在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

資本主義最大最高の商品/人類史上最強最悪の凶器~自動車。

【前橋女子高生重体】家族が免許返納を再三説得も無視 駐車場での制止も隙みて出発(1/2ページ) - 産経ニュース

2018.1.12
 前橋市の県道で9日朝、自転車で登校中の女子高生2人が逆走してきた乗用車にはねられ、重体となった事故。乗用車を運転していた川端清勝容疑者(85)=同市下細井町=の家族は産経新聞の取材に、半年前から免許を返納するよう川端容疑者を再三説得していたが、応じなかったと明らかにした。

 

5歳が車にはねられ死亡 1人で買い物途中 兵庫・西宮:朝日新聞デジタル

2018年1月14日
 署によると、現場は片側1車線の直線道路。大翔君は信号機のない横断歩道を渡り、近くの店に1人でアイスクリームを買いに行く途中だったという。目撃者の情報などから、大翔君は左右を確認して横断を始めたが、はねられて転倒し、車の右前輪に巻き込まれたとみられている。正親容疑者は「気づいた時には、大翔君が目の前にいた」と供述し、容疑を認めているという。

 

人間は、自分たちが生み出した怪物「自動車」をカン違いしている。

 

人類が産み出してきたモノの中で、最も偉大な発明品は、

まず「言語」、次に「神」だったり「貨幣」だったり、となるのだろう。

いや、言語と神と貨幣は、実は全く同じモノなので、合わせて1個とカウントしてもいいかもしれない。

「火」「電気」「車輪」、、、イロイロある中で、トップ3は無理でも、ベスト10には入れたいのが「自動車」である。

 

身の回りにたくさんあり過ぎて、普段はあんまり気にしないが、これほど凄まじい「商品」は他に無い。

特に資本主義時代以降なら、ダントツの1位だと思われる。

 

自動車に比べれば、他の全ての商品は、インターネットだろうが、コンピュータだろうが、大したことはない。 

 

まず、物理的に、自動車はさまざまな物質で出来ている。
金属を使う。鉄板も使えば鋳物も使う。銅線もアルミもレアメタルも使う。
化学製品を使う。プラスティックもゴムも樹脂も塗料も使う。
ガラスも使うし、革製品を使う場合もある。
電子製品を使う。精密機器も使う。
おそらく素材産業や部品産業で自動車に関係しないものはないだろう。

もちろん、これだけなら、他にもそういう商品はたくさんあるだろう。
たとえばパソコン、たとえばスマホ。これらもさまざまな素材産業や部品産業が関係する。

しかし使用量が圧倒的に違う。自動車1台でおそらくスマホ100台分以上の金属を使用する。個人で所有する商品の中では住宅の次に資源を消費している。

それだけ経済を回しているわけだ。

 
さらに、自動車は不動産業や土木建設業にも関係する。

自動車には道路が必要だからだ。つまり自動車は「国土」を改造する。
パソコンやスマホに不動産や土木建設は必要ない。土地を買収することも、山を削ることも、トンネルを掘ることも、川に橋をかけることもない。

 

次に、自動車にまつわる周辺事業、サービス業だけでもかなり大きい。
自動車は修理やメンテナンスだけで一大産業を形成する。
パソコンやスマホの修理だけで工場は経営できないだろう。
再販市場の充実は、自動車が全商品で一番だろう。


自動車は金融業にも関係が深い。

自動車保険、自動車ローンだけで莫大な金額だ。
パソコンに自賠責保険は無いし、スマホ購入に長期ローンを組むこともまずない。


自動車は石油を消費する。

存在自体がエネルギー消費マシンである。街中にガソリンスタンドを必要とする。

 

自動車はヒトやモノを運ぶ。

存在自体が流通産業である。つまりは自動車は「自動車で運べる全ての商品」に関わる。

 

自動車は法律を作る。

道路交通法」はあっても、「スマホ通話法」はない。

自動車は行政サービスを肥大化させる。
たとえば警察の仕事のかなりの部分は自動車に関係する。
自動車がなくなれば、警察はもっと小さくて済むだろう。
「交通刑務所」はあっても、「パソコン刑務所」はない。


自動車は、企業の実務の為の使う「ビジネス商品」でもあり、
また、個人の趣味やファッションの為の「娯楽商品」でもある。
機能や経済性が重視されると共に、デザインも重視される。
テレビを、企業がビジネスツールとして大量購入することはないだろうし、
コピー機を、個人が趣味やファッションとしてデザインで選ぶこともない。

