在日琉球人の王政復古日記

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「神は存在しない」スティーブン・ホーキング博士×昇天→〇故障~創造主VS救世主~キリスト教VS無神論VS仏教。

スティーブン・ホーキング博士死去、76歳 英宇宙物理学者 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

2018年3月14日
 英国の著名な宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士(76)が死去した。ホーキング氏の家族が14日、明らかにした。
(略)

 ホーキング氏は20代で運動ニューロン疾患を発症し、余命数年と告知されたが、その後も車いすでの生活を余儀なくされながらも数々の研究に取り組んでいた。

 

時間がないので殴り書き。後で加筆、修正しようと思う。

 

物理学すら解らない私みたいな馬鹿に、宇宙物理学なんて宇宙より遠い。

ゆえに、彼の真の偉大さは判らないまんまだろう。 

 

私は知性の面で「科学」に見捨てられた男だ。

だから「形而上学=神学」に逃げる(笑)。

 

日本じゃホーキング博士は宇宙物理学の人としてしかとらえられないが、彼の住んでいたイギリス、ヨーロッパ、英語圏、つまりキリスト教世界では、「無神論者」としても有名だった。

もともと住んでいる白人はキリスト教ユダヤ教だし、やって来る移民の多くもイスラムで、どっちも、神を認めない人間を、人間として認めない。

 

今でも、あっち(欧米)は「神も天国も無いよね」とはなかなか言いにくい世の中なのである。さらにイスラム文化圏だと命が危ない。

しかし、こっち(アジア、特に東アジア)なら「神も天国も無いよね」と言っても、「まあ、そうかもね」で済む(笑)。

  

お互い嫌い合ってるが(笑)、ユダヤ教キリスト教イスラムは、同じ神を信じる「アブラハムの宗教」として統括される。創造主を認めること、神はただ御一人であること、など、信仰の根本は同じだ。

 

こっちも、お互い嫌い合ってるが(笑)、漢民族日本民族琉球民族など極東アジア諸民族は、創造主を大して重視しない、神は唯一神とは限らない、など、信仰世界はよく似ている。世界から見れば少数派の考え方、悪く言えば「異端者の巣窟」なのだ。

 

ホーキング博士「宇宙解明に神は不要」 :日本経済新聞

2010/9/11
 英国の著名な宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士(68)は10日放送の米CNNテレビの看板インタビュー番組「ラリー・キング・ライブ」で「宇宙は科学で説明でき、読み解くのに神は必要ない」と語った。博士は新著でも同様の主張を展開、神がすべての創造主だとする欧米のキリスト教指導者が反発している。
 博士は7日に発売された米国の物理学者との共著「ザ・グランド・デザイン」で、科学によって宇宙の起源を説明することは可能だとし、宇宙が誕生した大爆発ビッグバンは「神に点火してもらう必要はない」と指摘した。
 万有引力の法則などを発見した英国の科学者ニュートンが宇宙を創造したのは神だと感じたことへの理解も示し、神の存在は否定しなかった。
 英メディアによると、英国国教会の首位聖職者であるカンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ氏は「なぜ物事が存在するかということは、物理学だけでは説明できない」と反論。神への信仰は、森羅万象を説明するためだけのものではないとも指摘した。
 英国のユダヤ教正統派主席ラビ、ジョナサン・サックス師は「科学は説明のためのもので、宗教は解釈のためのもの」と話し、科学と宗教を同じ土俵で語るべきではないと非難した。

 

「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言 | ロイター

2011年5月17日
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
(略)

 

 キリスト教信者は、ホーキング博士無神論に、反発はあっても、違和感を感じないのだろうが、私のような「アブラハムの宗教」から遠い孔子を奉戴する儒教徒からみると、「ホーキング博士、それって、話が飛んでないですか?」と思う。

 

「ビッグバン、宇宙の創造に、神は不要」、それはそれでいい。

「天国も、死後の世界も、存在しない」、それもそれでいい。

 

しかし、「ビッグバン、宇宙の創造に、神は不要」=「天国も、死後の世界も、存在しない」、になるのだろうか?

つまり「宇宙を作った、人間を作った《創造主》はいない」のならば「人間を救う《救世主/救済者》もいない」のか?

 

「世界の創造主=人間の救済者」、なのか?

 

アブラハムの宗教」では神は唯一。ゼロではないし、複数でもない。

だから「宇宙と人間を作った神=創造主」が否定されれば、自動的に「人間を救う神=救済者」も否定される。

 

しかし、それは「アブラハムの宗教」の理屈であり、それ以外の世界では、神は、ゼロかもしれないし、複数いるかもしれないのだ。

 

典型例が仏教だ。

 

部派仏教でも、大乗仏教でも、浄土信仰でも、法華経信仰でも、仏教世界には、宇宙や人間を作った創造主がいない。いや、いるかもしれないが、創造主を大して重視しない。ほとんど考慮しない。

仏教においては、宇宙や人間を作った創造主が人間を救済してくれるわけではない。

人間を救済するのは、自分自身(智恵による自助努力)だったり、阿弥陀如来だったり、釈迦如来だったりするが、人間も、阿弥陀も、釈迦も、世界を作った創造主ではない。

 

キリスト教徒は「なぜ、この世に悪が満ちているのか?」に悩む。

神様が作った世界に悪があるのなら、神様も悪なのか?

 

しかし、仏教徒は「なぜ、この世に悪が満ちているのか?」とは悩まない。

だって、阿弥陀様やお釈迦様が、この世を作った責任者ではないからだ。

おそらく、この世は、悪いヤツが作った。

そして、人間は、良い仏様が救ってくれる。

 

残りは、後日。