コロコロコミック:チンギスハンに落書き漫画 小学館謝罪 - 毎日新聞
2018年2月23日
小学館は23日、月刊誌「コロコロコミック」3月号の漫画でモンゴルの英雄チンギスハンに関する不適切な表現があったとして、ホームページ(HP)におわび文を掲載した。在日モンゴル大使館にも同日、謝罪したという。
漫画は15日発売の同誌に掲載された「やりすぎ!!! イタズラくん」。モンゴル帝国の創始者チンギスハンの肖像に落書きをする場面があり、同社によると、日本に住むモンゴル人から複数の抗議が寄せられたという。モンゴル大使館は23日、日本の外務省に抗議。同社はモンゴルの臨時代理大使と会い、謝罪したという。
同社は、モンゴルの国民やチンギスハンを敬愛する人たちに「ご不快の念を抱かせましたことを、深くおわび申しあげます」とした。
ネットの反応を見て、かなりビックリしている。
なんと、モンゴル人のコロコロコミックへの抗議、および、小学館の謝罪に、賛同する意見の方が圧倒的に多い。
大丈夫か?>明治150年。
2018年の大陸支那には、東京より多くの高層ビルが乱立し、新幹線より高速の鉄道も走る。
じゃあ、大陸支那は近代社会かね?
スマホの組み立て生産ができたら、近代社会になるわけではない。
我々が選択した「近代(モダン)」とは何か?
「神(国家、権力)の禁忌」よりも「人間の自由」を優先する。
それが近代ではないか。
高層ビルやスマホが無くとも、言いたいことが言える。それが近代だ。
誤解の無いように書けば、
「謝罪した小学館」は正しい。
理屈なんてどうでもいい、正義なんてどうでもいい。
1円の得にもならないことで意地を張るのは馬鹿。頭を下げときゃタダ。
しかし「小学館の謝罪」は間違っている。
圧力に負けて頭を下げるのは、盲目的に生き延びること、即物的に食っていくことが第一の、動物としてのヒトとしては正しい。
しかし、霊長たる人間としては、自由と公平と寛容を守らなければならない。
動物としてのヒトでなく、霊長たる人間を選ぶ。それが近代である。
【シャルリー・エブド】パリで襲撃された新聞はどんなことを報じていたのか
2015年01月08日
風刺漫画で知られるフランスの政治週刊紙「シャルリー・エブド」の本社が1月7日(現地時間)、銃撃を受けた事件で、死亡した12人のうち4人は風刺漫画家だったとフランスでは報じられている。
(略)
シャルリー・エブド紙はこれまでも、政治や宗教などさまざまなジャンルの有名人を攻撃する風刺画を数多く掲載してきている。中でも一番注目を集めたのは、イスラム教ならびに預言者ムハンマドに関する表現だった。
2011年には、ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名したという風刺画を掲載。その翌日には、同紙事務所に火炎瓶が投げ込まれ、全焼する事件が起きた。
同紙は2011年にさらに、預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画を掲載した。その結果、同紙ウェブサイトはハッカーの被害を受けている(以下の画像)。
2012年には、フランス当局から警告を受けていたにも関わらず、ヌード姿のムハンマドの絵を複数掲載した。シャルボニエ氏はAP通信に、預言者ムハンマドを風刺する漫画の掲載決定について次のように主張した。「ムハンマドは私にとって聖なる存在ではない。イスラム教徒がこの漫画を見て笑わないのは仕方がない。しかし、私はフランスの法の下に生活しているのであって、コーランに従って生きているわけではない」
たとえ本物の創造主であろうが、全知全能の神であろうが、アラーを愛するも、憎むも、無視するも、笑うも、人間の自由。
たとえ地獄に堕ちても、言いたいことを言う。
我々は、神の聖なる教えではなく、パラダイス・ロストを選んだ。