 

自動車はスピードを競う。

モータースポーツなるものが存在する。

人間のエロティシズムに訴える面もある。

 

自動車は大量生産、大量廃棄の工業製品としての側面もあれば、

クラシックカーのように工芸品、芸術品としての側面もある。

 

こんなにさまざまな分野のビジネスを動かす商品は他にない。

もしも、自動車が発明されなければ、製造業も建設業も不動産業もサービス業も金融業も流通業もここまで発展することは無かった。世界も社会も全く異なったものになっていただろう。

自動車は、資本主義世界最大かつ最高の商品である。

 

環境問題はあるにしても、ここまではイイのだ。

自動車は人間にとって福音であった。

 

しかし、自動車は普通の人間が操作可能な最大のパワー=暴力でもある。

 

もちろん、人間が人間を殺すことは、今も昔も変わらない。

江戸時代だって殺人はあった。

憎くて包丁で刺し殺す。ケンカで殴り殺す。

これは今でも同じだ。

これらは「殺人」とか「傷害致死」と呼ばれる。殺意や攻撃意思が伴う。

 

また、殺すつもりも、殴るつもりもなかった。怨みも何も無い。何をするつもりもなかったのに、うっかり、殺してしまった、なんて事件もある。

こういうのを「過失致死」と呼ぶ。

 

江戸時代にも「殺人」や「傷害致死」はたくさんあった。

しかし江戸時代に「過失致死」がどれくらいあっただろうか? そもそも可能だっただろうか?

殺意もないのに、恨みもないのに、あかの他人をうっかり殺す。そんなシチュエーションが、江戸時代にどれくらい考えられるだろうか?

火の不始末で火事になって居住者を焼死させた、

食中毒を引き起こす食い物を販売した、

飼ってる馬が暴走した、渡し舟が沈んだ、

というのが考えられる。しかしイロイロ考えてもそれくらいだ。

 

しかし、資本主義社会は違う。なぜなら、自動車を持ってるからだ。

単なる普通の個人が自動車を運転しているだけで、殺意もないのに、恨みもないのに、あかの他人をうっかり殺す可能性が確実にある。

こんなシチュエーションは、自動車が存在しない限り、あり得ないのだ。

自動車以外のどんな商品でも、こんな可能性はなかなか発生しない。

包丁や拳銃の場合、もちろんうっかり事故はあるが、かなりのパターンは、殺意や恨みがなければ、他人には向けないからだ。

 

人間が素手以上のパワーを発揮できるのは、刃物や拳銃もある。しかし、刃物や拳銃は、そもそも破壊のための道具である。

しかし、衝突させる目的で作られた自動車なんか1台もない。そんな目的は一切考えてないのに、衝突させたら、人が死ぬ危険物なのだ。

 

つまり、殺意もないのに、恨みもないのに、あかの他人をうっかり殺す、自分の意思以上の破壊をもたらす暴力装置、それが自動車なのだ。

 

上記の交通事故だって、お爺ちゃんが認知症になったことより、自動車があったことが問題なのである。

もしも、認知症のお爺ちゃんが、自動車じゃなく、日本刀や包丁を握って外出したり、拳銃や猟銃を持ってウロウロしたら、

「ダメだよ、お爺ちゃん」なんて注意している場合ではない。家族はもっと必死で止めていたはずである。

羽交い絞めにして、地面に押し倒してでも、刃物や拳銃を叩き落とし、必要なら両手も縛るし、「着いたら連絡ください」なんて悠長な電話をしている場合ではなく、すぐに110番である。

 

しかし、自動車の場合は、殺人能力はまったく同じなのに、刃物や拳銃よりは、甘い認識になってしまうのだ。


自動車とは、

ありとあらゆる産業、製造業も建設業も不動産業もサービス業も金融業も流通業も成立させる、法律も行政も、国土も自然も文化も、人間すら変化させる「資本主義世界最大最高の商品」である、 

と同時に、

昔なら、なかなかありえなかった、殺意もないのに、恨みもないのに、あかの他人をうっかり殺すことを可能にする、それまでの時代には存在しなかった、「人間が個人意思で操作できる最強最悪の暴力装置」でもあるのだ。

 

人類が発明した商品の中で、「言語」「神」「貨幣」には敵わなくとも、「火」「電気」「車輪」の次くらいにはランキングさせたい商品である。