定なのである。だって、まだ憲法がないんだから。
たくさんあった当時の自主憲法試案=私擬憲法でも、一番ラジカルだったのが植木枝盛「東洋大日本国国憲按」と言われている。
植木枝盛は、明治のラジカルリベラルなわけだ。
よって、この「民権数え歌」、平成リベラルの星・カラオケ好きの枝野さんが、立憲民主党の集会で支持者と合唱してもよさそうだ(笑)。
ただし、この民権数え歌、歌詞をよく読むと、民主主義擁護・格差社会批判が中心だが、素朴な欧米崇拝、相反するアジア主義、そしてナショナリズムも、ごった煮のように内包している。
そのまんま、社会福祉・反戦平和運動にも使えるが、逆に、神国日本、アジア解放、聖戦完遂にも進む要素がある。
この歌の歌詞こそ、まさに「戦前日本」そのものである。
まあ、歌は勢いだから(笑)、固いことヌキで、立憲民主党の愛唱歌にするのは、オススメだ。
「自民党、おまえら、しょせん戦後日本の対米従属。
オレたちの源流は明治の自由民権だ! 格が違う!下がりおろう!」
という決め台詞で攻めてみてはいかがか?
この戦前のミュージックムーブメント(笑)で、明治大正昭和の日本を波乱万丈に駆け抜けたアーティストが、 添田唖蝉坊である。
添田唖蝉坊・・・をゐをゐ竹中労「黒旗水滸伝」の世界だぜ(笑)!
(黒旗水滸伝ってナニ?って人はググってネ!)
コクリミンプクゾウシンシテ ミンリョクキュウヨウセ
もしも成らなきゃ ダイナマイトどん
国利民福増進して、民力休養せよ。
社会民主主義なのである。
もしも、そういう民主主義をやらないなら、ダイナマイトどん!
テロリスト宣言である(笑)。
戦前の桑田佳祐(笑)、ラジカル・レフト添田唖蝉坊のベストアルバムから何曲か。
添田唖蝉坊・ああわからない / 土取利行(弾き唄い)Don't Know/ Toshi Tsuchitori
恐ろしいことに、時代が下るにつれ、確かに音楽の技術は進歩している。時代は進歩するのである。
当時はJASRACが無いから(笑)、盗作、盗用、替え歌、何でもアリで、歌詞もいろんなバージョンがあるが、例えば「社会党ラッパ節」
「社会党ラッパ節」は「アンチ靖国歌謡」といってもイイだろう、
祀られぬ女性の靖国歌謡~昭和14年「九段の母」~昭和29年「岸壁の母」~昭和32年「東京だョおっ母さん」。 - 在日琉球人の王政復古日記
しかし、これだけ反体制、リベラルな歌でも、明治の作品である。平成ではない。下の「ラッパ節」02:50から。
添田唖蝉坊・ラッパ節 /土取利行 Rappa bushi/Toshi Tsuchitori
重営倉とは、軍紀違反者への懲罰禁固刑。
何が違犯かといえば、兵舎に戻るべき時間に帰ってこない遅刻だからだ。
つまり唄の主は、兵舎の寝所で寝ていない。朝なのに兵舎の外にいる。
朝っぱらから、どこにいるのか?
そもそも、軍刀を放さないのはどこの誰か?
彼は遊郭・娼館に泊ったのだ。しかもラッパが聞こえるくらい近くにある。
寺や神社の前に土産物屋が並ぶように、駐屯地の周りには遊郭が建つ。
次の休みもきっと来るからな、となだめているのに、帰らないでと軍刀にすがりつくのは、馴染みの娼婦というわけだ。
まあ彼女はホンキではなく、馬鹿な兵隊をリピーターにするためのカスタマーサービスなんだが(笑)、男はバカだから、ホンキだと思うわけだ。
つまりは平成でもおなじみ、娼婦つまり従軍「慰安婦」の唄なのだ。
戦前のリベラル・添田唖蝉坊は、
極悪資本家に搾り取られる女工の血の涙には同情して糾弾しても、
兵隊さんに媚び売って、女性器を酷使する娼婦の血の涙には鈍感。
これもまた時代の限界である。
環境保護運動や労働組合運動の左翼男性が、家に帰れば女性にメシを作らせて当たり前だと思ってる。つい最近、イヤ今でもそういう時代なのである。
セクハラも #MeToo も決して、現在の話ではなく、大昔からあるのだ。
お笑い政治論争(6) #YellowFace オードリー・ヘプバーン「ティファニーで朝食を」(1961)VS #BlackFace 浜田雅功「ガキ使」(2017) - 在日琉球人の王政復古日記
政治を考える、というのは、こういう部分に気付くことだと思っている。