「何を言ってもイイだって? じゃあヘイトスピーチはどうなる?」と反論がありそうだが、「ヘイトスピーチ問題」の存在こそが、言論・表現の自由の証明だ。
もしも、言論・表現の自由がないのならば、「ヘイトスピーチ」はあっても、「ヘイトスピーチ問題」は存在しない。
ヘイトスピーチを叫ぶ奴は、鞭で打つか、舌を抜くか、指をへし折るか、首を切り落とせばいいだけだ。言論・表現の自由なんかないんだから、単純に禁止すればいいのである。
言論・表現の自由が大原則・大前提であり、ヘイトスピーチの禁止(の是非)はその「例外」に過ぎない。
ヘイトスピーチの禁止は絶対ではない。言論・表現の自由のためには、ヘイトスピーチを許容することも「原則」なのである。
ハッキリ言うべきだ。コロコロコミックを問題にするモンゴル人の方が、近代の理念において間違っている。
もちろん、近代を選択する・しないはモンゴル人の自由だが、近代を選んだ我々に、前近代・反近代の価値を押し付けられても困る。
いや、たとえ前近代の価値観だとしても、コロコロコミックを問題にするのは、間違ってるだろう。
前近代だって、異国のガキンチョのお遊びに、マジで激怒なんて、オトナの態度ではない。イスラム原理主義者と同じ精神構造である。
だって、コロコロコミックだよ(笑)。
オトナが読む全国新聞や高級言論誌が、チンギスハンにチンコを書いたのなら、怒る気持ちもわかるが、
たかが、10歳前後の男子小学生相手の、お笑い漫画雑誌ではないか。
古今東西を問わない。ガキンチョはウンコとチンコが大好きだ(笑)。
モンゴルの少年だって同じはず。絶対にウンコとチンコで笑ってるだろう。
下品で低俗だけど、それは少年時代に必要なことだ。ウンコチンコで笑うことは、ちゃんとしたオトナになるために不可欠な通過儀礼なのだ。
ウンコチンコを楽しめない少年時代を送った方が、よっぽどオトナになった後の精神状態が心配である。
しかも、一番上の画像を見れば判るように、コロコロコミックは、モンゴルの英雄・チンギスハンと一緒に、日本の天下人・足利義満もパロディの対象にしている。
「室町幕府の第3代将軍。髪の毛が抜け去った頭と着物に笑いを取るチャンスあり!」 なんて失礼な書きようだが(笑)、これを読んだ、栃木県足利市民や、日本全国の清和源氏足利一族の末裔は、コロコロコミックに怒るのだろうか?
モンゴル人が怒って当然ながら、足利市だって「地元の英雄をハゲとは何だ!」、足利一族の末裔だって「鹿苑院太上法皇に対してけしからん!」、と抗議する権利はある。
でも、もしも足利市や足利一族の末裔が怒ったとして、あなたは、その怒りを正しいと思うか?
現実に、足利市や足利一族の末裔が小学館前で抗議を始めたら、私は、彼らをマトモな常識の持ち主だとは思わない。
日本人がやったらおかしいことは、モンゴル人がやってもおかしいのだ。
本当の意味で、民族差別をしない、とはそういうことだろう。
コロコロコミックは、モンゴルも、日本も、チンギスハンも、足利義満も、まったく同じ扱いだ。民族差別はカケラもない。チンギスハンをことさら貶める意図もないし、他民族蔑視の偏狭なナショナリズムもない。
コロコロコミックの対象年齢を考えれば、ガキンチョはまだ本格的な歴史の授業を受けてないだろう。
ガキンチョはこの漫画で、チンギスハンの存在を知り、顔に落書きすることで、足利義満の名前を覚え、そこから歴史に興味を持って行く。
いや、歴史に興味を持ってもらいたい。このマンガがきっかけに、少年たちに、勉強に興味を持ってもらいたい。
ウンコチンコのギャグ漫画なのに、邪悪な精神はみじんもなく、少年たちに対する善意の教育的啓蒙すら感じる。
あなたは、この漫画で育ったガキンチョが、落書きを楽しんだガキンチョが、将来、チンギスハンに敵意を持ったり、モンゴルに悪意を持つオトナに育つ、と思うだろうか?
逆に、落書きを禁止された方が、モンゴルに対して親近感を持ち難いだろう。
日本のガキンチョに、チンギスハンに落書きされて、モンゴル人はいかなる態度を取るべきか?
「我が国の英雄は、異国の幼稚園児すら名前を知っている。まこと偉大なお方であることよ。下品で失礼な遊びだが、幼児のやることにイチイチ怒るのは大人げない。まあ大目に見ておこう」
近代だろうが、前近代だろうが、日本でも、モンゴルでも、これがマトモなオトナの態度であると信じる。
モンゴル人は、チンギスハンを神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
これが正しいというのなら、
韓国人は、安重根を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
北朝鮮人は、金日成を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
大陸支那人は、毛沢東を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
創価学会員は、池田大作を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
幸福の科学の信者は、大川隆法を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
オウム真理教の残党は、麻原彰晃を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
ジャニーズのファンは、嵐を神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
AKBのファンは、推しメンを神聖視する。だから茶化すな。批判するな。
われわれの言論・表現の自由は、事実上終わりである。
更に、これより、レベルの低い主張もある。
モンゴルは親日友好国だから、チンギスハンを茶化すな。批判するな。
でも、韓国は反日敵対国だから、安重根を茶化しても、批判してもいい。
なんて言い出す人たちだ。
この「手前勝手な好き嫌いと損得だけで作った基準」の、どこに万人に通用する普遍的な公平と正義がある?
少なくない韓国人も、同じ「手前勝手な好き嫌いと損得だけで作った基準」で、第三者から見て、誠にみっともない反日的言動を平気でやっている。
全文表示 | 金・高木菜那表彰の裏で起きた騒動 韓国SBS「君が代」放送に批判!局は反論 : J-CASTニュース
2018/2/26
平昌冬季五輪で2018年2月24日のスピードスケートマススタートで金メダルを獲得した高木菜那選手(25)。韓国のキム・ボルム選手(25)が銀メダルだったため、韓国で表彰式の様子が生放送されたが、3大地上波の一つ、SBSが「君が代」を流した、と韓国内で批判が殺到している、との報道が出た。
韓国では「君が代」は植民地時代を思い出す屈辱の歌、とタブー視する人がいるようだ。J-CASTニュースはSBS日本支社に「君が代」を流した意図などを取材した。
「君が代初めて聞きました。それも地上波で」
ポータルサイト「msn」韓国版に配信された「NewsEn」を含む複数の韓国のネットニュースによれば、地上波放送3社すべてが表彰式を中継し、SBSだけが「君が代」を流した。
「君が代」が流れている間は、KBSはCMに切り替え、MBCはマススタート金メダルのイ・スンフン選手の競技場面を見せた。これが韓国内で物議を醸している。「君が代」は天皇の時代が永遠に続くように念願する歌詞が含まれていて、植民地時代の朝鮮総督府は皇民化政策のために一日に1回以上、日本の国旗掲揚と敬礼の後に必ず歌う事を教育に盛り込んだ。今回のことで、
「私たちの民族の胸の痛む歴史そっくりそのまま盛られている曲だ」
と説明するメディアもあった。
(略)
韓国ではSBSだけがなぜ「画像処理」をし「君が代」を隠さなかったのか、といった疑問も噴出している。J-CASTニュースは26日にSBSの日本支社に話を聞いてみた。
SBSは「表彰式だから放送するのはあたりまえのこと」
担当者によれば、「君が代」を流したのはSBSだけなのは事実だ、としたうえで、
「批判殺到というのは間違いで、そのようなものは耳にしておりません」
と語った。ただし、ネットの一部で問題視している記事や掲示板への書き込みがあるのは知っているが、それは数人でオンライン上で騒いでいるに過ぎず、
「私たちが気にするような事柄ではありません」
と切り捨てた。そして、
「オリンピックに限らず、国際試合で優勝した場合は表彰式で、その国の国歌が流れます。そのため、どのような国であるか、という判断ではなく、表彰式はそういうものなので、その様子をそのまま放送するというのは、当たり前のことなんです」
と担当者は話している。
日本人も、韓国人も、琉球人も、関係ない。
右翼も、左翼も、関係ない。
君が代に、賛成も、反対も、関係ない。
日本の朝鮮統治への是非も、関係ない。
オリンピックの表彰式を中継して、君が代をそのまま流した、韓国SBS。
君が代を削るために、表彰式の中継を打ち切った、KBSやMBC。
どっちのテレビ局をマトモだと思うのか?
君が代を嫌悪してる韓国人の90%は、自分自身が実際に70年前の日本統治時代を経験したわけではない。その後の教育と刷り込みで嫌悪してる。
モンゴル人だって同じことで、チンギスハンの統治時代を経験した人は、もう一人も生き残ってはいない。100%がその後の教育と刷り込みで神聖視している。
韓国人の「君が代嫌悪」と、モンゴル人の「チンギスハン神聖視」、何がどこまで違うというのか?
モンゴル人のコロコロコミック抗議に賛同した日本人は、韓国人の君が代抹殺にも賛同しないと、理屈が合わない。同じナショナリズムじゃないか。
「手前勝手な好き嫌いと損得だけで作った基準」を優先して、言論・表現の自由を守らないのならば、日本人も、モンゴル人も、韓国人も、大陸支那の中国共産党独裁を批判する権利すら失う。
国家主席の任期制限撤廃 中国メディア淡々と報道 「終身制」批判を警戒(1/2ページ) - 産経ニュース
2018.2.26
中国国内では26日未明、NHK海外放送のニュース番組が国家主席の任期改正を報じた際に突然放映が中断され、画面が真っ黒になった。
中国国家主席の任期撤廃、「われわれは北朝鮮になるのか」SNSに怒りの声 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
2018年2月26日(月)
ミニブログ「微博(ウェイボー)」のユーザーは「ああ、われわれは北朝鮮になるのか」と嘆きの声を投稿。別のユーザーも「隣国の前例にならっている」とのコメントを記した。
この後、ウェイボーは「2期限定」の検索用語を利用できなくし、これらの投稿も25日遅くに削除された。
中国共産党のやってる情報統制、自由弾圧は、モンゴル人の「チンギスハン神聖不可侵」、韓国人の「君が代抹殺」と、何がどこまで違うのか?
こっちの問題も、実は同じことだった。
日本の大晦日お笑い番組で黒塗りメイク 怒りと反発も - BBCニュース
2018年01月5日
日本で大晦日に放送されたテレビ番組で、お笑い芸人が米俳優エディー・マーフィーに扮するため黒塗りメイクをしたことを受けて、人種差別や文化的配慮が足りないとの非難が相次いでいる。
日本テレビの番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」では、有名なお笑い芸人の浜田雅功氏がエディー・マーフィー主演の映画「ビバリーヒルズ・コップ」 を再現しようと、黒塗りの顔で登場した。
顔を黒く塗り黒人を風刺するいわゆる「ブラックフェイス」は、きわめて侮辱的な風習だと広く受け止められている。
まさか、とは思うが、モンゴル人の抗議に賛同した人が、ダウンタウン浜田の黒塗りに対しては
「これは黒人差別ではない。黒人に対する悪意もないんだから、問題にする方がおかしい。こんな禁止をしていったら、お笑いは成立しないし、自由も無くなる」
なんてことを、ほざいたりしなかったでしょうね(笑)?
もちろん、近代が絶対100%正しいわけではない。
近代も、言論・表現の自由も、しょせんは宗教と同じイデオロギーだ。
「神を茶化されたら放火と銃撃」のイスラム原理主義者の正義や、中国共産党のやりたい放題も、
「神すら茶化す」「共産党ふざけんな」という言論・表現の自由も、
どっちも絶対的正しさは証明できない。
あなたと私と彼らが、どっちを選ぶか?という決断(イデオロギー)だけだ。
価値観が衝突するからといって、われわれ近代は「神を茶化されたら放火と銃撃」「共産党のやりたい放題」を選ばない。
なぜなら、われわれ(少なくとも私)が「選ばない」と決めたからだ。
彼らが「神を茶化されたら放火と銃撃」「共産党のやりたい放題」を選ぶというのなら、共存は困難であり、自由を選んだわれわれ(少なくとも私)は、可能な限り抵抗するしか道はないのだ。
もちろん、現実問題として、あらゆる種類の言論がフリーパスの世の中は作れない。ヘイトスピーチによる名誉棄損は当然ある。
言論・表現の自由は、フェイクニュースのような虚偽すら許す。その扇動によって、厄介な政治問題は起こりうる。
しかし「この表現は、差別的、侮辱的で、禁止しないとマズい」という判断も、ムハンマドや習近平さんが独断で決定するのではなく、われわれの言論・表現の自由による討論・熟議によって決まるのだ。
われわれの自由の制限は、われわれの自由のみがその決定権を持つ。
近代とは何か?
ガキンチョが、チンギスハンの肖像画に、ちんこの落書きをする自由だ。
ガキンチョが、チンギスハンの肖像画に、ちんこの落書きが出来ないのなら、
歴史学者も、チンギスハンの史実を研究できなくなる。
チンギスハンの史実を研究出来ないのなら、当然、毛沢東の史実も研究出来ない。
そうやって、自由は失われ、近代は死ぬのだ。
チンギスハンの神格化より、コロコロコミックのウンコチンコの方が、近代のわれわれ(少なくとも私)にとっては、守るべき価値がある。
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